第7章 潜入

 その年も押し詰まった28日、伏見屯所で山崎が、三郎に4両を渡し、重要な任務を告げていた。それは、

『薩摩藩陣営に潜入し、薩摩の作戦を見破り、証拠品を押収せよ』

というものだった。江戸から、『討薩の表』を携えて大坂に上陸した幕府軍は2万あまりだというのに、薩摩や長州には、ひるむ様子がみられなかった。薩摩が何か必勝策を講じていると推測した山崎は、薩摩陣営に、間者として、三郎を送り込ませることにした。すでに、荒木という者が入り込んでいたが、薩摩を糾弾するための証拠をつかめないでいたのだ。


 「韋駄天、これはかなり難儀なお役目や。気張っとくれな!」

山崎は言った。薩摩藩邸には、何が仕掛けられているかわからない。下手をすれば、命に関わる。以前、長州藩邸に忍び込んだ時、三郎は瀕死の重傷を負っていた。だが、三郎は、

「心配はご無用です。必ず証拠をつかんで戻ります。俺には待っててくれる幼なじみがいますから」

と笑って見せた。

「良蔵か?やつも大坂城で気張っとるで。わしは新選組の医者の役目は、すべてあいつに託した。探索の役目も、これからはあんたが仕切るんや。そのための大事なお役目やで」

山崎は、いつになく真剣な顔をして言った。

「わしは、わしの手で育てた、逞しいふたりの若もんに後を任せられて幸せや……頼むで、韋駄天」

いつもと違う山崎の言葉に不安を感じた三郎は言った。

「俺、またここに戻ってくるから、必ずいてくださいよ!山崎さん!」

「大丈夫や。お役目、しっかりな」

山崎は頷き、笑顔で三郎を見送ってくれた。


 だが、三郎が生きている山崎を見たのは、これが最後だった。


 薩摩藩邸に侵入した三郎は、数日かけて、藩邸内をくまなく探った。正月の3日に伏見で戦が始まった。砲声が聞こえる中、三郎は妙な部屋があるのに気づいた。警備も厳重だったが、韋駄天小僧にとって、警備を突破するなど、お手のものであった。衛兵を絞め技で気絶させると、鍵を奪い、中に入った。


 中には、とんでもないものがおかれていた。それは、朱の幅広い布地に、皇室の菊花紋(十六葉八重表菊じゅうろくようやえおもてきく)をあしらった旗であった。明らかに最近作られたと思われるものであり、他にも、赤い布地や、作成途中の菊花紋の布地が置いてあった。

「これは、『錦の御旗みはた』……か?」

三郎は、いや、この時代の誰もが、『錦の御旗』など知るはずがなかった。だが、三郎は確信した。

「『錦旗』が、薩摩藩邸で作られている!それも、大量に……!薩摩は、偽の錦旗を作り、自分達が官軍であることを誇示するつもりでいる。薩長を敵とする徳川の方を、逆賊に仕立て上げる作戦だ!これは、薩長の陰謀だ!」

三郎は、錦旗をはずそうとしたが、大きくて、それを持ち帰ることはできそうになかった。仕方なく、布地の一部を切り取って懐に入れた。他に何か、陰謀の証拠になるものは無いかと探していると、文箱の中に、書き付けのようなものが保管されていた。


 「これは、街道沿いの藩との、寝返りを約束した証文だ!」

徳川の援護をするはずの淀藩や、藤堂藩などが、薩長両藩への恭順を示していた。

「このままでは、幕府軍は味方に攻撃されてしまう。早くこれを持って戻らなければ……」

と、三郎が手を伸ばしたそのとき、背後で大きな衝撃音がして、周りが火に包まれた。幕府軍が、薩摩藩邸を攻撃しているのか、と三郎は思った。だが、あまりに火の回りが早い。すでに部屋の外には火が迫っていた。

(おかしい。砲撃のひとつやふたつで、屋敷中が火事になるはずはない。薩摩め、最初から、証拠をすべて消し去るつもりだったか……!)

必死でその手に証文を握り懐に入れ、倒れた木材の隙間から三郎が出ようとしたとき、二度めの爆発があり、三郎の意識は遠退いた。


 「……天、韋駄天、しっかりしろ」

冷たい風を感じて目を開けると、そこは会津藩の陣営だった。あれから、どのくらい時がたったのか、三郎にはわからなかった。

「あんたは……」

目の前の兵士は、会津藩の笠と袖章をつけていた。

「荒木だ。お前のことは、山崎さんに聞いていた。間一髪だったな。俺がお前を部屋から引き出したすぐあとに、建物が焼け落ちた。やつら、屋敷中に油や、爆薬をしかけていたらしい。最初から、あの藩邸を燃やすつもりだったんだ。証拠はすべて灰になってしまった。お前も早くこれを付けて、会津の兵士として行動しろ。皆、江戸に戻るんだ」

「江戸に戻る?」

「殿様たちがみんな逃げてしまったのさ。容保かたもり公も、桑名の定敬さだあき公も、慶喜よしのぶ様が連れていっちまったらしい」

「なんだって?新選組はどうした?」

荒木は黙っていた。

「教えてくれ、山崎さんや、斎藤……山口さんはどうしたんだ?無事なのか!?」

三郎が聞くと、荒木は、

「惨敗だ……ずいぶん死んだらしい。誰がどうなったかまでは、わからん。さあ、早く支度するんだぞ。怪我人は船で帰れるそうだ。お前はその中に潜り込んで戻れ」

そう言い残すと、荒木は行ってしまった。三郎は、荒木が残した会津藩の陣笠と袖章をつけた。ふと、思い出したように、懐を探ると……ない。意識がなくなる前に、懐にいれたはずの布地と証文が消えていた。


 ……やられた、と三郎は思った。荒木、と名乗ったあの人物は、本当に山崎の下で動いていた仲間なのだろうか……?もしかしたら、途中で薩摩に寝返ったのか?三郎を助けたのは、せめてもの、新選組への気持ちだったのだろうか?……今となっては、確かめるすべもない。探索としての目的を果たせなかった三郎は、沈んだ気持ちのまま、会津藩の兵士に混じり、正角しょうかく丸という船で江戸に帰還した。


 品川に船が着いたあと、相次いで入港したのが、順動丸と富士山丸であった。三郎は、富士山丸で帰還した会津兵から、山崎が富士山丸の船中で息を引き取ったことを聞いた。

(俺は……山崎さんの仇をとる……薩長に思い知らせてやる……)

三郎は、会津陣営に残り、会津藩士として行動した。その方が情報を得やすかったからだ。


 やがて、江戸に残留する藩士らと共に旧幕府軍にも加わった。最初の出陣は、甲府鎮撫であった。この時、鎮撫隊の隊長の『大久保剛』という人物が、勇であることを聞いた。聞けば、新選組は錦旗に逆らった逆賊だとされ、『新選組』の名も、『近藤勇』の名も、使うことができないのだという。三郎は悔しさに震えた。

「勇先生は、逆賊なんかじゃねぇ!!あれは、薩摩が勝手に作った、偽の錦旗だ!」

思わず声を出したとき、近づいてきた青年がいた。

「君も、新選組なのか?」

三郎と同じ年くらいのその青年は会津藩士で、山崎壮介やまさきそうすけ、といった。自分は京の頃から、近藤勇のことを尊敬している、逆賊なんて、薩長に媚びた幕閣連中が勝手に言っているだけだ、と強気だった。

「お、俺は、新選組なんかじゃねぇよ!」

と、三郎は慌てて否定した。山崎壮介は、そんな三郎に微笑みながら、

「きっと、僕よりも、近藤どののことを、良く存じておられるのだろうな。僕は、このたび、新選組の一員として、行動させていただくことになった。近藤どのの近くで働けるなんて、夢のようだ。お互い、自分の『誠』を尽くして戦おう」

「自分の『誠』?」

三郎が聞くと、山崎壮介は、不思議そうな顔をした。

「『誠』は、新選組の旗印ではないか。己の信ずるもののために戦うという志だ。君にもそれがあるから、ここまで来たのだろう?」

三郎は答えられなかった。自分の信じるものなんて、今まで考えていなかった。勇のため、山崎のため、斎藤のため、にしか動いてこなかったからだ。

(俺に『誠』なんて……ねぇよ……)

と、三郎は心の中で思った。


 甲府鎮撫は、失敗に終わった。鎮撫隊は敗走し、新選組は、その結成時からの仲間まで失うことになった。山崎壮介は新政府に捕らえられた。帰順すれば命は助ける、という新政府に対し、

「新政府への帰順は、我が『誠』に非ず」

として、斬首された。二十歳であったという。


 江戸に戻った三郎が、新徴組の屯所でたまたま出会ったのが、沖田林太郎であった。新徴組は、江戸を引き払って庄内に移る準備をしており、幕府軍の兵士も、その準備を手伝っていた。沖田林太郎は、歳三から義弟の病状を伝える文を受け取っていた。

林太郎の義弟とは、妻、おみつの弟、沖田総司である。そして、沖田の看病をしていたのが、りょうであった。


 林太郎は、自分はとても千駄ヶ谷にいっている間がない、妻一人をやるには危険すぎる、と悩んでいた。三郎は、自分が護衛としてついていく、と申し出て、おみつに従った。三郎は、自分が生きて戻っていることを、りょうだけには伝えたかったのだ。三郎にとっても、りょうは失いたくない、ただひとりの『幼なじみ』だったのだ。


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