第4章 韋駄天小僧
文久3年(1863)、勇や歳三、沖田が浪士隊に加わり上洛し、その後、壬生で『新選組』という組織を作ったという情報が日野に伝わると、日野の若者たちは、自分達も加わりたい、と彦五郎に願うようになった。だが、彦五郎は都の厳しい現状を彼らに説明し、上京を許可しなかった。歳三から、
『長男や、故郷の繋がりだけで入隊しようとする者はすべて断る』
と伝えられていたからである。だが、本宿村の名主の長男、
もちろん、捨助は跡取りであることを理由に、三郎は年齢が若すぎることを理由に、歳三に入隊を断られた(この時はまだ、『小姓』は設けられていなかった)。特に三郎は、素行不良も理由のひとつにされた。ふたりは歳三から、多摩に戻るための路銀をもらい帰されたのだが、故郷に戻ったのは、捨助ひとりだった。
「姉のところに寄る」
と三郎が言ったので別れた、と捨助は言ったが、三郎は姉のところには行かなかった。その後、三郎の消息は、ぱったりと途絶えたのである。
元号が『慶応』に変わった頃の京で、ある盗賊がもてはやされるようになった。『韋駄天小僧』と呼ばれるその盗賊が盗みに入るのは、尊皇攘夷をうたっている武家や、薩摩や長州に出仕しているという噂のある商家などであった。その手口はあざやかで、決して役人が追い付けないほど、その逃げ足が早いことが評判になっていた。だが、だんだんその狙いが、各藩の藩邸にまで及ぶようになると、さすがに幕府も黙っていられなくなってきた。武家屋敷付近の治安維持を行う京都見廻組に、『韋駄天小僧』捕縛の指令が降りた。
しかし、たかが『盗賊』の捕縛に御家人が使われることに反発する者も多く、成果は上がらなかった。見廻組
「なんでぇ、こんなときだけ、手伝ってくれって、あいつら虫がいいんじゃね?」
と、隊士たちは文句を言ったが、会津藩を通されては断るわけにはいかず、副長の歳三は、探索方に命じて、その盗賊を捕縛させることにした。
その中心は諸士調役、山崎
「『韋駄天小僧』、捕まえたら、殺すんやないで!話を聞くんや」
というのが、山崎の方針であった。
慶応2年(1866)の冬であった。孝明天皇が病に倒れた、という知らせが幕府にもたらされ、会津藩にも新選組にも、緊張が走った。孝明天皇は、始めの頃こそ、攘夷を主張して、幕府に圧力をかけようとしていたが、長州の謀略から救われたことで、将軍家や一橋
山崎は、長州藩邸の動きを探っていた。孝明天皇の病状のいかんによっては、長州が動くことが予想されていたからだ。山崎が、護衛役として斎藤
「山崎さん、あれ」
斎藤が指した先に、黒いものが、かすかに動くのが見えた。
「『韋駄天小僧』め、どこに行った!」
「あれだけの傷じゃ、そう遠いくへは逃げられるはずがないじゃろう、探せ!」
何人かの長州藩士らしき男たちが、門の外に走っていった。山崎と斎藤は、それ以上追っ手が出ないのを確認すると、斎藤が見つけたもののところに走った。案の定、それは長州藩士たちが血眼になって探してあるであろう、盗賊であった。
その盗賊は、瀕死の状態であった。放っておけば間違いなく死ぬだろう、と斎藤は思った。
「
と山崎が言った。斎藤は一瞬驚いたが、山崎の有無を言わさぬ表情に思わず頷いてしまった。その時、門のそばで声がした。
「それにしても、岩倉さまに怪我がなくて、ようございましたなあ」
(岩倉だって?)
山崎と斎藤は顔を見合わせた。
「しっ!声が大きいぞ、岩国屋。ここにあの方がおるこたぁ他に知られてはならんのじゃ」
もうひとりは、声の感じから、藩士のようだ。
「これは、失礼をいたしました。壁に耳あり、ですな、伊藤さま」
岩国屋、といわれた男が答える。伊藤、と呼ばれた武士が続けた。
「これからが正念場じゃ。我々は歴史をひっくりかやそうとしちょるのじゃけぇな。韋駄天小僧やらに、計画を潰されてたまるか。まぁ、あれだけ斬られちょっては、あの盗賊、どうせどこかでのたれ死にするじゃろう」
二人の男が中に入ってしまうと、門のところの灯が消えた。暗闇の中、山崎と斎藤は、瀕死の男を運んだ。
「
「これか?」
「ちゃう。そのとなりのや。あと、もっと湯、沸かしてくれんか」
「あ、ああ。すぐに」
斎藤は水をくんで火にかけた。普段、治療の手伝いなどしたことがない斎藤は、
「山崎さん、すまんな、要領が悪くて……良蔵の方がよっぽど役に立つようだな」
斎藤がいうと、治療の手を止めずに、山崎は答えた。
「良蔵は副長の小姓や。良蔵を呼んだら、副長にわかってしまうやろ。それだけはできん」
斎藤は、横になっている男の顔をよく見た。まだ若い。
「しかし、よく覚えていたな、こいつが3年前に入隊志願に来た小僧だって……」
斎藤が呟くと、山崎は、
「わしが最初に面談したんでな。初めて面談任されて、ひとつも見逃さへん、とじっと顔を見とったさかいな。あん時はまだ、子供の面影を残しとったけど、大人になったもんや」
と言った。
「副長が入隊を許さなかったのは、こうなることがわかっていたからなのだろうか」
と斎藤が言うと、
「そんなん、育て方しだいや。まだ変えられるんや。大丈夫、わしが育てる。絶対、死なさへん!」
と、山崎は言った。その真剣な眼差しに、斎藤は山崎の強い意志を感じた。
男は、数日間高熱が続いて意識が戻らなかったが、やがて熱が下がり、回復に向かった。
「よかった。峠は越えたようだ。あとは目覚めるのを待つばかりだな……」
と斎藤が言った時、ガラッと表の戸が開いて、山崎と一緒に体格の良い人物が入ってきた。
「あ……!」
と斎藤が驚いて立ち上がろうとするのを制して、その人物は布団の脇に座った。すると、眠っていた男の目が開いた。
「気がついたか。もう大丈夫や。死神はんは去ったで」
と山崎が言った。
「お、俺……ここは……どこだ?」
男は片方の見える目で、見渡せる範囲を見た。
「ここは、新選組幹部の家だ……三郎、久しぶりだな。お前が助かって、本当に良かった……」
男は声のする方を見た。すると、そこに懐かしい顔があった。
「い……さみ……せんせい……!」
山崎が連れてきたのは、新選組局長、近藤勇であった。
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