愛の最期

第16話 真実だった恋

 想い出の岩場で月李は、絶え絶えな息で一人座っている。自分の体の中で弱い拍動を繰り返す心臓に、陽光との最期の時を感じている。

 今、自分の胸の中に確かに陽光が居て一つの体に二人が存在している。それを確かめるように胸に手を当てて弱い拍動を感じている。



 上空に、月李を心配して探し回った樹令がやって来た。


「月李!」

月李は薄っすらと目を開け上空を見る。


「あぁ・・・ 樹令。最期に会えてよかったわ。もう、私に残された時間はわずかよ。もうすぐ陽光の心臓は、動かなくなる。その時が私の命も終わる時よ。私たちは一つになったのだから・・・」

月李がやっとの息で言う。


「月李。随分探したよ。君はなぜ、そんなに儚い道を選んだのさ。バカだよ。しかもこんな所に一人で来て。」

樹令の声は涙混じりに聞こえた。


「ごめんね、樹令。そうね。バカね。どうか泣かないで。

 私ね、天空の龍だった陽光と心も体も一つになりたいと思っていたの。陽光に守られるうちに、彼を深く愛してしまったのね。

 でもね、どうやら違ったみたい。私の心は陽光と言葉を交わし通じ合い繋がり合った時、もう一つになっていたのよね。その時にもう、互いにしっかりと心に触れていたのよ。その後私たちは、一つの体に共存し完全に一つになった。

 けれど今はもう、陽光の心に触れる事は出来ない。彼の存在は、こんなにも感じるのに・・・」

消え入りそうな声で話す月李は、微笑みを浮かべている。


「月李、もうしゃべらないで。とても苦しそうだ。」

「いいえ。樹令。あなたには話しておきたいの。あなたとは、ほんの短い間だったけれど言葉を交わし心に触れてきたわ。

 これは私の最期のお願いよ。話しを聞いて欲しいの。


 心はね、2つに分かれ別々に在ってこそ通い合い触れ合えるのだと今頃になって気づいたわ。

 龍と人魚の姿であっても、一つに交わる事が出来ない姿であっても、心に触れられた時の方が幸せだったかもしれない。それに、数百年という永い時が二人に約束されていたもの。」


「そうだね。本当なら君たちには、共に過ごす永い永い時が約束されていた。僕は今、君の守り龍となって側に居られて嬉しいよ。出来る事なら掟通り数百年の時を月李、君と過ごしたかった。」

樹令は、崩れ落ち波にさらわれそうな月李を支えながら言った。


「ありがとう。樹令。あなたが守り龍になってくれたから陽光は人間になれたわ。たった一晩たった一度だけど、私たちの願いは叶ったの。私たちは、同じ姿で互いに触れる事ができ互いを感じる事が出来た。

 樹令・・・ 私の命が尽きたら、新しい誰かを見初めてその娘に私の心臓を渡して。そして二人で、数百年の時を睦まじく過ごしてね。」

月李は言い終わると、全身の力を失くし岩場にもたれかかったまま動かなくなった。


「月李!」


樹令は叫んだ。

 

 岩場にもたれた月李の頬に顔を寄せ、生気に消えかけた体を長い尾で優しく包む。樹令の瞳からぽろぽろとこぼれる大粒の涙が岩場で跳ね、月光を浴びた瑠璃玉となって海へ落ちて行く。


「月李。僕にとって守りたい人魚はただ一人。君だけだ。

 だから、君から預かった君の心臓は、今この時に使わせてもらう。君自身に。僕が見初めた娘は君だけだから。」


 樹令は龍の神力で月李の胸から陽光の心臓を取り出すと、預かっていた月李の人魚の心臓を胸に戻した。すぐに月李の心臓は波打ち人魚の心臓は拍動を始めた。

 取り出された陽光の心臓は紅い塊のように岩場でじっとしていたが、月李の胸にうっすらと残っていた珊瑚の痣めがけて飛び上がり、紅い珊瑚の痣に溶け形をはっきりと浮き上がらせた。


 陽光の心臓は、その拍動を止め体の外へ放り出されてもなお月李への想いを持ち続け、月李の命尽きるまで共に在ろうとした。まるで強い意思を持っているかのように月李の体に貼り付き濃く紅い痣となっている。

月李の肌とは異なるざらざらとした質感を残して。



「月李。月李。」


樹令は呼びかけた。

もう一度、月李に目を開けて欲しくて。その胸で確かに拍動している心臓を信じ、尾に感じる温もりを信じて呼び続ける。


「月李。月李。」


幾度も、幾度も。



 やがて口元がわずかに動き、蒼い鱗に虹色の艶めきが戻り始めた。


「月李。目を開けて。僕だよ、君の守り龍の樹令だ。」

樹令が優しく言葉をかける。


「樹令・・・」


月李が言葉を発した。


「そうだ。樹令だ。月李、僕を見て。僕の顔が分かる? ほら、僕に触れて。」

月李は、樹令の顔に手を伸ばした。


 月李の白い手がゆっくりと樹令の顔に触れる。

「あぁ・・・ 樹令。あなただわ。でも、どうして・・・ 私の心臓は尽きたはず。陽光と私の心臓は・・・」

「あぁ、そうだよ。陽光の心臓は尽きてしまった。君と陽光の時は尽きたんだ。僕が生涯守りたい人魚はただ一人。月李、君だけだ。だから、君から預かった心臓は君に使わせてもらったよ。今は君の胸の中に納まっている。ほら。」

樹令は、月李の白い手を取って胸に当てさせた。


「動いているわ。私の胸が波打っている。心臓が動いているわ。」

月李は、再び自分の胸の内で拍動する心臓を感じた。


「でも、樹令。あなたはこれで本当によかったの?」

「もちろんさ。僕は君に会いたくて、あの消月の夜に浜辺に行ったんだ。

 そして、君と数百年を共に過ごしたくて守り龍になる道を選んだ。君の守り龍になれた時、とても嬉しかったんだよ。

 だけど、消月の夜を眠れずに天鱗宮で過ごし少しだけ後悔したんだ。陽光を龍から追い出してしまったと。自分の望みの為に陽光を追い出したのか? と。

  でも陽光は今、月李と愛を交わしている。さっきまでの僕と同じ姿で。僕が生涯もう、月李と過ごす事の出来ない夜を陽光は今・・・ そう思って後悔したんだ。」


「樹令。あなたは何も悪くないわ。私と陽光が望みを叶える為にあなたを利用したの。ごめんなさい。あなたの美しい恋心を利用してしまったの。本当に、ごめんなさい。」

月李は涙を流した。岩場には、青白く美しい真珠が幾つも跳ねた。


「月李。泣かないで。僕は龍になり君の対になれた。唯一の対に。

 これからまだ数百年の時が僕らにはある。それに君と陽光は、同じ姿になり愛を交わすという望みを叶えた。

 これでよかったんだ。きっと。」

「そうなのかしら・・・ ひどく間違った事を、私はしてしまったのかもしれないわ。あぁ、まだここに陽光は居てくれてるのね。」

月李は、胸の珊瑚の痣に触れながら目を閉じた。濃い紅をした痣は、もう拍動する事が出来ずに在る。


「そうだね。陽光の心臓は取り出されてからもそこに意志があるように、薄くなっていた痣に染み込んで行ったよ。君と絶対に離れたくないようだ。その様子を見て美しい愛だと思った。

けれど、僕の胸はひどく痛み怖くもあった。」


月李を包んでいる尾に力がこもる。

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