第6章 幼なじみ
慶応3年(1867)の正月を、三郎は畳の上で迎えた。怪我のため、正しくは布団の上、だったが。その怪我もだいぶ良くなってはいたが、まだ一人で歩くことはできなかった。
正月の三が日過ぎ、それまで留守だった斎藤が家に戻ってきた。だが、その翌日から一日中ごろごろしていたので、三郎が聞いた。
「斎藤さんは、どうして仕事に行かない?」
すると、斎藤はむすっとしたまま、
「俺は謹慎中だ」
と答えた。
「謹慎って、なにやらかしたんだよ?」
三郎が聞くと、三郎の包帯を換えながら、山崎が言った。
「伊東先生と、永倉くんと3人で、元日から島原の『
「それって、まずいんじゃねぇのか?」
三郎が心配そうに聞く。斎藤は暗い顔をして、
「俺が新選組にいるのも、そう長くはないかもしれんな」
と言った。
「……伊東派につくのか?」
と三郎が斎藤を睨むと、山崎が、
「
とニヤリとした。三郎は、
「どういうことだ……?あんたら、まさか……」
とふたりを見た。斎藤もニヤリとして、
「敵を欺くには、まず味方から、だ」
と言った。三郎は、このとき初めて、新選組という組織を理解したのだった。
「しかし、休息所ってのはこんなに殺風景なのか?局長とか、他の隊士のところには、みんな女が住んでるって聞いたぞ?斎藤さんにはいないのか?」
と、三郎が家の中を見回しながら聞くと、斎藤は三郎を横目で見て、
「そんなものは、いない」
と答えた。山崎がぷっと吹き出し、
「いやいや、三郎、
と言うと、
「山崎さん、そこまで言うか?」
と、斎藤はため息をついた。
「情けねぇ~やつ!いい年して……」
と三郎が呆れた声を上げると、
「三郎、お前まで……!俺はまだ24だ!」
と、斎藤が言った。すると、場が一瞬、しん、となった。
「……
山崎が目を丸くした。
「俺と4つしか違わないようには……見えねぇな」
と三郎が言い、ふたりは笑った。
「ふたりとも……覚えとけよ」
と斎藤はふん、とそっぽを向き、笑い出した。3人は一斉に笑った。三郎もこんなに笑ったのは、子供の時以来だったかもしれない。
そのとき、三郎は思った。
(この人たちの前では、俺は、俺のままでいられる……俺は……この人たちのために働く……!韋駄天小僧が命令に従うのは、山崎
3月になると、斎藤は、伊東甲子太郎と共に、御陵衛士として分離していった。斎藤の役割を知っているのは、勇、歳三、山崎など、ごく少数であった。出立前に、斎藤が、
「この家の管理は、お前に任せる。好きに使え。ただし、女は入れるなよ」
と言い残していった。三郎は苦笑いしながら、山崎に、
「まだ、前の女に未練があるのかな?」
と聞くと、
「
と言って笑っていた。
やがて、三郎の怪我がすっかり良くなると、山崎は屯所の自室に連れていった。屯所は、不動堂村にあり、大名屋敷並みの広さだった。これからの任務について説明しているとき、襖の向こうで、山崎を呼ぶ声がした。
「山崎先生、痛み止めを欲しいって言っている隊士の方がいるんですが、来ていただけますか?」
三郎はその声に驚いて顔をあげた。聞き覚えのある、懐かしい声だった。
「良蔵や……今行くから、そいつに、ちっと待っとけ、言うとき!」
襖の外にむかって呼び掛けると、山崎は部屋を出て、呼ばれた方に行った。
三郎は気づかれないように、そっと物陰から、山崎の向かった先を見ると、小柄な少年が、山崎と話していた。三郎には、それが誰であるか、すぐにわかった。
(あいつ……新選組に来ていたのか……りょう……!)
自室に戻った山崎は、三郎の顔に戸惑いの表情があるのを見てとった。
「……良蔵は、去年の秋頃入った、副長の小姓や。時々、わしの手伝いもしてもろうとる。怪我人や病人が多くて、以前来た、江戸の偉いせんせに叱られてしもうてな、わしが診ることになったんや……そういや、良蔵も多摩の出のはずや。これは幹部しか知らんが……三郎、あんた、良蔵を知っとるのか?」
山崎が聞いたが、三郎は、
「いえ、知りません……うるさい声だ、と思っただけです」
と答えた。自分との関係がばれたら、りょうにも迷惑がかかると三郎は思ったのだ。山崎は、三郎が嘘をついていることを見破っていたが、
「そうか……『幼なじみ』かと思ったんやが……やつは、総司の弟子やったんやで。剣もようするんや」
と言った。三郎は、
(……そうか、あの沖田さんが、新選組にいたんだったな……)
と思い、ふと、寂しさを感じている自分に驚いてその感情を打ち消した。山崎はクスッと笑い、
「いつか、紹介したるわ」
と言った。
三郎は、『韋駄天』と呼ばれ、山崎の指令を受け、情報収集の仕事に奔走した。足が早く、その天性の情報収集力は、諸士調役隊士たちの助けになるには十分であった。薩長を中心とする倒幕派勢力は日増しに大きくなり、10月、ついに幕府は政権を手放すこととなった。そればかりではない。薩長が、徳川の力を根こそぎ奪おうと、幕府から戦を起こさせる計画を立てているという情報を得て、三郎は江戸に飛んだ。
江戸に戻るのは、多摩を飛び出して以来であった。もう、戻っても、三郎を待っているものはいなかった。家はとうに無く、兄は地方で暮らしており、商家に嫁いだ姉は、病で亡くなっていた。探索で江戸に来ている都合上、佐藤道場に寄るわけにもいかなかった。幼い頃、どんなに悪さをしても、迎えてくれる姉や、彦五郎がいたことが、懐かしく思い出された。
(俺も、世間的には、死んでいる身だよな。韋駄天小僧は……)
と、三郎は自嘲した。
江戸では、薩摩の命を受けた浪人たちが暴れまわり、江戸周辺の治安悪化工作をしていた。放火犯が隠れる様子もなく、三田の薩摩藩邸に逃げ込むのを見た三郎は、薩摩は本気で幕府を挑発しているのだと確信した。
「こんなやり方、見え見えじゃねぇか。普通は、ひっかからねぇよな」
だが、江戸の幕府内部では、即刻薩摩を糾弾すべし、との意見が大半を占めていた。三郎は、この情報をいち早く山崎に伝えるために、京にとって返した。
「なんだって、勇先生が?それで、容態は?生きてんだろうな!」
京に戻った三郎を待っていたのは、勇が御陵衛士に狙撃された、という知らせだった。今にも飛び出しそうな三郎をなだめ、山崎は言った。
「局長の治療をしたんは良蔵や。わしもその日は不在やった。あいつは自分のできる限りの力振り絞って、必死に血止めをしたんや。韋駄天、血気にはやって飛び出すだけが能やない。あんたは、あんたの力つこうて、局長を助けるんやで」
「俺の力?」
三郎が聞くと、山崎は三郎をじっと見つめ、言った。
「あんたの足。あんたの探索の力。それが、誰よりも勇先生を助けることになるんや。韋駄天、しっかりせいや!」
勇は、大坂の医師、松本良順の元に送られることになった。その数日前、山崎は、三郎にりょうを会わせた。
三郎は、精一杯、普通を装ってりょうに接した。冗談を言い、からかったり、おどけたりしてみせた。自分はまた、探索の仕事だから、と出ようとすると、りょうが、
「気をつけて三郎。無事で帰ってきてくれよ」
と声をかけた。今までそんな言葉をかけられたことのなかった三郎はドキッとして、
「俺は、新選組隊士じゃない。ただの『韋駄天』でいいぞ」
と言うと、りょうは、
「でも、僕にとっては、幼なじみの三郎、だもの」
と言って笑った。三郎は、何故か胸が熱くなるのを感じた。
りょうの笑顔と、『幼なじみ』という言葉は、それまで孤独だと思っていた三郎の生きる力になった。自分を知っている者がいる、待っている者がいる、ということは喜びだと、やっと気づいた。
(山崎さん、りょう、ありがとな……!)
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