第10話 密約

 翌朝、屋敷の侍従が食事を運んで来た。


「おはようございます。昨夜は、ゆっくりお休みになれましたか? お食事をお持ち致しました。また本日も、夕餉での演奏を楽しみにしております。」

「まぁ、ありがとうございます。」


「いえいえ、大切なお客様ですから。夕餉の演奏までの間は、自由にお過ごしくださいと旦那様から言付かっております。近くを見て回られても構いません。ただ、外出の際には声をかけて頂けると助かります。」

「はい。分かりました。それなら港へ行ってみようと思います。次の船の事もありますし。夕方までには戻ります。よろしいかしら?」

「えぇ、もちろん。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」


 月李は、気晴らしに港へ行ってみる事にした。食事を済ませ庭で竪琴の調整をしていると、樹令がやって来た。


「おはよう。月李。いい音色だね。」

「おはよう。樹令。だいぶ顔色がいいわ。すっかり回復したのね。」

「あぁ。昨夜、君に再会して美しい歌声を聞いたらすっかり好くなった。今日は港へ行くんだって? さっき食事を運んでくれた屋敷の人が云ってたけど。」

「まぁ、そんな話を? そうよ。港へ行ってみようと思って。」


「だったら僕も一緒に行っていいかな? 同じ船のみんながどうなったのか知りたいんだ。誰か助かった人がいるかもしれない。」

「えぇ、そうね。では一緒に行きましょう。」


「よかった。なら、仕度をしなくちゃ。あっ、それと昨夜の話だけど・・・ 本当にあと三日しか人間の姿でいられないの? 僕は、君ともっと長く一緒にいたいんだ。こうして話をしていたい。君の近くで過ごしたい。君が僕の命を救ってくれたからだけじゃないよ。僕は君が好きなんだ。」


「樹令。私が人間でいられるのは、本当にあと三日だけなの。でも・・・」

「でも、なんだい?」

「本当にあなたが、私とずっと一緒に居たいなら・・・ 人魚に戻ってしまった私でも一緒に居たいと望むなら、方法がない訳ではないの・・・」


月李は潤んだ瞳で樹令を見つめる。その瞳からは、今にも涙がこぼれそうだ。樹令は月李の手を握った。


「それは本当? たとえ君が人魚に戻ったとしても、僕は君の側で生きたい。その方法があるのなら教えて欲しい。月李、お願いだ。どうか教えてくれないか?」

月李の手を握る樹令の手に力がこもる。


 今この時と月李は決意する。

「実は・・・ 私たち人魚には、産まれた時から一対の守り龍がいるの。その対は生涯変わる事はないわ。だから、数百年という永い年月を共に過ごす事になる。ずっと一緒よ。その守り龍にあなたがなってくれたら、私たちはずっと一緒にいられるわ。こうして毎日、お互いを前に話す事も出来る。」


「本当に?」

「えぇ、本当よ。」


「でも、君には今すでに守り龍がいるんでしょう? 人間の僕がどうやって君の守り龍になれるって言うの?」

「それは・・・ 今の守り龍の逆鱗を剥ぎ取って、あなたの肩に埋め込めば入れ替われるの。そうしたらあなたは、人間から龍に変わり天鱗宮で暮らし、空を駆け私を守り数百年を共に過ごせるわ。」


「それはすごい。でも、そんな不思議な話があるのかな?」

「あるのよ。あるの。現に今、あなたはこうして人魚の手を握り見つめているわ。今が信じられない?」


月李の瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。その涙はすぐさま真珠に変わり庭に落ちた。


「あっ、涙が・・・」


樹令は庭に落ちた涙を拾い上げ、胸のポケットから前に見つけた真珠を取り出すと

「これも君の涙だったんだね。僕が助けられた晩に、この屋敷の部屋で見つけたんだ。あの夜君は一度、僕を見に来ていたんだね。僕の側で泣いていたんだね。月李。」


「あっ、あの時の・・・ まだ、残っていたのね。全部拾い集めたはずだったのに。そうよ。あの夜、あなたに会いに行ったの。でも、側にはこの屋敷のお嬢様がいたわ。あなたは彼女が助けてくれたと思っていた。私は悲しくて泣いてしまったの・・・ 私たちの涙は、すぐに真珠に変わってしまうのよ。これで信じた? 私が本当に人魚だって。」

「うん。信じるよ。今の話も全部。それでも僕は、やっぱり君と一緒にいたい。

 君の守り龍になってもいいよ。人間じゃなくなってもいい。どうせ僕には身寄りもいないし、帰らなきゃいけない家もない。

 ただ、そんな僕を拾って船に乗せ、商いを教えてくれた兄貴の安否だけは確かめたい。だから、それを確かめてからでもいいかな?」

「もちろんよ。あなたの大事な恩人のことですもの。嬉しいわ。信じてくれて。これからも、あなたとずっと一緒にいられるなんて。」

そう言って月李は、樹令にキスをした。


「じゃぁ、港に行こう。すぐに仕度をするから。すぐ、出発しよう。」

驚いた樹令は慌てて立ち上がり、部屋へ戻って行った。


 月李も部屋に戻り仕度を済ませると、二人連れ立って港へ向かって行った。

 

 

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