第3章 破門
それ以来、三郎は剣術の稽古に来るようになった。りょうや他の少年たちと、よく竹刀を合わせるようになっていった。彦五郎もひと安心したようだが、一度繋がった悪い仲間との縁は、残念ながら切れることはなかったようだ。
往来で、
「お前さん、雪がちらついてきたから、笠と蓑を出しておくよ」
と、のぶの声がした。彦五郎はふと、思い立ったように、
「のぶ、その笠貸してくれ。ちょっと出てくる」
と言って、出かけた。
雪は本降りになっていた。人通りも少なくなった道を、笠を被った男が、酔った足取りで歩いていた。すると、前方から歩いてきた若い男の肩と触れあった……
「あ痛ててて……っ!!」
笠を被った男の手が、若い男の、いや、まだ少年の手を捻り上げていた。少年の手には、財布が握られていた。
「……三郎。やはりお前だったのか!いったい、なんのつもりだ!?何故巾着切なぞするんだ!?」
「彦五郎先生……!」
狙ったのが、彦五郎だとわかった三郎は、その場に立ち尽くした。
「番屋につれてくんだろ、いいよ……姉ちゃんに金を渡せなくなっちまったが、仕方ねぇや」
と呟いた。彦五郎は、
「話を聞こうじゃないか。そこの蕎麦屋でいいか?」
と、近くの店に入り、蕎麦をふたつ注文した。湯気が上がる蕎麦をすすると、三郎は、
「あったけぇ……」
と言った。その顔は、まだ大人になりきれない、素直な少年の顔だった。彦五郎はそんな三郎を見つめながら、腹立たしさを感じていた。
「誰に命令された?ヤクザもんか?お前が以前、遊び歩いた仲間はそういった連中に繋がってたのか?」
と聞いた。当時、江戸市中には、大老暗殺や老中襲撃など物騒な事件が多く、そのせいか浪人や侠客といったやからも、多摩に多く潜伏していた。
「姉ちゃんが……」
と、三郎は話し出した。
三郎の姉が嫁いだ商家は、ここ1、2年で、当主が高齢で病になったこともあり、経営が傾いていた。後妻である三郎の姉が店を預かっていたが、借金がかさんで近々返済期限が迫っていたらしい。
「姉ちゃんが、利子だけでも返さねぇと、店が取られるって言ってたから、仲間に相談したんだ。そうしたら……」
三郎の言葉に、彦五郎はため息をついた。少年たちの考えることだ、仲間というのは、近隣で縄張りを張っている侠客だろう。そんな者たちに相談すれば、こうなることは分かりきっているじゃないか……と。
「利子って、いくらなんだ?」
彦五郎が聞くと、三郎は顔をあげて、
「200両だ」
と答えた。彦五郎は目を丸くして、
「お前、それを巾着切で稼ぐつもりだったのか?稼ぐ前に首が飛ぶぞ」
と言うと、三郎は、
「言われた金を持っていけば、組の偉い人が、残りを立て替えてくれるって聞いて……」
と答えた。道理も良くわからない子供を使って、返済先を高利の金貸しに変更させるつもりだったのだろう。三郎はまだ、金は渡していない、と言った。彦五郎は、奪った金を全部返すように言うと、三郎は観念して頷いた。
「うちに来い」
と、彦五郎は三郎を脇本陣につれていった。金の包みを渡し、
「これを姉さんに渡して、利子を返しなさい。うちの門弟を一緒に行かせるから。お前は悪い仲間とは手を切りなさい。巾着切なんて、二度とするな、いいね」
と、彦五郎は三郎に厳しく言った。
「先生、ありがとう。姉ちゃんに必ず渡す!」
と、三郎は、彦五郎の門弟と一緒に帰っていった。しかし、事はこれだけでは終わらなかった。
ある夜、脇本陣に不振な人影が入り込むのを、彦五郎の門弟が見ていた。このところ、甲州街道の宿場では窃盗が多発していたので、彦五郎たちも用心しており、門弟たちにより、賊はあっさりつかまった。それが、なんと三郎だったのである。この事件に彦五郎はとても驚き、訳を問いただしたが、三郎は何も答えなかった。
三郎は脇本陣に盗みに入るように命令されたらしかった。三郎は傷だらけであり、仲間に殴られたり、責められたりしたのだろう、と思われたが、彦五郎に三郎をかばうことは、もうできなかった。彦五郎は、三郎を破門した。そして、そのことを、試衛館の勇にも伝えた。勇は一言、
「残念だ」
と言ったきりだった。
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