第8章 板橋
生き残った会津藩士の多くは、故郷に戻っていった。新政府軍の矛先は、越後、会津に向いており、新たな戦の準備が必要だったのだ。りょうに再会した後、三郎は会津藩と離れ、ひとりで、下総に向かった。
勇らは新選組の再起を賭け、会津へ行くために、隊士を集めていた。表向きは旧幕臣の鎮撫隊であった。
三郎は、下総で脱走した新選組の隊士から、その話を聞いた。
(俺は、勇先生を助ける!)
三郎は、板橋に走った。勇は、板橋の脇本陣である、豊田家に収容され、旗本岡田家の監視下におかれていた。勇に従った野村利三郎は一緒に捕らえられ、別室で縄に繋がれていた。また、その後に勝海舟の文を届けた相馬
脇本陣は岡田家の監視が厳しく、三郎でも、忍び込むことは容易ではなかった。三郎は、もしかしたら、歳三が勇を助けに来るかもしれない、と数日待ってみたが、歳三の来る気配はなかった。このとき、歳三はすでに江戸を脱出し、下総
(やはり、あの人は、勇先生を捨てたんだ。野村も、相馬も見殺しにするつもりだ)
と、三郎は歳三に怒りを覚えた。自分はどんなことをしてでも勇を脱出させる、と決心した三郎は、ある夜、ついに脇本陣に忍び込んだ。
勇の捕らえられている部屋の床下に潜ると、三郎は床板を叩いた。
「勇先生、三郎だ」
と言うと、勇がその声に気づき、
「三郎?何を無茶なことを……!岡田家の家来が大勢見張っているというのに」
と言った。
「部屋の前にいた見張りには、眠ってもらってるぜ。韋駄天小僧を甘く見んな」
と、三郎は小声で得意気に言った。勇は、そんな三郎の姿を想像して、微笑んだ。
「助けに来たぜ。今、床板をはずして、あんたを出してやるからな」
と三郎が言ったとき、勇が、
「だめだ。三郎。俺は逃げない」
と言った。落ち着いた声だった。三郎は驚いて、
「なぜだ?このままじゃ、首を切られちまうんだぜ!侍が、コソ泥の類いと同じ扱い受けてもいいのかよ!?」
と聞いた。
「俺だけが逃げる訳にはいかんのだ。別の部屋に、野村や相馬もいる。あいつらを残しては行けない」
勇は答えた。
「だから、あいつらも追って逃がすって。まずは、勇先生からだ」
三郎はそう言うと、勇がふふ、と笑ったように感じた。
「無理だよ、三郎。俺がいなくなったのが知られたら、その場でふたりは殺される。俺は、あのふたりに罪を負わせたくはない。野村も相馬も、まだ若い。お前より少し上なだけだ。若いやつらには、生きてその先を見届けてほしいんだ。お前にもな。俺は、自分の『誠』を尽くした。もうじゅうぶんだ」
勇が言うと、少し間をおいて、三郎が呟いた。
「また……『誠』か……!俺にはわからねぇよ、そんなこと」
「自分の心の中に、本当に守り通したいものができれば、きっとわかるさ……俺はな、三郎……トシから、『幕臣、大久保大和』として通せ、と言われて、最初はそのつもりだった。だが、その反面、悔しかった。俺の貫いてきた『誠』は、俺のものだ。『大久保』のものではない。総督府に加納くんと清原くんがいると知ったとき、実は正直、ほっとした……俺は、『大久保剛』でも、『大久保大和守』でもなく、『新選組局長、近藤勇』として死んでいけるんだ。これほどに嬉しいことがあろうか……」
勇の言葉を聞きながら、三郎の目から、涙がこぼれ落ちた。もう、勇を助けることはできないのだと三郎は悟った。
「三郎、ひとつだけ願いがある。聞いてくれるか?」
勇が言った。三郎は涙を手でこすり、
「勇先生のためなら、何でもするぞ」
と答えた。
三郎は走った。勇の願いを聞き届けるために。勇が生きているうちに、それを見せたかった。
「下総で、新政府軍に投降するときに、置いてきてしまった刀がある。『
それが、勇の願いだった。
慶応4年(1868)4月25日、その日は雲ひとつない青空だった。板橋の刑場には、竹矢来が立てられ、見物人が大勢いた。その中に引き立てられたきた勇は、おだやかな表情をしていた。
(ありがとう、三郎……あとを頼むぞ……)
新選組局長、近藤勇は斬首された。勇の首が切り落とされるのを見た三郎は、ある決心をした。
近藤勇の首がすり替えられた、と噂になったのは、首が京の三条河原に晒されてからであった。
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