第6話 美しき救出者

 妖魚の元へ着いた月李は、ノックもそこそこに扉を開けて

「妖魚のお姉様。遅くにごめんなさい。でも、急ぎのお願いがあるの。今すぐに私に脚を。私を人間の姿にして欲しいの。」

部屋の奥に進みながら早口で話した。

「あらまぁ、月李。随分と急いでるのね。一体どうしたというの? さては、さっきの嵐ね。嵐で人間の男を見つけたのね。」

妖魚は、にやりとして言った。

「えぇ、そうよ。さっきの嵐で難破した船から青年を助けたの。だから、これからもう一度会いに行くの。今、浜辺に寝かせてきたわ。急いで。」

「そう。分かったわ。すぐに薬を用意するから。ここで待っていなさい。」

妖魚は立ち上がり奥の棚へ薬を取りに行った。その後ろ姿に向かって月李は、

「お姉様。急いでお願い。」

と声をかけた。少しして妖魚が薬の瓶を手に戻って来ると、

「そんなに慌てなくても大丈夫よ。ちゃんと唄ったのでしょう? 人魚の歌を。青年を助けた時に、その美しい声で。その声と歌を人間の男は忘れられない。それに、難破船から助けたのなら気泡も飲ませたのでしょう?」

妖魚は余裕のある微笑みで月李を見つめる。

「えぇ、そうよ。教えられた通り青年を助けてすぐに気泡を飲ませ、波と共に運び浜に寝かせるまでの間ずっと、あの歌を唄って聞かせたわ。」

月李はまだ焦った様子で話す。

「ならば大丈夫。もう一度会って、歌声を聞けば必ず思い出すわ。そして月李、あなたにすぐに惚れるはず。恋が始まるのよ。」

「本当に? 本当に大丈夫?」

「えぇ、もちろん。人魚は皆そうやって恋を成就させてきたのだから、大丈夫よ。ただし、人間でいられるのは七日間だけ。月李の場合、そうね。ちょうど今度の満月までよ。あら、いけないわ。今度の満月は、消月の夜。守り龍が眠りに就くわ。十分に気を付けてね。月李。   

 月が沈み朝日が昇り始めたら、あなたは人魚の姿に戻ってしまうのよ。それまでに、いいえ、満月の夜までに全て事を済ませてしまいなさい。恋を成就させておくの。そして海鱗宮へ戻って来て。その方が安全だわ。いい? 分かったわね。」

妖魚は確かな口調で念押すように言った。

「お姉様。分かったわ。朝日が昇り始めたら人魚の姿に戻ってしまうのよね。しかも消月の夜には、守り龍が来ない。何かあっても私一人の力で乗り切らなければいけないのね。」

「そう、その通りよ。だから早く戻りなさい。出来るだけ早く。月李、気を付けて。これを飲んだら、痛みと共に少しずつ脚に変わるわ。さぁ、行きなさい。」

「妖魚のお姉様。ご心配ありがとう。行ってきます。」

 月李は小瓶の薬を飲むと、急いで浜辺へと泳いだ。海はすっかり穏やかになっている。再び現れた上弦の月は、だいぶ西に傾いている。

〈さぁ、急がなくちゃ。出来ればあの青年が目を覚ます前に、もう一度会わないと・・・〉

 妖魚は月李が出て行った後、すぐに法螺貝を一つ鳴らした。人魚が人間の姿に変わり陸へ向かうときの特別な合図だ。こうして守り龍である陽光に、月李が人間の脚を得て陸へ向かった事が知らされた。法螺貝の響きを天鱗宮で受け取った陽光は、すぐに月李を守る為に夜空を駆けた。

 激しい痛みが月李の体を走り次第に尾ひれが脚に変わってゆくと、泳ぎ辛く少しずつしか進めなくなった。浅瀬に着いた時には尾ひれはなく、すっかり人間の美しい脚に変わっていた。月李は、真珠色の美しい衣を着て浜辺を探すが青年の姿が見当たらない。

〈どうしましょう? あの青年がいないわ。もう完全に意識を取り戻して、何処かに行ってしまったのかしら?〉

焦る月李は、青年を寝かせた辺りを探し回った。すると浜辺に、幾つかの足跡が同じ方向へ進んでいるのを見つけた。

〈誰かがあの青年を運んだのかしら?〉

月李はその足跡をたどる。途絶えた足跡の先に車輪の跡がくっきりと残っていた。

〈ここから荷車か何かに乗せ、固い道を行ったのね。このまま車輪の跡をたどってみるしかないわ。〉

月李はひたすら車輪の跡をたどり、白壁の大きな屋敷に着いた。

〈ここだわ。きっとこの家の人に助けられたんだわ。でも、どうしましょう。どうやって確かめたらいいのかしら?〉

夜もすっかり更け、辺りはしんと静まり返っている。仕方なく月李は、そーっと門から中へ入ると壁づたいに歩いてみた。すると、小さな噴水がある内庭の奥に灯りの点いた部屋が見えた。月李は噴水の奥に身を隠し部屋の様子をうかがうと、若い娘が腰かけているのが見えた。

「はっ。目が覚めたのね。ご気分はいかが?」

娘が誰かに話しかけている。その時、娘の側で起き上がろうとする青年の顔が見えた。

〈あっ。あの青年だわ。よかった。意識を取り戻したのね。生きているわ。やっぱり、この家の人に助けられていたのね。〉

月李はほっとして噴水にもたれた。しかし、聞こえてきた青年と娘の会話に息が止まった。

「君が、海から僕を? ずっと側に居てくれたの?」

「えぇ、そうよ。あぁ、まだ横になっていて。あなたは嵐で海に放り出されたのよ。幸運にも浜辺に打ち上げられていたのを、私の父が見つけてここへ運んだの。それからずっと、私が側に。」

「そうか・・・ それは迷惑をかけてしまったね。申し訳ない。それに、着替えまで・・・」

「いいのよ。今は気にしないで。温かいスープを用意したの。きっと体が温まるわ。飲めるかしら?」

「あぁ、ありがとう。頂くよ。」

青年は、娘が運んで来たスープを少しずつ飲んだ。

 噴水の陰で月李は、焦っていた。

〈何ですって? あの青年を海から拾い上げ浜まで運んだのは私なのよ。本当に助けたのは私なのに。どうしましょう。困ったわ・・・〉

青年は、すっかり自分を助けてくれた人魚の事など忘れている様子。

〈このままでは、助けた事が水の泡になってしまう。せっかく人間の脚を手に入れて戻って来たのに。〉

月李は焦る気持ちを押さえながら部屋の様子をうかがうと、青年は微笑みながら娘の手からスープを飲んでいる。娘はうっとりしながら青年を見つめている。

「ありがとう。君のお陰でとても温まったよ。」

「いいのよ、これくらい何でもないわ。気にしないで。さぁ、もう少し休んで。明日の朝、また様子を見に来るわ。」

娘は青年を寝かせると、灯りを小さくして部屋を出て行った。薄暗くなった部屋に月李がそっと忍び込み、青年の顔を近くでもう一度確かめる。

〈間違いない。あの青年だわ。よかった。だいぶ顔色もいい。でも、どうしましょう・・・ 彼はあの娘を・・・〉

月李は青年の傍らで寝顔を見つめる。だが成す術も浮かばす、ただ悲しくなるばかりだった。

 月李は、囁くような小さな声で人魚の歌を唄った。青年を浜まで運ぶ間中ずっと口づさんでいた歌だ。思わず涙がこぼれる。月李の瞳からこぼれた涙は、人魚の時と変わらず真珠の粒となって辺りに散った。

〈あら、いけない。涙は真珠のままなのね。人間になって間もないからかしら? これじゃぁ、七日間は人前で泣いてはいけないわ。きをつけなくちゃ。〉

月李は慌てて目の前の真珠を拾い集め、青年の側を離れると一度屋敷を去る事にした。

 夢の中で美しい歌声を聞いていた青年は不意に目を覚まし、何となく感じた人の気配に起き上がった。すると真珠が一粒、白み始めた空の灯りに光って床に落ちた。

〈真珠? なぜこんな所に一粒だけ? 美しい。今まで見た中で一番美しい輝きだ。それにさっきまで、美しい歌声を聞いていたような・・・ そういえば、海に落ちた時も同じ歌を聞いていたような気が・・・〉

青年は真珠を拾い上げると、胸のポケットにしまった。まだ耳に残る美しい歌声を聞きながら、また深い眠りに落ちていった。

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