第11話「師弟」

”この日執務室で起きたことは、長い間胸に秘していた。

 別に口止めされたわけではないし、吹聴したところで嫌な顔はされないだろう。

 だが、彼らにとって神聖な領域に土足で踏み込むようで気が引けて、その葛藤が消化されるまで本にする気が起きなかったのだ”


フェルモ・スカラッティ著『クロアの野火』より




「気に入らんな」


 言葉に反し、思わず覗き込んだパットン中将の顔は何とも愉快そうだった。

 本当にこの上官は面倒くさい。


「何か、気がかりでも?」


 軽い気持ちで思わず問いかけて、フェルモは直立不動になる。

 将軍が「分からんのか?」とばかりに、彼を睨んだからだ。


「ハンニバルがどうのと言う噂を使って、自分はスキピオだと吹聴する。そんな発想は普通の軍人ではないな。プライドを捨てて実を取る事を知っている。恐らくそれなりの挫折や苦杯の味を知っている相手だ。それに関しては資料と合致するが……」


 見下ろす机上には、敵の指揮官アルフォンソ・アッパティーニの調査結果が並べられていた。

 父と正室のネグレクトと、周囲からの虐めに士官学校での便利屋扱いと、鬱屈した人物像が浮かび上がる。


 だが、しっくりこないと勇将は言う。


「理由は分からん。強いて言うなら、宣伝戦の裏に見え隠れするユーモアだろう」

「ユーモア? それが何の問題なのでしょうか?」


 フェルモは怪訝そうに問いかける。

 返答は盛大な溜息だったが。


「貴様、作家を気取るならもう少し人間を観察しろ」


 意外に思う。

 自分が作家を志している事を知っているのも驚きだが、アドバイスらしきものまでしてくれる事に面食らった。

 その驚きがフェルモにと、更に余計な問いを投げさせた。


「それは、作品のためでしょうか?」

「何を言っている? 戦争のためだ」


 フェルモは呆気に取られて沈黙する。物書きに対してあんまりな答えだ。

 まあ、貴方ならそうでしょうよ……と気持ちを立て直し、パットンに続きを促す。


「敵の人格を推察しろ。戦争は殺し合いだが、敵将との対話・・でもある。相手の人物を読めんようでは、戦術も読めん」


 鼻息荒く吐き捨てて、諜報部が手に入れた幾枚かの写真を睨みつける。

 ちなみに参謀長も新任だが、彼女の方も主流の外で読めない人物のようだ。生い立ちはこちらも、随分と苦々しい経歴を持っている。


 最近分かったが、パットンと言う人は戦争は大好きでも、敵の不幸を望んでいるわけではない。むしろ彼女が大嫌いなコミュニストによる犠牲者である事には、哀悼の意を表しさえもした。


「鬱屈した情念を敵に向けて挑発するのは分かる。だがそれだけの人間が、かつて敵に教えを請うたなどと吹聴するだろうか?」


 そう言われてみればそうだ。


 自分はスキピオの生まれ変わりであり、前世の彼がそうだったように、敵将から戦いを学び弱点を知り尽くしている。実際に、かつてパットンから直々に薫陶を受けたことがある。


 敵は有能だと持ち上げつつ、自分はそれより更に有能だとアピールする。

 どちらかと言えば、アメリカ人が好むやり方である。どうやらパットンの機嫌が良い理由はこれのようだが、確かに余裕のない人間にそんな発想は出てこない。

 敵の美点を見出し認めるには、まず自身の側にもそれなりの自信が必要なのである。


「まあ、断片的な情報は所詮材料にしかならんだろう。あとは戦場で相まみえるしかない」


 結局そうなるのなら、ここで唸っているだけ無駄ではないかと思う。とっとと部屋に帰って原稿の続きか、彼女への手紙を書きたいと思う。

 が、上官は机の前から離れる気配はない。なので、つい余計な念押しをしてしまったのだったが……。


「そもそも、本当にアルフォンソ将軍に指南した記憶は無いんですか?」

「しつこいぞ。俺はクロアに来たのはまだ2度目だ。前に来たのはもう25年も前……」


 将軍の視線が一点に留まる。

 そこには、家族関連情報の一つとしての銀髪の海軍提督の記事があった。


「ああ、彼は将軍の弟のようですね。兄弟で軍人を目指すのは、別に珍しい事ではありませんし……」


 しかし将軍はフェルモの言葉など初めからなかったかのように聞き流し、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。


「銀髪、兄弟……赤毛の将軍……」


 何か重要な事を忘れている。そうとでも言うかのように、普段から色濃い眉間の皺が一段と際立っている。

 そして次の瞬間、勇将は弾かれたように立ち上がり記事を机に叩きつけると、壊れたように大笑いを始めた。


「そうか、奴らか! あの兄弟・・・・か! こいつは驚いた!」


 この上官は本当に狂ってしまったのではないか?

空恐ろしい思いで見つめていても、彼の哄笑は止まらない。


 何分ぐらいこの光景を眺めていたろうか。ようやく落ち着いたパットンが目じりに浮かんだ涙を拭いながら言った。


「おいヒゲ! この戦いは愉快なものになるぞ! 何しろ敵将は俺の弟子・・・・だからな!」

「えっ! では本当に!?」


 彼は質問には答えない。

 その代わりに敵陣に向け、電報を打つように命じた


『ザマノ再戦ヲ心待チニスル。良キ戦イヲ』


 スキピオがハンニバルに勝利したザマの戦い。その再戦を心待ちにしている。

 アルフォンソがぶち上げた大法螺に乗ってやると言う、パットンからの意思表示だった。

 芝居がかった演出は、彼もまた好むところである。


 最良の理解者は、すなわち最悪の敵である。


 今度は対等な敵手同士として。25年ぶりに相まみえる2人の将軍は、その事実を誰より重く胸に刻んでいた。

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