第27話「双翼、舞う」

”勝利は人の力だけで呼び込めるものではない。例えばあつらえたようなタイミングで、最適な人材が居合わせたりする。そういうものを人は天運だとか、神の加護などと呼ぶ。

 人事を尽くしても得られるとは限らないが、人事を尽くさない者の元に訪れる事もまずない”


ジョージ・パットン中将 ウェストポイント士官学校での講演より




 気が付いた時、ヴェロニカは血溜まりの中に居た。

 手袋にべっとりとついた血は慣れっこだった。背中に感じる重みは、何かの下敷きになったからだろう。 

 背中に乗ったものを押しのけようと力を入れ、小さく悲鳴を上げた。


 ずり落ちたものが人の体であり、そこから赤い頭髪が見えたからである。


 反射的に、その人の背中に突き立てられた金属片に手が伸びる――すんでのところで思い止まったのは、かえって出血を起こしかねないと言う、ごく基本的な事を思い出したからだ。

 震える声で衛生兵を呼ぶ。が、皆パニック状態で対応できる者が居ない。


 参謀のレン大尉が2人の下に駆け寄ろうとするが、甲高い銃声が響いてきて慌てて途上で頭を抱えて伏せた。

 周辺の防御砲火が貧弱になっているのを見て、上空の〔ライトニング〕が機銃掃射を仕掛けて来たようだ。

 健在な対空兵器は混乱の中で闇雲に弾薬を消費するばかりの様だった。


「状況は……どうした?」


 呻くように確認を取るアルフォンソの声に、初めて彼が生きていると知った。


「空軍機は、こちらに向かっていると……」


 報告する通信参謀に答えず、消え入りそうな声で自嘲した。


「これは、……指揮官失格だね」


 指揮官でありながら負傷した事を言っているのだろうか?

 自己の安全を第一にする義務を果たさず、彼女を庇った事を言っているのだろうか?

 混乱する頭では判別がつかなかった。


 前線司令部は、半地下式のコンクリート壁を持ってはいる。

 が、所詮は戦時急造の即席防御施設だ。防空用のレーダーも、出力の弱い車載式の物をトレーラーに積んで横付けしているに過ぎない。


 コンクリート屋根の隙間へと視界確保の為に空けられた窓から、付近で炸裂した爆弾の破片が飛び込んできたとき、ヴェロニカは無線で航空支援の穴を即座に埋めるよう空軍に抗議と要請を行っていた。

 苛立っていたが、この件について空軍を責めるのは酷である事も理解していたのだ。


 綿密な空地連携を行うには、構築したばかりの情報システムは未熟すぎたし、防空戦闘機隊は機甲部隊の頭上に侵入を試みる敵対戦車攻撃機シュツルモビクの対応に忙殺されていた。

 それでも司令部上空に直掩機が居ない状況は、地上戦の優勢を覆しかねないリスクであった。


 担当の参謀を怒鳴りつけていた事で、近くで起きた爆音への対応が遅れた。

 真横から衝撃を受け、彼女は気を失う。


 目覚めた時、また全てを失いかけている自分に気付いたのだった……。





 ようやくやって来た軍医が、慌ただしく司令官の止血作業を始める。


「魔法医は?」


 尋ねるアルフォンソに、軍医は首を振って答える。


「行方不明です」


 つまり、すぐ傷を塞ぐのは困難だと言う事だ。

 もっとも魔法治療は行う側も受ける側も体力を消耗する。魔法医がここに居たとしても、どの道戦線復帰は怪しい。


「報告します!」


 警備隊の士官が駆けこんできて左手で・・・敬礼した。

 焼け焦げたぼろぼろの軍服に視線を向ける。火傷のせいで肩の皮が肘から垂れ下がっていた。


「消火設備がやられ、水をかけても火が消えません! このままだと通信設備に火が回ります! 指揮官のカスト少佐以下、士官の殆どは行方不明です!」


 ヴェロニカは息を飲んだ。

 通信アンテナが使えなくなれば、前線とのやり取りに大きな制約を受ける。パットンなら必ずそこを突いてくる。

 消火を行う人材も、手段も無い。


 誰かの生唾を飲む音が鮮明に聞こえた。

 絶望が戦場に伝染しかけた時、〔ライトニング〕とは異なるエンジン音が響いた。


「友軍機が来ました!」




◆◆◆◆◆




 南部隼人少尉は、操縦桿を握る手に力を込めた。眼下には燃える第5軍司令部の周りがある。

 やむを得ないこととはいえ、上空を手薄にしたのは空軍の失態。


 そして、眼下で行われている『火が消えない』という悲鳴そのものな交信――おそらくそれは、”あの兵器”によるもの。

 それはかつて視たベトナム戦争・・・・・・の記録映画で目にした、悪魔の炎。


 普通の方法ではあれは消せない。

 そして状況が今のままではこの戦いは詰む。

 対応策を、自分が伝えねばならない。だがどうしたら……信じてもらえる?


『……少尉、ぼさっとしないでください。今できることをやりましょう』


 相棒の叱声で、我に返る。

 激戦を生き延び、それなりの実績と自信を持つようになっても、この下士官は容赦がない。


いつも通り・・・・・やる。俺が追うから、死角を突いて落としてくれ』

『……上出来です少尉』


 上出来です。

 マヤ・サヴェートニク曹長は隼人を褒めるとき、その言葉を使う。

 それに数倍するだけのダメ出しを、毎日頂戴してはいるが。


 スロットルを開く。

 2人の飛行機乗りは一体となって黒い〔ライトニング〕に襲い掛かった。精鋭部隊「ニーズホッグ隊」が操るハイエンドモデルには何度も煮え湯を飲まされたが、負けるつもりなど毛頭無い。

 

 一式戦闘機〔隼〕。


 日本製の軽戦闘機で、彼の祖国ダバートで大量生産されクロアに供与されたものだ。

 カラーリングこそクロア空軍のものだが、機体にペイントされた矢印のマークは歴戦の部隊「飛行第64戦隊」の精鋭を示す。内戦勃発以来数々の激戦を潜り抜け、所属するだけで栄誉とされる凄腕の集まりだ。


 対するアメリカ製のP38〔ライトニング〕戦闘機は、エンジンを2発持った大馬力の重戦闘機。

 速力、火力、防御力は隔絶している。

 2つの高性能エンジンが生み出すパワーだけで考えれば、〔隼〕の非力なエンジンなど乳飲み子の膂力のごとしだ。 


 だが、パワーがあれば空戦に勝てるわけではない。戦闘機にエンジン2基はやはり重過ぎる。

 ひとたび格闘戦に入れば、〔隼〕との性能差は逆転する。


 隼人はスロットルを開き、まずは上空を警戒する1機に襲い掛かった。

 敵機に気付いた地上攻撃中の1機は泡を食って上昇を開始するが、もう遅い。


 重量級の〔ライトニング〕は、加速も遅い。

 地上攻撃の為に速度が落ち切った状況でスロットルを全開にしても、素早く軽快な〔隼〕の追撃は振り払えない。

 ぴったりと背後に付いた隼人機が、数発だけ機首の機関2門を発砲する。

 不意打ちに動揺した〔ライトニング〕は、無理な機動で回避に入ってしまう。


 それを待ち構えていたのは、死角から忍び寄ったマヤ機だ。

 歴戦の下士官は射撃も正確無比。横合いからキャノピーを撃ち抜かれ、体勢を崩した〔ライトニング〕はそのまま地面に向かって吸い込まれてゆく。


『少尉、あとはお任せします』

『オーケイ!』


 上昇してくるもう1機の〔ライトニング〕は、熟練パイロットにとってカモでしかない。

 重力を味方につけた〔隼〕に対し、エンジン出力だけで引力に逆らわなければならないからだ。


 エンジンに吸い込まれてゆく炸裂弾を確認し、隼人は高度を上げる。

 バックアップに入ったマヤ機が、攻撃に入る必要すらなかった。


(駄目だな。乗っていたのがあいつ・・・なら、こんなに簡単にはいかなかった)


 荒野でメラメラと燃える2つの松明に敬礼しながら、そんなことを考える。

 眼下では司令部を守る兵士たちが、こちらに手を振っていた。

 バンク主翼を振って返す。飛行機乗りの挨拶だ。


 どうやら爆撃で燃えているのは司令部の一角だけらしい。だが、このままだとやがて火勢は司令部全体に燃え広がるだろう。

 しかるべき筋を経由して、消化方法を伝えてもらうだけの猶予時間はない。

 リスクを冒して直談判するしかないが……。


『それで、どうしますか?』


 相棒は当然のように尋ねてくる。

 自分が前世絡み・・・・で余計なことを考えていると、しっかり見破ってくれたようだ。


『……済まんが、また・・騒動を起こすかも』


 マヤは、返事の代わりに〔隼〕の主翼をバンク振ってして応じた。

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