第1章 悪童
「泥棒~っ!!」
大きな声が、村の畑に響いた。数人の子供たちが、手に瓜を抱えて走っていく。先頭を行く少年の足の速いこと。あっという間に見えなくなった。畑の主は、彼においていかれた子供の一人を捕まえた。
「真桑瓜は、でぇじなお
首根っこをつかみ、納屋の前に引き据えると子供は大泣きで叫んだ。
「三郎だよ!三郎に言われてやったんだ!悪いのはあいつだよ~!」
半時ぐらい経った頃、日野宿脇本陣に、がっしりした体格の若い男が、少年を引っ張って入ってきた。
「いててて……!どこへ連れてくってんだよ!!この馬鹿力野郎!」
縛られたままの少年は悪態をついている。その声に気づいて出てきたのは、この脇本陣の主、佐藤彦五郎であった。
「誰かと思ったら、
彦五郎は驚いた。少年を引っ張ってきた男は、江戸牛込柳町、甲良屋敷の天然理心流道場、試衛館の養子で塾頭、島崎勇といった。勇はニッと笑って、
「彦五郎さん、瓜泥棒を捕まえましたよ。仕置きとして、そこの木につるしておきましょう」
と言うと、勝手口のそばにある大きな木に、少年をつるし上げた。
「何しやがんだ!!この野郎、放せ!」
と暴れる三郎だったが、吊るされてしまっては手も足も出ない。勇は涼しい顔で、本陣の長屋門脇にある、道場に向かった。
日野本郷の名主、佐藤彦五郎は、天然理心流免許皆伝であり、脇本陣の道場には、近隣の農村から、多くの若者が剣術を習いに来ていた。先代の代官、江川英龍の政策もあって、多摩は武術の盛んな地域であった。勇と佐藤彦五郎は、義兄弟の契を交わした仲であり、試衛館から、よく出稽古に来ていた。
「今日は、トシは?」
勇が聞いた。
「あぁ、今日は、薬の行商らしい。河越の方まで行くと言っていたから、明日にならないと帰らないだろう」
彦五郎が答えた。『トシ』というのは彦五郎の従兄弟であり、妻の弟、歳三のことである。
「今日こそは、正式な入門を薦めに来たんだがなぁ。いないんじゃ仕方ない」
勇がため息をついた。彦五郎は、
「あいつは、大丈夫だよ。そのうち必ず、入門する。今はまだ、諦めがつかないんだろう」
と言って外を見た。
「何かあったんですか?」
勇が聞くと、彦五郎は、歳三の兄の土方隼人(
歳三は2回目の奉公先をやめてきてから、ほとんど実家に寄り付かなくなっていた。姉ののぶが預かってきた実家の薬を売り歩きながら、あちこちで道場を訪ねては剣術の試合をしていた。喜六がずっと進めていた、三味線屋の娘との見合い話も滞ったままであった。ある日、業を煮やした喜六が、
「お前と別れたあの女は、子供を産んだあと、
と歳三に言ったらしい。だが歳三はその見合い話をついに受けず、行商と剣術に明け暮れていた。勇は、
「じゃあ、帰ってきたら、俺はトシを試衛館に連れて行きますよ。ここにいないほうが、トシのためにもいい」
と言った。
稽古が終わり、帰ろうとした勇は、
「いかんいかん、あいつを下ろしてやるのを忘れとった」
と、勝手口の木に吊るしたままの三郎を見ると、三郎はイビキをかいて眠っていた。
「たいした度胸だな。その辺の大人たちより、よっぽど肝がすわっている」
勇は笑いながら、三郎を下ろすと、頬をたたいて起こした。
「この悪たれボウズ、少しは反省したか?お前が最近あちこちで騒がれている野菜泥棒だったとはな。人様の物を盗むとはけしからんやつだ。それに、あの瓜はこの辺りの農家がお上に納めるために精魂込めて作っているものだ。あの瓜の出来と数とで、暮らしが成り立っているのだ。それを横取りすることは許されないぞ!」
勇の言葉に、三郎はふん、と横を向いた。
「俺は武士の子だ!農民に馬鹿にされてたまるもんか!悔しいから盗んでやったんだ!」
三郎は勇をにらんだ。勇は目を丸くして、
「お前の父親は武士なのか?」
と聞いた。だが、三郎は答えない。
「武士も農民も変わらぬ!皆、働いて、日々の糧を得ているのだ。俺だって、生まれは農民だ。日々修行をして、今のようになった。武士だって、何もしなければ農民以下だ」
勇が言うと、三郎は、
「俺の親父は武士だ!でも病気になって、仕事ができねぇから、仕方なく、金貸しから金を借りたんだ。でも期限までに返すことができなかった。そうしたら、あいつら、親父の刀を持っていっちまいやがった。その金貸しに手を貸してたのが、近所の豪農たちだ!小作らと一緒になって、仕事のできない侍には刀は不要だろう、なんて、俺の親父を馬鹿にしやがって……!」
と、半分泣き顔で勇に食って掛かった。
「お前は、親父さんが大好きなんだな」
と、勇が優しく言ったとたん、三郎が堰を切ったように、わあわあと泣きわめいた。勇は、三郎の頭をなでながら、
「盗んだ瓜の代金は、俺が立て替えてやる。そのかわり、明日から毎日ここで剣術の修行をしろ。生まれが武士だというならば、武士の誇りを持て。父上のぶんまで、強くなったらよかろう。この辺の農家は、先祖が武士だった家も多く、皆、その誇りがあるから、農作業も剣術も頑張れるんだぞ。農民だなどと、軽蔑してはいけない。俺がお前を一から鍛えてやるからな」
三郎は勇の言葉に顔を上げ、そして頷いた。
道場の片隅で眠っている三郎を見ながら、勇と彦五郎が話していた。
「尾畑家ってのは、その昔は、小田原北条家にも仕えたことのある一族だったらしいんですがね、時の流れと共に落ちぶれて、三郎のじいさんの頃に、宮村に住み着いたらしいんですよ。じいさんが元気な頃は、まだ、武士としての体面を保って、お代官の下で、村の相談役や警護役なんかを引き受けてたらしいんですがね、三郎の親父の代になって、その親父が病気がちで、三郎が生まれた頃には、仕事が出来なくなってねぇ」
彦五郎が小声で話すと、
「それで、借金か……刀まで取られては、武士の体面は保てませんね……ご内儀はどうされたんですか?」
勇も小声で聞いた。
「それがねぇ……たぶん、子供たちをおいて、逃げちまったんだろうって噂ですよ。三郎はまだ、乳飲み子だったと思いますよ、確か……」
彦五郎が言った。勇は、
「それじゃあ、あの子は、母親の顔も知らずに育ったのか。苦労してんだな」
と、三郎の寝顔を見ながら言った。
「親父さんはそれからまもなく亡くなって、兄貴たちは住み込みの奉公に出たらしいんですよ。今は、一番上の姉さんが、旅籠の下働きしながら、あいつの面倒をみているようです」
彦五郎がそう言った時、本陣に若い女が駆け込んできた。女は真っ青な顔をして、
「す、すいません!!また三郎がご迷惑をおかけしたって……すいません、すいません!!」
と謝ってばかりであった。女の声に、眠っていた三郎が目を覚ました。
「姉ちゃん」
「あんたは、また人様のものを……!」
三郎を見た女は、手を振り上げた。その手を勇はつかんだ。
「やめなさい。ひっぱたいたって、直らんものは直らん。あんたの手が傷むだけだ」
女は、勇を見た。まだ16〜7歳くらいの娘だ。
「明日から、この坊主を、ここの道場によこしなさい。昼間は、ここで俺や彦五郎さんが、剣術を教える。あんたが安心して仕事ができるように、この子を見ているからね」
勇の顔はごついが、言葉は優しかった。でも、女は躊躇していた。
「うちは、剣術など習っても仕方ない家です。親が刀を借金の形にとられるような家ですから、稽古代もお支払できません」
女が言うと、彦五郎が笑って言った。
「子供たちからは、稽古代なんてもらいませんよ。大丈夫」
と言った。
「三郎は、やる気ですよ、な?」
と勇が三郎に聞くと、三郎がこくん、と頷いた。女は少し黙っていたが、意を決したように、勇の目を見つめて言った。
「わかりました。あたしは、この子の姉で、しづ、といいます。どうか、三郎のこと、よろしくお願いします」
三郎は、しづと一緒に帰っていった。
「勇さん、本当に、三郎が剣術を習いに来ますかね?」
と、彦五郎が勇に聞いた。
「そうですね。あいつに、見返してやりたいものが本当にあるなら、来るでしょう。姉さんに頭が上がらないところは、誰かと一緒だし……!」
勇はそう言って、ごろん、と寝転んだ。彦五郎は、勇の言った意味がわかったらしく、クスクスと笑っていた。
翌日、姉のしづに連れられて、三郎はやってきた。
勇は、三郎の筋の良さに驚いていた。体格の良さもあるが、重い木刀を、平気で素振りする。教えたことはすぐに覚えて、その通りにやってみせる。
「こりゃあ、うちの
と勇は言った。惣次郎というのは、試衛館の内弟子で、15才の沖田惣次郎という少年である。師匠は周助であるが、実際は勇が鍛えたといってもいい。9才の頃から試衛館に住み込み、その剣術の才能には、勇でさえも舌を巻くという。
「俺が周助先生の跡をとったら、惣次郎を塾頭にしようと思ってるんです。今度、ここにも出稽古に来させますよ」
と、勇はよく言っていた。
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