第12話 交錯する疑いの視線
一足先に屋敷へ戻った月李は、部屋で竪琴を鳴らしていた。
「今日は、お出かけになられていたそうね。樹令さんを見かけませんでした?」
屋敷の娘が戸口から月李に聞いた。
「えぇ。あの方なら港へ人を探しに行きたいと仰っていたので、私と港へ行き先程まで一緒でしたよ。」
月李が答えると、娘の顔色が変わった。
「あら、ご一緒でしたの? それで樹令さんは、今どちらに?」
「港でお探しの方に会えたようで、お話をされていると思います。」
「そう。そのお探しの方というのは、誰か知ってらして?」
「えぇ。嵐に遭った時に乗っていた船の主だそうです。」
「そう。ありがとう。」
娘は不機嫌そうに部屋を出て行った。
それから程なくして、樹令が船の主を連れて屋敷に戻って来た。樹令は、すぐに船の主を商家の旦那に会せた。二人はやはり知り合いらしく、商家の旦那は大いに喜び一日も早く取引を再開したいと資金援助を申し出た。
「今日は、我が家にキャラバンの歌い手が滞在しているんですよ。これがまた、見事な美しい歌声でして。今晩も演奏を頼んでありますので、ぜひ聴いていって下さい。お宅の美味しい白葡萄酒もありますし。」
「そうですか。それはまた、よい時に伺った。では、ぜひ聴かせて頂こう。」
船の主は、その歌い手とやらが樹令の言う人魚に違いないと思い、今晩の演奏を聴くために留まる事にした。
夜になって月李の演奏が始まると、それは確かにこれまでに聴いた事がない美しい歌声だと船の主は思った。その場の皆もうっとりと聴き惚れている。とりわけ樹令は、じっと彼女を見つめ他に何も聞こえていない様子。
演奏が終わると商家の旦那は、月李に礼を渡した。続いて娘が立ち上り、
「今日は私からも、お礼の品をお渡しするわ。」
と、蒼海玉の装飾が美しい扇子を渡した。
そして月李の耳元で
「お願いだから、この屋敷から早々に出て行ってちょうだい。あなたが居ると、いろいろと面倒なの。これ以上、この家にも彼にも近付かないで。すぐに出て行かないと、その喉を・・・」
と囁き、袖口からキラリと光る短剣をのぞかせた。
月李は一気に顔が青ざめ
「あっ・・・ 貴重な品をありがとうございます。分かりました。明日の朝までには、お暇いたします。」
と言うと、精一杯の笑顔を見せ部屋へ戻って行った。その月李の後を追い立ち上がろうとする樹令を、船の主が引き留めた。
「樹令。あの歌声は特別だ。昔聞いた通り、本当にあの女は人魚かもしれない。いよいよお前は、殺されちまうかもしれないぞ。明日の朝、俺と一緒にここを出て港へ行こう。」
「兄貴、彼女を置いては行けないよ。彼女は明日の夜も、この屋敷で演奏する事になっているんだ。」
「なら、なおさらだ。明日の朝、一緒に出るんだ。商家の旦那には、俺が一緒に礼を言ってやる。いいな。」
二人は連れ立って部屋へ戻ろうとすると、屋敷の娘がやって来て
「樹令さん。ちゃんと体が回復するまで、いつまででもここに居ていいのよ。なんなら父の商いを手伝って、ずっとここに居てもいいのよ。」
と二人の行く手を遮った。
「あぁ、お嬢様。お気持ちは有り難く頂きますが、樹令は私にとっても大事な右腕。生きて会えたからには、私の船でまた一緒に商いをしてもらいたく・・・」
兄貴が商売人の笑みで丁寧に断ると、
「あら、それは残念。ならば、あなたの船に乗ってもいいわ。だけどこちらの港へ来たら、必ずうちへ寄ってくださいね。」
娘は余裕を見せた。
「お嬢様。ありがとうございます。私も主に会えた以上、長らくこちらでお世話になっている訳にも・・・ 近々お暇いたします。」
樹令は、兄貴と部屋へ戻って行った。
夜更けになって、噴水の水音とは違う水音が庭から聞こえてきた。噴水の縁に腰かけた月李が、水を波立たせている。今日一日のあれこれで心が揺れ、眠れずにいた樹令は庭へ出てみた。
「やっぱり。君だったんだね。月李。」
「ふふっ。樹令。あなたに気付いて欲しくて。私、今夜のうちにここを出るわ。今日昼間に、あなたと港へ出かけたでしょう。その事をここのお屋敷のお樹様が誤解しているようなの。さっきの演奏の後で脅して来たわ。私はまだ、この声を失う訳にはいかない。だから言われた通りに、ここを出て行く。」
「そんな事があったの? お嬢様に何て脅されたんだい?」
「彼女は短剣をチラつかせて、この喉を・・・って。だから私、人間でいられる最後の晩まであなたの側で過ごしたかったけど、ここを出るわ。」
「だったら僕も一緒に行くよ。今から一緒にここを出よう。」
「いけないわ。だって一緒に出たらますますお嬢様は怒るわ。それに、あなたのご主人はどうするの? ここに置いていくの?」
「あぁ、そうだね。そうだった・・・ 兄貴は、君の話が嘘だって言うんだ。お前は騙されている。殺されちまうぞって。」
「まさか。必死で助けたあなたを、なぜ私が殺すの? 在り得ないわ。
でも、あなたが私の守り龍になってくれたら、人間のあなたはいなくなる。死んでしまったようにね。そう考えれば、私はあなたを殺そうとしているのかもしれないわね。でも、その先には、数百年という人魚の守り龍としての新しい生涯があるのよ。」
「うん。分かっているよ。君は、僕を殺したりなんかしないって。兄貴には申し訳ないけど、僕は君と生きる。君の守り龍となって永く永く君と過ごしたい。だから僕は、龍になる。どうすればいい?」
「ありがとう。樹令。これからは、あなたとずっとずっと一緒にいられるのね。」
溢れる笑顔で月李は、樹令にキスをした。
「あっ、ごめんなさい。あまりに嬉しくて。明日の夜、夕陽が沈み月が浮かんだらすぐに浜辺に来てほしいの。今日、港に行く途中に通った浜辺よ。」
「あぁ、分かるよ。僕が君に助けられた浜辺だね。」
「えぇ、そうよ。そこに来て。私は、今の守り龍を呼び出して、そこで待っているわ。必ず来て。私、あなたを信じてる。樹令。」
月李は真っ直ぐに樹令を見つめ、もう一度長いキスをした。
「あぁ、必ず行くよ。待っていて。」
樹令が月李の手を握って言うと、月李は離れ難さを振り切って屋敷を出て行く。その後ろ姿を樹令は見送った。
月光の中にただ静かに、噴水の水音だけが響いている。
月李は屋敷を出ると、陽光と話せる場所を求めて浜辺まで歩いた。そして、竪琴を鳴らし美しく唄った。
「月李。君の歌はいつ聴いても素敵だ。あの青年は何て?」
陽光が上空から先に話しかける。
「陽光、心配いらないわ。明日の夜、夕陽が沈み月が浮かんだらすぐに、樹令はこの浜辺に来るわ。あなたと入れ替わる為に。」
それを聞き安堵した陽光は、尾を優しく巻き月李を包んだ。
「あぁ、もうすぐ君と同じ手で君を抱きしめられるんだね。嬉しいよ。僕の恋が叶うんだね。」
「そうよ。明日の夜になれば、人間になったあなたの姿が見られる。あなたの腕や脚は、あなたの顔は、どんな姿なのかしら? こんなに素敵で優しい声だから、きっと素敵な姿でしょうね。」
微笑む月李の姿が、なんとも愛らしい。
「どうかな? 僕にも分からないから、君をがっかりさせないか心配だよ。僕がどんな姿でも、僕に恋をしてくれる? 一晩だけの恋だけど、ずっと覚えていてくれる?」
「えぇ、もちろん。触れ合えるのはたった一晩、たった一度だけれど、あなたはこの数十年ずっと私を優しく守ってくれたわ。大好きよ。陽光。」
「ありがとう。月李。僕もずっと大好きだよ。」
月李は、陽光と明日の約束をして近くの小屋に身を寄せて朝を待つ。陽光は、天鱗宮へ戻りながら心の中で幾度も呟いた。
「明日、やっと僕の恋が叶う。人間の姿になれる。月李と同じ姿になって、僕の恋が叶う。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます