第28話「怒りの理由」

”あの時については、特に語ることはないわ。爆撃でやられた司令部を立て直し、必勝の策を授けて終了。だらしない司令官が一時的に戦線離脱したけど、すぐ復帰したし大した問題は無かったわ。”


ヴェロニカ・フォン・タンネンベルク中佐のインタビューより




「君、肩を貸してくれ」


 アルフォンソは土気色をした顔を歪めながら、参謀の一人の肩を借りてゆっくり立ち上がった。

 耳障りな金切り声はもう聞こえない。機銃掃射が止んでいた。

 どうやら敵機は撃退されたらしい。


「君はすぐに治療を受たまえ」


 火傷を負った警備隊の士官に告げる、穏やかな笑顔が痛々しかった。

 思考が混濁して停止したヴェロニカを他所に、状況は進んでゆく。


「しかし、小官は……!」

「命令だよ」


 有無を言わさず告げると、アルフォンソは自らもよろよろとした足取りで出入口に向かおうとする。

 とても何かを出来る状況ではない。


「一体何を……?」


 問いかける声は震えているのが、自分でも分かった。

 動揺は、きっと気づかれている。それでもアルフォンソは当然のように答えた。


「……決まっているだろう。僕が消火活動の指揮を執る」

「無理よ! 私が……!」


 身を乗り出すヴェロニカに、彼は頭を振る。


「君がここを離れては、パットンに付け入る隙を与える事になる。大丈夫、君なら出来る」


 アルフォンソがヴェロニカの頬を撫でる。

 駄目だ! それを、それをされたら……。


『じゃあ、行ってくるから、いい子にしてるんだぞ』

『お土産楽しみにしててね』


 最後に聞いた言葉が脳裏に蘇り、彼女の心臓を鷲掴みにする。

あの日、両親が別れ際にしてくれた。そして自分の前から永遠にいなくなった……。


 直感的に自分はまた全てを失うと確信し、血と土で汚れたアルフォンソの軍服の袖を掴む。

 だが、彼はゆっくりと彼女の手を袖から外す。明らかに苦痛を押し殺した笑顔で。


「……大丈夫だから」


 大丈夫なんかじゃない! 大丈夫なわけないでしょう!


「何故そこまでするの!? 貴方はあの馬鹿に、2人で組み上げた作戦を台無しにされたのよ!? それで、次は命まで投げ出すつもり!?」

「……部下の掌握は、カスト少佐の仕事。そしてカスト少佐は僕の指揮下にある。つまり責任は、僕にある」


 賢者の弱点は、愚者を理解できない事だ。

 それは経験によって補う事が出来る。だがヴェロニカは愚者に対して嫌悪感を持ちすぎ、アルフォンソも愚者を愛しこそすれ、理解することはしなかった。

 完全なる経験差。自分たちが一番足りないと自覚はしていたものが、今まさに壁となって立ちはだかっている。

 ならば、今からその壁を乗り越えねばならないと、アルフォンソは言う。


「貴方は悔しくないの!? 何も感じないの!?」


 投げかけた言葉は、問いかけではなく懇願だった。

 また1人になる。自分を置いて、皆行ってしまう!

 その恐怖だけが、ヴェロニカの思考を支配していた。


「悔しく無いわけ……無いだろ!」


 絞り出すように吐き出したアルフォンソの声は、淡々としていたが怒りに歪んでいた。


「……毎年、レナートの誕生日には必ず家に居た父上が、僕の誕生日には下らない理由で出かけてゆく。『あの子はへらへら笑って、気持ちが悪い』とひそひそと言い合う使用人達。

 レナートに言われて僕と仲直りに来る奴らは、皆同じ顔をする。張り付いた後ろめたさを笑顔で隠して、『誤解があったようだけど、俺達友達だから』だと?

 士官学校を卒業して、やっと縁が切れたと思ったら、僕が司令官になったとたんに手紙を寄こしてきたよ。全部出世コースから外れた連中で、そうでない者は音沙汰なしだ。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」


 そこに籠もった憤怒にヴェロニカは言葉を失い、息を呑む。

 彼はただの人たらしではないとは思っていた。周囲に便利に使われている事に、何も感じていないなどとは思えなかった。

 だが、これ程の激情を貯め込んでいるとまでは気付かなかった。


 アルフォンソ・アッパティーニは「怒らない男」などではない。

 あのスキピオ・アフリカヌスの様に、言われなき悪意を向ける愚者達へ憤り、ずっと笑顔で戦ってきたのだ。

 自らの「怒り」と。


 静まり返った司令室で、彼はすっと息を吐いて、いつもの笑みを浮かべた。


「でも、そんなことは”どうでも良い事”なんじゃないのか? 僕が怒らないのも、人の分まで仕事をするのも。

 『お前は出来る』と言ってくれた祖父と弟、『お前は面白い』と言ってチャンスをくれたファビオ先輩。それを認めてくれた大公陛下や飯村閣下、力になってくれた人たちに。それが正しかったと、胸を張って言いたいからだ……」


 ああ、そうか。

 だから……。


「……『ほら、僕の言ったとおりだろ』って、自慢げに笑う弟の誇らしげな顔が見たいんだ」


 だから彼は、戦えるんだ……。


 これだけの想いを貯めこんでいたアルフォンソである。自分にない銀髪を持つレナートに対して、何も思わない筈がない。

それでも、「どうでも良い事」と言い切った。


 それだけ大きいのだ。苦境の時にも味方でいてくれた事、共に道を歩む「兄弟」でいてくれたことが。


「だから、ここで投げ出すわけにはいかない。ヴェロニカ・フォン・タンネンベルク。君は、何のために軍人をやっている? 『馬鹿』への意趣返しか?

 僕が選んだ相棒は、そんなちんけな人間では無い筈だ! 今、大勢の味方を救えるのは君だけだ。君はもう、何かへの意趣返しじゃなく君自身の為に・・・・・・戦うべきだ」


 何も言い返せない。今まで、怒りだけで戦ってきた自分には……。

 ――いや、本当に……そうなのか?


 アルフォンソは「必ず戻る」と、真剣な顔でそう言って。従兵に支えられて司令室を出てゆく。


『お前が感じている怒りは、何のためのものか? 常にそれを考えろ』

『自分の心を見つめなさい。そうすれば貴方は、きっと幸せになれる』


 アルフォンソの背中を見つめながら、両親に引き継いで育ててくれた老夫婦が。今際の際に、それぞれ掛けてくれた言葉を思い出す。


(そう言えば、あの時も私は泣いていたっけ……)


 そう思った時、何かがすとんと落ちた。


(そうか。私が怒っていたのは、『馬鹿』にでは無かった……。あの時、震えているしか出来なった自分の弱さ・・・・・に、怒っていたんだ)


 不意に、戦車大隊の部下たちの事を思い出す。

 散々悪態と駄目出しを吐き出してやったが、何故か自分を「ボス」などと呼んで馴れ馴れしく絡んでくる。

 安酒を飲みながら皆で囲んだ、あのごった煮スープは悪くなかった。


 そう、戦う力は既にあった。

 それをぶつけるやり方を知らなかっただけ。


 なら、やる事は1つではないか!

 震える事を止め、泣きながら待つことを止め、守る為に最善を尽くせば良い。


 すっと息を吸う。状況はまだ絶望的ではない。

 無線機の状況を調べている通信兵に問いかける。


「通信機は、無事?」

「破片にやられて3分の1は直ぐには駄目ですが、残りはまだいけます!」

「すぐ、空軍司令部へ繋いで頂戴。〔ペトルス〕をこちらに回してもらう。残りの者は前線の師団司令部にこちらが無事である事、無理な追撃は控えて現状を維持するよう伝えなさい。繋がらない部隊には伝令を!」


 〔ペトルス〕とは、レーダーによる航空機の管制・誘導を目的とした移動防空指揮所搭載型の飛空艇――いわば後の時代に浸透する、早期警戒機の原型である。


 魔法の力で浮遊する船舶である飛空艇は、航空機の攻撃に無防備なせいで、各勢力ともにもっぱら輸送任務に投入され温存が図られていた。

大公派はこの禁を破って、移動式防空指揮所として活用することを思いついたのだ。


 現在は護衛戦闘機を引き連れて、戦場後方の空中から帝国派戦闘機の防空網を調査し、穴を見つけたらそこへ攻撃機を誘導管制を行う手はずだったが、今は立て直しの為の防御こそ最大の懸案だ。


 イリッシュの激闘の、第二ラウンドが始まろうとしていた。

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