第1話 西洋人形


 気が付くと、ガヤガヤとした店に突っ立ていた。

 

 ──あん?

 

 辺りを見渡すと見覚えがある風景。

 棚に綺麗に並べられたファンシーなぬいぐるみ、ノート、可愛らしい文房具ら──。

 

 何故ここにいるのか? と言う疑問は、なんの違和感もなく「あ、フェアリーだ」という感覚の方が強烈だった。

 近所の雑貨屋だと気付く。

 

「ほ〜ら、一護いちごく〜ん。可愛い、一護いちごく〜ん」

 

 ──あ?

 

 名前を呼ばれた。

 そちらを見ると、今よりずっと若い親父とみっちゃんの姿があった。


 ──親父? みっちゃん?

 

 両親どちらも、俺の存在に気付いていない。

 と言うより、そこにいる全ての人が俺をシカトしている。

 まるで俺の存在がないかのように……。


「どっちが、いいでちゅうか〜」

 

 と親父は、2つのぬいぐるみをベビーカーに向けて見せていた。

 右手にフクロウ、左手に猫のぬいぐるみ。

 どちらもフワフワしていて、触り心地の良さそうな生地をしている。

 

「まだ、わからないんじゃないかしら?」

 みっちゃんが、微笑みながら言う。


 ──これ、俺か? うわッ! 小さッ!

 

 ベビーカーの俺は、一歳くらいの赤ちゃんだった。

 おしゃぶりをしている。

 なんの迷いもなく、猫のぬいぐるみに手を伸ばす。


「お、みっちゃん。猫がいいってさ」

 と、みっちゃんに向かって親父が言う。

「え〜、四〇〇〇円もするのぉ〜? 結構、高いね」

 少し不機嫌な顔をしながら、みっちゃんは財布の中を確認する。

 

「まぁ、誕生日なんだし」

「しょうがないなー」

 と渋々、頷く。

「やったな!」

 そう言って親父は、俺に猫のぬいぐるみを渡す。


 幼い俺は、嬉しそうにそれを抱きしめ、頬擦りをしていた。


 ──あぁ、こんな事あったんだっけな……。


 ◇◇◇◇◇◇


「──ん、お──ちゃん!」

 

 誰かが、怒鳴っている。

 

「お兄ちゃんッ!」

 

 目を覚ますと、つやのある黒髪、肩ほどのセミロングの女子中学生が、俺の胸元にまたがっていた。

 幼い頃から見慣れた顔でなければ、きっと惚れている。

 

 妹の千鶴ちずるだ。

 制服姿から、チラッとパンツが見える。

 

 ──今日は、シマシマ柄か……。

「なんだよ……」


 寝ぼけ眼で、俺は言った。


「なんだよ……。じゃないよ! 学校、遅れるよ」


 千鶴は、そう言って俺の腕を引っ張り上げた。

 

「なんか、夢を見た……」

「あっそ、早く着替えなよ!」


 聞く耳をもたず、タンスから俺の制服を引っ張りだし、それをベットの上に放り投げる。

 よくできた妹だな〜、などと思いながら夢を思い出そうとする。


 不思議な夢を見た、その感覚はある。

 しかし、ものの数分でさっぱり中身を忘れてしまった。


 ──んー、思い出せん。まぁ、いいか……。


 着替えを済まして下の階に降りる。

 すでに、朝食がテーブルの上に並べられている。

 母親のみっちゃんの洗い物をする音が聞こえた。


 みっちゃんは、男にママと呼ばれる事を嫌がる。

 親父にも、俺にも、彼女ヅラをしたがる変わった母親だ。


 皿の上にはチーズトーストと目玉焼きが、千鶴ちずると俺の分で並べられている。


「いただきます」

 2人で声を合わせて言った。

「ん? なんだよ?」

 

 千鶴ちずるは、俺の皿をじっと睨んでいる。

 中身は全く同じメニュー、全く同じ量なのだけど。


「なんでもない」

 そう言いながら、俺の皿と自分の皿を交換する。

「…………」


 ──隣の芝は、青く見えるらしい。

 

 この妹は、何かといつも俺の物と取り替える習性がある。


「はい、ココアよ」

 みっちゃんが、俺と千鶴ちずるの前に、コップを並べる。

「ありがとう、ママ!」

 そう言って、俺のコップと自分のコップを入れ変えた。

 

 ──やっぱり、隣の芝は青いらしい……。


「そうそう、〝高田馬場ゲートウェイ・ウェストパーク〟録画しといたよ」

 パンをかじりながら、千鶴が言う。

「ふぁんがと」

 俺も頬張ほおばりながら返す。

「転生マッスルは?」

「撮ってない」

「そう」

 

 ふいに、間が空いた。

 気になって妹の顔を見ると──、したり顔でこちらを見ている。

 こういう顔の千鶴は、決まってろくな事を考えていない。


「ネタバレ、聞きたい?」

 

 ──案の定、ろくな提案ではなかった。


「わ──、へ──、そうなんだ──、凄いね──」

 早口に、はぐらかす。


 朝食を詰め込み、そそくさと退散する。

 

「あっ! もう!」

「んじゃ、行ってくるわ」

 俺は、リビングを出る。


「気をつけてねー」

 みっちゃんの声を後ろ姿で、受け取った。


 ◇◇◇◇◇◇


 俺の通う、私立学新学院しりつがくしんがくいんは、幼稚園から高等部まであり総勢五〇〇〇名以上も通うマンモス校だ。

 甲子園やインターハイなど常連で、部活では名門とされているが──、それは他県からの評判であり、その実、市内ではもっとも偏差値が低い高校とされる。

 

 お金さえ払えばバカでも入れる。

 この地区では、滑り止めで受ける最低水準の高校とも言える。

 そのせいか市内一ヤンキーが多い。

 

 ヤンキーの多さで言えば、隣のスタンプ高等学校も多いが偏差値一〇程、向こうのほうが上だ。

 俺や力漢では、到底そちらは入れそうもない。


「まぁ──大変! たまたま、教科書を全部忘れてきちゃった! どうしましょう?」

 隣の席の鈴蘭すずらんが、あざとくそう言う。

 

 まるで朝登校して気付いた! みたいな言い回しをしているが、今は昼休みが終わった五時限目だ。

 しかもこいつは、手ぶらで登校してきている。


 ──確信犯だ。

 

「お前が、教科書を持ってきた事を高校二年の二学期の今日まで、お目にかかった事は一度もないぜ」


 昼休みに突如沸き出た、この超絶ギャルに言い放った。


 鈴蘭渚すずらんなぎさは、ロシア人のハーフだ。

 地毛が白に近い綺麗な金色の髪で、今日の髪型はお団子スタイル。鼻は高く、綺麗なパッチリ目、その色は透き通った青。そして巨乳だ。

 美人は苦手だが、鈴蘭に関しては、美人は美人でも苦手ではない。


「それ……ほめてます?」


 鈴蘭が、顔を近づけて迫ってくる。


「美人と言っているんだぜ?」

「まぁーいいけども、教科書一緒に見せてもらえる?」

「使ってていいぜ。俺は寝る」


 そう言って俺は、カバンから数学の文字を見つけ、そのまま手渡した。


「わーい! ありがとう。涙ちょちょぎれる程、感謝!」


 ──いつの時代だよ。

 

 俺はそのまま机に突っ伏した。

 

「ちょい、ちょい」


 と、俺の肩を指先でツンツンと押し、何かを訴えかける。


「なんだよ……」


 明らかに面倒臭そうな態度をして、鈴蘭に顔を向ける。


「こーれ!」

 

 鈴蘭が、先程渡した教科書を指差す。

 よく見ると──、〝学新学院 中等部三年生 数学〟と書いてある。

 

 ──やっぱり、隣の芝は青いらしい……。


 ◇◇◇◇◇◇


 キーンコーンカーンコーン、終業のチャイムが学校中に鳴り響く。

 我らが、2年B組のドアが勢いよく開いた。

 

「おーい、一護。帰ろうぜー」

 金髪オールバックの不良が立っていた。

 

 ハンケツなんじゃないか? という腰履きの力漢りきおだ。

「今、行く」

 と、力漢りきおの元に向う。

 

 校門まで出ると、どこからか大ボリュームで音楽が流れている。ここの学生なら聞き慣れた洋楽のHIPHOP。

 

「きゃー」

 と悲鳴が聞こえ

「どけよ! ブスッ──!」

 と怒鳴り声が響く。


 俺達の前を、ラジカセをママチャリの荷台に括り付けた、世にも奇妙な乗り物が、勢いよく爆音のミュージックと共に通過して行く。


 ──半端ねーな、金剛くん……。


「さすが金剛こんごうくん。ちゃんとおかしい」


 力漢は怒鳴り声の主の後ろ姿を見送り、そう言った。


「金剛くんは、〝ちゃんと〟と言うか〝ずっと〟おかしい……」


 俺は苦笑を浮かべ、そう返す。


「あん? 一護──、あれ見ろよ!」

「なに?」

 

 力漢が指差した先に視線を移すと、昨日あった西洋人形が、昨日と同じように同じ場所に座っていた。


「今日って燃えるゴミの日だよな? 俺、出したから覚えてるぜ」


 と力漢が言う。


「業者の人が取り忘れたとか?」

「んな事、あるかよ」

「もしかして──」


 力漢はホラー映画に出てくる、ドロドロと怪異が現れるような恐怖シーンの真似をした。

「はいはい」と、視線を西洋人形に移す。

 

 ──え? あ、あれ?


 目が動いたように見えた。

 俺と人形の目が合ったかのように思えてしかたなかった。


 ──まさかな……。


 心の中で動揺した。感じたことのない胸騒ぎが、俺の影のように張り付いて回る。

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