第7話 忘れ得ぬ魅惑の歌声
屋敷を離れ浜辺に戻った
「月李。どうした? さっそく何か困り事でも?」
空から声がした。
月李が見上げると、陽光が居た。
「あぁ、陽光。来てくれたのね。ありがとう。実は・・・」
月李は、青年と彼を助けた屋敷の娘の様子を話して聞かせた。
「なるほど。その家は様子からすると商家だ。この辺は海運業やその商船と取引をする商家が多いからね。珍しいものも大好きだ。先ずは異国のキャラバンのふりをして、その商家で唄ってみてはどうかな? 海運業と繋がりのある商家なら、キャラバンに抵抗はないだろうよ。きっと屋敷の中へ入れてくれるはずさ。」
陽光の提案に月李の顔が晴れる。
「陽光。それはいい考えだわ。キャラバンなら歌い手が居てもおかしくないもの。だったら竪琴を用意しなくちゃ。」
「あぁ、それがいいよ。竪琴があった方が格好もつく。」
「そうよね。急いで竪琴を取って来なくちゃ。陽光、少しだけ手伝って。私を運んでくれる? どうも人間の姿は泳ぎ辛くて。」
「分かった。お安い御用さ。海鱗宮の側まで送ろう。」
陽光は月李を背に乗せると、白み始めた空を駆け海鱗宮を目指した。
海へ飛び込んだ月李は、しばらくして美しい瑠璃玉と真珠で飾られた竪琴を手に戻って来た。
「やっぱりあなたと一緒だと早かったわ。ありがとう。随分と助かった。」
「僕は君の守り龍だからね。このくらい何でもないさ。じゃぁ、十分に気を付けて。もしもの時は、すぐに迎えに来るから。」
「うん、ありがとう。もし何かあったら、またこの浜に来る。どうしようもない時はすぐに、口笛を吹くから。」
「うん。約束だよ。じゃぁ、気を付けて。」
それからしばらく、月李はあの青年を助けた屋敷の様子をうかがった。
やはり陽光が話していた通り、この家は海の向こうから来る商船が主な取引先の商家のようだった。毎日のように港に行っては、珍しい品や酒、貴石などを買い求め町にある店に卸している。
月李は、屋敷を離れ港をうろつき船を探すキャラバンのふりをする。そして、あの屋敷の主を見つけると話しかけた。
「あの・・・ すみません。船を探しているんですが。三日前にこの港に着いているはずの大きな商船で、お酒や布、貴石をたくさん運んで来た船なのですが・・・ 知りませんか?」
男は、月李の話を聞くと険しい顔になり
「あぁ、お嬢さん。残念だがその船は、港に着く前に嵐で難破してしまったよ。」
と言った。
「まぁ、どうしましょう。困ったわ。その船に乗って、旅の間中唄う事になっていたのに。新しい町にも行くはずだったのに。」
「それはお気の毒に。うちの屋敷にも今、その船に乗っていた青年が運び込まれて休んでいるよ。浜に打ち上げられていた所を助けたんだ。そうだ。よかったら今晩、うちの屋敷で演奏をしてくれないか? きっと、その青年の回復にもよいだろう。」
男は、月李に屋敷に来てくれるよう持ちかけてきた。
「まぁ、よろしいのですか? 私の歌を聞いてくださるのでしたら、喜んで伺いますわ。」
「あぁ、キャラバンの方は大歓迎だ。うちの屋敷には時々、招いているのだよ。普段は聞けない異国の歌を聞かせてくれたりするからね。屋敷の者たちも大喜びで、楽しみにしているのさ。ぜひ、来ておくれ。」
月李は、男が用意した馬車に乗り屋敷へと向かった。異国のキャラバンを装い屋敷へ入り込む事が出来た月李は、あの青年に歌声を聞かせる機会も得た。
屋敷の主はその晩、酒や料理を用意し家中の者を集めて月李の演奏を聴かせた。主の娘は、あの青年を連れて席に付いている。広間は多勢の家人でとても賑やかになった。
竪琴が美しく響き月李が歌い始めると、すぅーと潮が引いたように静かになる。広間には、月李が奏でる音だけが美しく響く。妖魚に教えてもらった様々な国の歌を月李は唄う。皆はうっとりと聴き入っている。
そして最後に、特別な人魚の歌が響く。
すると、あの青年は目を見開き驚いているのが月李にも分かった。
〈よかった。この歌で思い出したのね。そう私よ。あなたを海から助け浜辺に着くまでこの歌を唄って聞かせたのは。〉
心の中でそう呟きながら月李は、特別な人魚の歌を唄い終えた。屋敷の者達は、大拍手で喜んでいる。
「いやぁ。お嬢さん。実に美しい歌声だ。ありがとう。皆とても喜んでいる。よかったら、しばらく我が屋敷に留まり時間の許す限り演奏を聞かせてはくれないだろうか?」
主の男が立ち上がって言うと、屋敷の者達は次々に賛同の拍手を送る。
「まぁ、ありがとうございます。旦那様。では、次の船が見つかるまでの二晩くらいでしたら。お言葉に甘え、こちらのお屋敷で演奏させて頂きます。」
「そうか。それはいい。ぜひ、そうしてください。みんな、あと二晩は美しい演奏がきけるぞ。」
主は喜び、屋敷の者達の拍手も大きくなった。
自分の歌を人間がこれ程までに喜んでくれるとは、月李にとって嬉しい誤算だった。改めて人魚の歌声の神力を実感した。
演奏を終えた月李は、屋敷の奥へ案内された。途中の小さな内庭に見覚えのある噴水が見えた。どうやら客間へ向かっているらしい。その噴水のある内庭を囲むように客間が鍵状に並んでいる。あの青年のいた部屋を通り過ぎ一番奥の部屋が、月李に用意された部屋だった。
「キャラバンのお嬢様。三日間はこの部屋をお使いください。何か欲しい物があれば何なりとお申し付けください。
あの・・・ 私はこのお屋敷にお仕えし幾度かキャラバンの演奏を聞きましたが、今日のあなたの歌が一番です。本当に美しい歌声と竪琴の響きでした。ありがとうございます。では、ごゆっくりお休みください。」
そう言って屋敷の者は、着替えや食事を置いて出て行った。
〈あんなに喜んでくれるなんて、私も嬉しいわ。あの青年も思い出してくれたようだし。あと二晩の内になんとかしないと・・・〉
月李は、月光に照らされた美しい噴水を眺めながら置かれた食事に手を伸ばした。
屋敷の上空では、陽光が様子を見守っている。
〈よかった。無事に屋敷に入れたんだね。人間の青年にも会えたようだ。月李の歌声を聞けばあの青年も必ず、助けられた夜のことを思い出すはず。大丈夫。
でも・・・ それでいいのかな? 僕は、僕の心は・・・ このまま事が上手く運んでそれでいいのか?〉
月李が食事を終えた頃、廊下を歩く人の気配がした。
「樹令さん。とても素敵な演奏だったわね。」
「あぁ、そうでしたね。とても美しい歌声だった。」
どうやら主の娘とあの青年のようである。二人は青年の部屋に着くと
「お嬢様。部屋まで送って頂き、ありがとうございます。今日は少し疲れました。このまま休ませて頂きます。」
青年は娘を帰した。
そして一人部屋に入ると、灯りも点けずにぼんやりしている。
〈あの歌は、僕が助けられた夜からずっと耳に残っている歌だ。それにあの声。間違いない。あれは、僕を海から助けてくれた人の声だ。あの夜、僕は確かに聞いていた。波の上を漂いながら、あの美しい声を。今夜のキャラバンの女性が、本当に僕を助けてくれた人だ。〉
青年はすっかり思い出した。
浜辺に打ち上げられたのではなく、波の中を誰かに運ばれた事を。そして、波音とともに遠い意識の隙間に残された歌声の事を。
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