第17話 新しい恋心
樹令の尾が放つ甘い痛みに、
「陽光はもう、私の体から離れることはないわ。この痣の中に陽光の意志がある。
でもそこに彼の心は無いのよ。私たちは一体となり離れる事はないけれど、昔のように心を通わせる事は出来ないの。私は、陽光の意志を感じられる。ここに在ると触れる事は出来るけれど、陽光の心はもうないのよ・・・」
月李の瞳から、更に大粒の涙がこぼれた。
「月李、僕がいるよ。僕には、僕の心がある。龍の姿の僕は、人魚の君と一体となる事は出来ない。けれど、僕の心はここに在る。君の心とは別に存在する。
僕の心が僕に在る。僕らは、心を通わせる事が出来るはずだ。
まだ永い生涯、君を守り言葉を交わし、それぞれの感触で触れ合うことが出来るんだよ。月李。」
樹令は優しく月李を包みながら語りかけた。
「えぇ、そうね。樹令。この心臓は、あなたに頂いた命。私の新しい心そのもの。大切にするわ。あなたは唯一の私の守り龍ですもの。
これからは私、あなたと共に生きていくわ。」
月李は、再び手に入れた自分の心臓の拍動を感じながら樹令の頬にキスをした。
そして樹令の鱗に触れながら、じっと見つめた。甘くうっとりと、長く。そして感じた。
〈この龍のお陰で、私の望みは叶った。私の心臓も戻って来た。数百年の命がまた約束されたわ。全ては、私が感じた通り。この龍は、決して私を傷つけたりしない。〉
守り龍となった樹令は、月李を取り戻し思っていた。
〈本当に僕は、これでよかったのだろうか?
永い永い時を月李と過ごしたい。側に居て見ていたい。言葉を交わしたい。その一心で守り龍になった。
だけどもう、人間だった頃のようにあの手に触れる事もキスをする事も出来ない。これでよかったのか? 心は通い合い、日に日に深まってゆくのに・・・
陽光、今は君の気持ちが分かるよ。恋が募れば触れたくなる。いつか僕も代わりの龍を見つけて、もう一度人間の姿にと思ってしまう。もう一度、月李に触れてこの恋を終わらせようとも思ってしまう。僕も月李を愛しすぎているんだね。陽光、君と同じだ。
だけど僕は、月李に心臓は渡さない。君とは違うんだ。月李、君との想い出を渡さないよ。僕の心を渡さない。想い出はいつまでも永遠に僕の物だ。
陽光、君の恋心は恐ろしい程に強い。あの時、月李の胸から君を追い出したのに君は戻って来た。僕と月李、二人だけの数百年を過ごしたかったのに。〉
静かな岩場で月光に見守られながら、樹令は月李を包んでいる。
「ねぇ、月李。
もし君がもっとずっと長く人間の姿で生きられ、僕が守り龍になる事をのぞまなかったら、君は僕に恋をしてくれた? 僕を恋しく想い続けてくれた?」
「どうかしら。私が樹令に惹かれた事は事実よ。あなただからいいと想った。
守り龍になってもらうという事は、永い人魚の生涯で私に残された時間をずっと一緒に過ごすということよ。少しでも素敵だと想わない相手なら苦痛でしかないもの。決して守り龍に誘わない。それだけは言えるわ。」
月李はここぞとばかりにまっすぐに樹令を見つめる。
その瞳にドキッとした樹令は、
「それってつまり、君は僕に惹かれ好きになりかけていたってこと?
もっとずっとたくさん好きになる可能性が、これからにはあるってこと?」
「そうね。そうかもしれないわ。これからも続く永い時間の中で、今よりもあなたを好きになるかもしれないわね。」
言い終えた月李は、はにかんでうつむいた。
「そうか。それはよかった。ねぇ、もう一度言ってみて。
‘今よりも樹令を好きになるかもしれない’って。」
樹令はそっと自分の鱗に手を伸ばし、月李の言葉を待った。
「えぇ、いいわ。だって嘘ではないもの。いい? ちゃんと聞いていてね。
‘私は今よりも樹令を好きになるかもしれない。少なくても今は、出逢ったばかりの頃より樹令が好きだもの’」
月李の言葉が止んだ瞬間、樹令は触れていた一枚の鱗を剥ぎ取った。鋭い痛みに一瞬顔が歪む。月李はまたはにかんで下を向いている。樹令はほっとして歪んだ顔を笑みに変える。
「うん。最高だよ。とてもいい気分だ。嬉しくてたまらないよ。
ありがとう、月李。大好きだよ、月李。」
言いながら樹令は天空へ上がり、剥ぎ取った鱗を首から下げた。
〈これで大丈夫。今の月李の言葉をこの鱗に残した。
この一枚は鱗としての命を終えた今、もう新しい言葉も感触も記憶する事は無い。今の月李の言葉を最後に残して。この鱗は、僕の生涯のお守りだ。〉
樹令は再び月李の元へ戻ると、尾で優しく包む。
月李は完全に生気を取り戻したようだ。
「ねぇ、首から下げているその鱗は何?」
「あぁ、これ? これは僕のお守りさ。とても大事なものを入れてあるんだ。」
「そう。とても美しいわ。ねぇ、とても大事なものって何かしら?」
「大事なものは、大事なものさ。月李にも秘密のね。」
樹令は軽やかにウインクすると月李を海鱗宮へ送り、誰もいない月明りの岩場で静かに海を見つめていた。
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