恋の始まり
第5話 難破船の男
夕暮れが深まり宵闇が広がる。上限を迎えた月が昇り輝きを放っている。月李は、紅珊瑚から聞いた話が胸に残って眠れず海鱗宮を飛び出し、一人岩場で月を眺めている。その月明かりの下、遠く沖合を一隻の船が渡って行く。
「本当に消月の夜は、龍の神力が封じられるのかしら? だとしたら、それまでに私も陽光も人間の姿になっていれば、誰にも邪魔される事なく同じ姿で過ごす事が出来るわ。最愛の人との子を鱗族に残す事が出来る。」
そう思った月李の胸の鼓動は、激しくなった。
その月李の鼓動と響き合うかのように、夜空はみるみる雲に覆われ月が見えなくなった。怪しく蠢く雲に嵐の気配を感じた月李は、海鱗宮へと戻った。
程なくして雨が降り出した。
夜更けと共に雨は強まり風が激しい波を起こし、荒れた海に一隻の船が飲み込まれようとしている。月李は胸騒ぎを覚え、海鱗宮を飛び出し海面へ向かって泳いでゆく。
〈さっき見かけた船は、大丈夫かしら?〉
岩場から眺めた付近へ来てみると、倒れた船とそこから放り出された積み荷と人々が漂っていた。
〈まぁ、大変。嵐に耐えきれなかったのね。〉
目の前に広がる光景の中に、ひと際美しく目を引く青年を見つけた。月李は、急いで近寄り抱きかかえ口から気泡を飲ませた。そして、青年を海面まで引き上げると胸を押し心臓の拍動を呼び起こす。青年の心臓はわずかに波打ち息が戻る。
「よかった。また動き出した。大丈夫。息も吹き返したわ。」
月李はもう一度気泡を飲ませ、青年の深い息を呼び起こそうとする。
青年は虚ろな意識のまま月李に運ばれ、海面を浜辺へと漂っている。その間中、月李は美しい声で唄い青年を穏やかに包んだ。月李の美しく優しい歌声に包まれ、青年は安心しているのか笑みを浮かべている。
〈もう大丈夫ね。よかったわ。深く確かな息が戻っている。この人を浜辺へ送ったら、急いで妖魚の処へ行きましょう。そして人間になってもう一度、この人に会いに行きましょう。〉
月李は唄いながらそう思っていた。
再び雲の隙間から上弦の月が海を照らし始めた。
月李は青年を、海面に出来た美しく青白き道に沿って運び波打ち際に寝かせると、急いで海へ戻り妖魚の元へ向かった。青年は、波打ち際に横たわったまま動かないでいる。
突然の嵐に、浜辺の村では見回りが始まっていた。港に近いこの辺りの村では、船を持つ家や商船との取引をしている者が多い。だから嵐の後には、見回りをするのが慣例となっていた。
浜辺を見回っていた男が、横たわっている青年を見つけ駆け寄った。
「おい、しっかりしろ。大丈夫か? おい。」
男が手提げの灯りで青年の顔を照らすと、わずかに顔が歪んだ。その一瞬の変化に男は
「おい! 目を覚ませ。しっかりしろ!」
声を荒げ青年の顔を叩いた。
「うぇっ、ぶふぉ。あっ・・・」
青年は目を開け、意識を取り戻した。
「おい、わかるか? 生きてるぞ。あぁ、よかった。しっかりしろ。」
男の声に反応した青年は、じっと目の前の男の顔を見た。そして更に目を見開き
「船は? 船はどうなりましたか? みんなは何処に?」
と聞いた。
「やはりそうか・・・ 今晩港に着くはずだった商船の者だな。先程の嵐で船は転覆した。他の者の生死は、まだ分らない。ただ、多くの者が海の中に投げ出されたと・・・」
男が港で聞いたままを話すと
「そんな・・・ そんな・・・ なら、俺はどうしてここに?」
「それは分からん。運が善かったのだろう。波に運ばれ浜に打ち上げられたようだ。」
青年は落胆し、再び気を失ってしまった。
男は侍従と共に青年を抱き上げ荷車に乗せ屋敷へ連れ帰った。
青年を連れ帰り男が屋敷に着くと、娘が出迎えた。
「まぁ、お父様。どうなさったのです? その方は?」
「あぁ。今晩港に着き、明日うちと商談をするはずだった商船に乗っていた青年だ。先程の嵐で船から放り出され、運よく浜に打ち上げられたようだ。」
「それは大変。すぐに何か温かい物を用意致しますわ。それと・・・」
「あぁ、何か着替えになるような物も頼む。」
男は娘にそう頼むと、青年を客間へ運んだ。
そして、青年の濡れた服を着替えさせると暖かな布団に横にならせた。
「お父様。温かいスープをお持ちしたのですが、飲まれるかしら?」
娘が入って来た。
「あぁ、すまない。もうすぐ目を覚ますだろう。そうしたら飲ませてやればいい。」
「分かりました。では、もう少しここで様子を見てみます。」
男は後を娘と侍従に託し、客間を出て行った。
娘は、青年の側でじっと顔を見ている。
〈美しい顔をしているわ。歳は幾つかしら? まだ若そうだけど・・・〉
暖かい布団に包まれ、青年の顔は少しずつ紅みを帯びてきた。
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