第29話「隼人とマヤ」
”「彼」について? 面白いと言うより浮世離れした発言で戸惑ったわね。あの戦闘機部隊は何かと話題に事欠かなかったから、その後も彼
公都決戦を境に名前を見なくなったと思っていたら、しばらくして「クーリルの英雄」なんて見出しで記事になっているじゃない? それはもう驚いたわよ”
コンラート・アウデンリート著『蒼空の隼』より ヴェロニカ中佐のインタビュー
伝令兵が息を切らせて報告にやって来たのは、空軍司令部にようやく〔ペトルス〕の派遣を認めさせた時だった。
「司令より伝令! 『消火活動むなしく火は弱まる気配なし! 火勢が強く、消火剤のタンクに近付けず! 司令室に火が回る前に避難されたし!』です!」
ヴェロニカは悔しさに沈黙する。
避難すると言う事は、司令部からの指令が途絶えると言う事だ。パットンに隙を見せれば、ルスドア市への侵攻どころか逆撃を受ける。容易に想像できる事態だった。
それでも、何か打てる手はないか? 必死に頭を巡らそうと集中していたからだろう、たまたま”それ”が彼女の耳に入った。その偶然が、窮地を脱する糸口となる。
整備兵が弄っていた修理中の無線機が、ノイズ交じりに受信したのだ。
『私は64戦隊所属のダバート王国義勇兵、南部隼人少尉です! あの火事は新型のナパーム弾によるものです! 水をかけても消せません。消火用の水に衣類用の洗剤を混ぜてください! 効果がある筈です』
どうやら、上空を警戒する〔隼〕からの通信らしい。
無線機越しの彼は日本のパイロットではなく、同盟国ダバートの「銃士」のようだ。
かの国のパイロットたちは、国王が紋章を刻んだ拳銃を下賜する伝統から、自らを銃士と呼ぶ。
そのエリートが切り出したにしてはあまりに荒唐無稽な話で、受信機を取り上げた士官は明らかに不機嫌だった。
「貴官は何を言っているのだ?」
すぐに通信を切ってしまわないのは、上空を守る彼らの心証を悪くしたくないからだろう。
ヴェロニカも、いつもなら戦闘の妨害行為として空軍に苦情のひとつも送るところだ。
だが……。
『信じてください! あれはガソリンをゼリー状に加工して、高熱で燃焼できるようにしたものです! 消せないのは水との親和性が低いからです!! 界面活性剤を混ぜて水との親和性を上げてやれば、消せるんです!』
そこまで聞いて、ヴェロニカは「あり得るかも知れない……」と思い始める。
戦車指揮官はある程度、技術屋の領域に踏み込まなければやって行けない。機械を相手にするからだ。
確か士官学校時代に散々読んだ技術書に、そんな様な記述があった気がする。
なので通信していた士官を席からどけて、いつもの調子で座り込む。
「南部少尉。何故、貴方がその情報を持っているの?」
『……言えませんので信じて頂くしかありません。試してみて効果が無ければ、自分を銃殺でも何でもしてください!』
そう言い切る南部少尉、少しだけ興味が湧く。
同時にそれだけの言葉で信じて良いものか迷う。
現在、生活物資の倉庫は無事だが、大量の消化用水に混ぜるにはそれなりの量が必要だろう。
避難させる司令部もろもろに猫の手も借りたい状況で、運び出せるだけの人を違うものを運ぶ為に動かすのと言うのは、大博打どころではない”賭け”だった。
「見れば判ると思うけれど、
私の”大切なもの”を掛けるのだから、貴方の命では全く足りない。部下や周囲の人間も連座する事になるわ」
南部少尉は、無線の向こうで一瞬沈黙する。
元よりそのつもりは無かった。と言うより、
だが、自分の決断を促すために、彼の覚悟を見たいと思ったのだ。
しかし意外にも沈黙を破ったのは、彼の僚機から入った通信だった。
『同じく64戦隊のマヤ・サヴェートニク曹長です。その件承りました。うちの小隊長がやらかしましたら、私も連座させていただきます』
『へたくそな士官の尻ぬぐいは、私のような下士官の仕事なので』
エリート部隊で小隊を預かり、高性能な〔ライトニング〕をあっという間に排除して見せた南部少尉が、「下手くそ」であるとは思えないが。
この2人はどんな関係だろう?
流石に一瞬だけ、今は気にすべきでない筈のそんな事が頭をよぎりもしたけれど。
だが不思議と、この2人に
「消火作業中のアッパティーニ司令にこの事を伝えなさい! 私が責任を取るわ!」
伝令兵が弾かれたように駆けだしてゆく。
息を潜めてやり取りを見守っていた司令室のスタッフたちも。「避難はしない」との方針に腹を決めたのか、それぞれの役目を再開する。
決断し、そしてその指示を下した。
後は結果を御覧じろ……。それを待つ間の、ほんの僅かな時間だけ手持無沙汰となる耳に、”意外な声”がかけられた。
『ありがとうございます。参謀長
「え?」
『女の勘です。それでは任務に戻りますので』
それだけ告げると、サヴェートニク曹長からの通信は切れる。
思わず見上げた上空で、挨拶代わりに翼を振る2機の〔隼〕の姿を目にして。
「日本軍の兵隊は、尊敬する下士官をさん付けで呼ぶ」と言う習慣を思い出した。
悪くない……。
暫くして伝令兵が駆け込んでくる。その表情は明るい。
先ほどとは打って変わった溌溂さで報告する。
「洗剤を混ぜた水で、火が弱まりました!」
クロアではドイツ式の合成洗剤が普及していて、陸軍もこれを採用している。
もしこれが天然素材の洗剤なら界面活性効果は得られず、消火には使えなかった。
これで首の皮一枚で繋がった。
何故、一介のパイロットである南部少尉がそれを知っているかは分からない。
だが今は、それは言うまい。
少なくとも、そのおかげで自分たちは。ここで投了を強いられるのを免れたのだから。
散発的に防空網を突破してくる敵機も、上空の〔隼〕が追い散らしてくれている。
これなら再度の攻勢も可能かも知れない――パットンが最後のカードを切ってきたのは、皆がそう思い始めた時だった。
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