第14話 伝説を信じた恋一夜
樹令が天鱗宮へ戻って行く姿を見届けた月李は、陽光を抱き起こすと
「彼は天鱗宮へ戻ったわ。もう大丈夫よ。陽光、あなたは大丈夫? まだどこか痛む?」
「いや、もう大丈夫だ。逆鱗を剥ぐ事に、あんなに激しい痛みが伴うなんて知らなかったよ。でも、本当に人間になれた。あの青年のお陰だ。感謝しなきゃ。これが僕の手だね。君の手と同じだ。」
「えぇ、そうよ。これがあなたの手。これがあなたの脚よ。」
「泣かないで、月李。なぜ泣くの? 同じ姿になったんだよ。僕らは今、同じ姿をしているんだよ。ほら、こうして君に触れているだろう。」
陽光は、月李の頬を伝う涙の粒を払う。
「僕は今、君の頬に触れている。僕の手で。」
「えぇ、そうよ。あなたの手が私の頬に触れているわ。」
月李は、頬に在る陽光の手に自分の手を重ねた。そして、ゆっくり陽光に近付くと優しくキスをした。陽光は、両手で月李を抱きしめた。
月が高く昇り、その形を少しずつ変え始めている。少しずつ深まる宵闇に月が消えてゆく。少しずつ、少しずつ宵闇は深みを増してゆく。その深まりゆく夜に導かれるように、月李と陽光はこの一夜だけの同じ姿の互いの体を確かめ合った。
同じ手脚。同じ肌合い。体の全てを確かめ合い触れられる喜びを味わった。そして、完全な宵闇の中で一つの体となって溶け合った。月は完全にその姿を消し宵闇だけになった。
「月李、僕は嬉しいよ。君と同じ姿になり触れ合い、一つになれた事が。」
「えぇ、陽光。私も嬉しいわ。明日、海鱗宮に戻ってこの子を産むわ。そしてまた、戻って来る。でもその時はもう、一年分の時を重ねているのね。」
「あぁ、そうだね。天鱗宮や海鱗宮での一日は、人間の一年分。僕は君を見送ってから長い時間、陸で君を待ちわびるんだ。」
陽光は少し悲し気に言った。
「そうね。私たちの間には、大きな時の隔たりが生まれてしまった。それでも私は、あなたの元へ戻りあなたを見続ける。今夜の事を想い出しながら。」
月李は陽光の頬に手を当て、陽光は黙って微笑んだ。
空が白み始めている。
すっかり形を取り戻した満月は、もう波端に触れかかっている。
「あぁ、もうすぐ明日が来てしまうね。最後にもう一度。」
そう言って陽光は、月李の頬に触れキスをした。
「もうすぐ、人魚の姿に戻ってしまうわ。」
月李は名残惜しそうに人間の脚を見つめる。満月は今にも波間に隠れようとしている。
「月李。大丈夫かい? 迎えに来たよ。」
守り龍となった樹令が空に現れた。
「えぇ、樹令。ありがとう。私は大丈夫よ。見て。少しずつ脚が消え始めているわ。」
月李の脚は、少しずつ虹色の美しい鱗が戻り始めている。
その様子を隣で見ている陽光が立ち上がり、
「君が新しい守り龍だね。僕と代わってくれて、ありがとう。これから永い年月、月李の事をよろしくお願いします。どうか、守ってください。」
そう言って深く頭を下げた。
そして次に月李の手を握って、
「月李。君に僕の真心を丸ごとあげるよ。どうか受け取って欲しい。そして、もう一つの僕の願い。君の生涯が尽きるその日まで、君と一つの体でいたいという想いを叶えてくれないか? 僕は、珊瑚の痣となって君と一緒にいたい。」
と、月李の手を自分の胸に当て人魚の神力を使い心臓を取り出した。
そして、そのまま月李の胸に埋めた。
「うっ・・・」
小さなうめき声を月李は上げた。陽光の心臓が月李の肌の奥へ入って行く、その美しい白肌に紅い珊瑚の痣が浮かび上がり拍動を始めた。
「陽光! なんてバカな事を。陽光・・・」
心臓を失い徐々に生気を失ってゆく陽光に抱きつき、月李は泣いた。陽光の体は力なく崩れ岩場に伏すと、そのまま波がさらって行った。
「月李。君は戻らなければ・・・」
樹令は泣き崩れる月李に声をかけるが泣き止まず、仕方なく尾で包み帰ろうとする。
すると月李は、自分の手で人魚の心臓を取り出し
「樹令。あなたに私の心臓を預けるわ。私は、陽光の心臓と共に生きる。人間の生涯分しかなくても、彼と一つになって生きる。
だから私の命が尽きたら、樹令あなたは、人間の娘を見初めてこの心臓を与えて。そうすれば、あなたは新しく守るべき愛しい人魚を得て数百年の時を共に過ごせるわ。」
樹令に人魚の心臓を託した。
「なんてことを。君は、なんて事を・・・ 僕たちはこれからって時に。自分でその時を短くしてしまうなんて君は・・・ それ程までに陽光を愛していたの?」
樹令が呟くように聞く。
「分からない。でも、そうかもしれないわ。私は、陽光を深く愛してしまったのかもしれない。ただ伝説に興味があっただけかもしれない。
でも、後悔はしていないし心から愛しいと想う人と一つになる喜びも知ったわ。それは樹令、あなたに出逢いあなたと親しくなれたお陰よ。ありがとう。
心から感謝するわ。」
すっかり人間の脚が消え元の人魚の姿に戻った月李は、朝日に照らされた鱗が虹色に輝き更に美しく見えた。その美しい姿を見た樹令は、自分の心に怒りにも似た嫉妬を覚えた。
しかし、その核心のない嫉妬を押さえ
「月李、もう朝が来た。君の願い通り君の心臓は、僕が預かるよ。僕はもう、君の守り龍だからね。さぁ、帰ろう。君は海鱗宮へ戻らなければならない。」
月李を海へ促した。月李は黙って頷くと、海へと潜って行った。
樹令は天鱗宮へ戻りながら、今、目の前で起きた愛の出来事に圧倒されていた。
〈僕はこれから、月李に残された月日を共に過ごす。彼女の一番近くで寄り添い言葉を交わす。でも、それだけだ。もう、触れる事も出来ない。人間だった頃のキスが恋しい。
陽光、君は両方を・・・ いや、全てを手に入れたんだ。鱗族に君たちの子供まで残して・・・ 月李の全てを手に・・・ 僕は今、正直に言うよ。陽光、君がとても羨ましい。今心に在るのは、強烈な敗北感だ・・・〉
樹令は力なく天鱗宮に戻り、月李の出産と回復を祈った。
海鱗宮に戻った月李は、翌朝、元気な男の子を産んだ。産まれた男児は、すぐに迎えが来て天鱗宮へ召し上げられた。彼はこれから、守り龍としての生涯を生きる事となる。
天鱗宮に来た愛らしい男児を見て樹令は、その子が月李と陽光の子だと思うと胸が苦しくなった。とても愛しいと思う反面、どうしようもなく激しく蠢くものが胸に在るのを感じる。
〈僕は、これでよかったのだろうか? 僕の恋はこれで終わりなのか? この胸の想いを抱き続けて過ごすのか? このまま僕の恋は終えられない。それともこの恋は、いつか愛に変わるのか? 愛ってなんだ?〉
樹令の想いは繰り返され、深い深い迷路になる。
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