第10話「クロアのスキピオ」

”温厚で堅実な友人が「自分は生まれ変わった伝説の名将」なんて言い出したと聞いたとき、実を申し上げれば思いましたね。「彼はストレスにやられたのか」と。恥ずかしながら、推挙したことを半ば後悔しましたよ”


ファビオ・ロッソ伯のインタビューより




『初の前線はどんな気分かしら?』


 無線越しに軽口を叩く参謀長のしたり顔が目に浮かんで、アルフォンソは内心やれやれと苦笑する。


『最高だよ。案外乗り心地が良いね』


 実のところ吐きそうだ。

 ガタガタと揺れる指揮戦車の中は、三半規管を良い感じで・・・・・揺さぶってくれる。

 無論の話、何事も無いかのように振舞うしかない。指揮官は弱音など吐けないのだ。

 最悪、無線を切って吐くしかないだろう。


『2時方向! 速射砲!』

了解ヤー、ボス!』


 右翼の〔Ⅳ号戦車〕が砲煙を吐き出したのは、ヴェロニカの掛け声が聴こえてからほんの僅かのタイムラグだ。

 放たれた砲弾から飛び散る破片を受けて、隠蔽された敵の対戦車砲は沈黙する。


 ヴェロニカ・フォン・タンネンベルク。作戦家としてだけでなく、現場の戦車指揮官としても間違いなく優秀である。


 実のところアルフォンソが引っ張り上げるまでの彼女は、面倒くさい立場にあった。

 ドイツ陸軍としては優秀な人材をむざむざ塩漬けにしたくはないが、露骨に騒動の渦中にある彼女を呼び戻したくはない。ブリディス陸軍も同様に、この件には関わりたくないのが本音だろう。


 かと言って、クロア陸軍に骨を埋めるには佐官クラスから疎まれ過ぎている。

 はっきり物を言い過ぎ、都合の悪い命令を受けると「事故」を起こす彼女は目の上のたんこぶ。

 排除されないのは多大な戦果を挙げている事、そして戦車部隊の兵卒や下級士官たちからは精神的支柱として絶大な信頼を受けているからだ。


 つまりは、アンタッチャブルな存在だった。


 まったく勿体ない人事をしてくれたものだ。

 ドイツにしてもブリディスにしても、いや我がクロア陸軍においてもである。


 もっとも、直属の上官だった師団長が彼女の価値を理解していれば、引き抜くのに更なる手間を要したかも知れないから、そこは結果オーライと言うやつだろうが。


『案の定、敵戦車はいないわね』

『そりゃあ、こんな重要度の低い戦場じゃね』


 いつもの癖で肩をすくめようとして止める。下手に体を動かして頭をぶつけたくはない。

 歩兵を追い払い、有刺鉄線を踏みつぶし。戦車部隊は、敵軍が逃げ散った無人の野営地を占拠した。


『それじゃ、わかってるわね?』


 アルフォンソは『勿論さ』と頷いて、膝に乗せて来た”荷物”を片手にキューポラを開けた。

 そんな”荷物”の中には、ティーセットとポットの茶道具一式と、紅茶が入っていた。

 紅茶は司令官を拝命した際、大公カタリーナから下賜された地球製の高級品だ。これか行われるお茶会・・・の演出にはもってこいの逸品である。

 惜しむらくは、せっかくの高級茶葉も緊張で味も分からないであろう事だが……。




◆◆◆◆◆




 あんまりな経緯での司令官の交代劇でうんざりしている、つまり士気が沈滞している大公派の陣営に、ある噂が流れ始める。

 それは噂好き、芸能好きのクロア人たちが好むネタであった。


「なんか、うちらの新しく来た司令官が……なんとか・・・・言う名将・・・・の生まれ変わりだとか言い出したそうだ」

「はぁ? 気がふれたんじゃないか? そもそも、何とかって何だよ?」


 これだけなら、ここで更なる厭戦気分が蔓延するところである。

 だが、ヴェロニカの動きは早かった。


 ヴェロニカ率いる戦車部隊は、進撃の中で緩んだ帝国派側の陣形を突き、限定的な攻勢に出たのである。

 結果的にこの戦闘は大した戦果を生まなかったが、後退を繰り返す大公派にとって久しぶりの反撃成功となった。


 更にその戦闘に新任の司令官が自らも参加し、一時的に確保した敵陣地で優雅にお茶を飲んで引き返してきたと言うのである。

 ご丁寧にも報道官を連れて、無線でその様子が中継までされていた。

 その様子は翌朝の新聞記事を写真付きの一面で飾られた。この歴史的な写真は後の「ジリナの奇跡」事件を収めたフィルムと並んで、ライズ近代史を象徴する報道記録となった。

 帝国派側への先制パンチを兼ねた、盛大なパフォーマンスである。


 さしものパットンも、このような小規模な攻防が宣伝戦に利用されるなどとは予想だにしない。

 大公派の陣営は、銃後の一般国民世論までもが沸き立った。


 うちの新しい司令官は大胆な事をすると。




 次に彼女が打った手は、公都から取り寄せた映画、ハンニバルとスキピオが干戈を交えたポエニ戦争を描いたイタリア製作の歴史活劇である。

 日本から興行に訪れていた活動弁士や落語家まで拉致同然に呼び寄せ、共通語ライズ語で映画のナレーションをさせる。


「敵将ハンニバルに父を殺された青年スキピオ! 『父上、必ず侵略者を追い返し、仇を討ちます!』と亡き父に誓いを立てるのでありました! 厳しくも優しかった背中を胸に、スキピオは長く苦しい戦いに身を投じるのであります!」


 その名の通り熱弁を振るう活動弁士の声に、「そうだ!」「頑張れスキピオ!」と合いの手が入る。

 久しぶりの映画と言うだけでなく、あの大胆な指揮官が自称するスキピオとは何者か? 皆知りたくてたまらなかったのである。


 声の無いサイレント映画にナレーションを付ける活動弁士は、日本で下火になってからもライズこちらでは引っ張りだこだ。

 演劇狂いのライズ人にとっては、トーキー映画よりも弁士の熱演と共に楽しむサイレント映画の方が。どうやらしっくりくるものであったらしい。


 かくしてライズ人、いや地球からの義勇兵たちまでも。知らずに済ませていたローマの英雄スキピオ・アフリカヌスの生涯を知ることになる。




 時は古代。地球人類がまだ手漕ぎの船と槍で戦っていた時代、小国ローマは大国カルタゴとの戦いに突入する。

 どちらが良く、どちらが悪いと言う戦争では無かった。強いて言えば、どちらも生き残るために相手が邪魔だったからだ。


 初戦は弱い方、つまりローマが制した。

 だがカルタゴの名将ハンニバルは、アルプス山脈を越えてローマ本国を単独で強襲する壮大な作戦を実行する。

 彼がローマの大軍を散々に打ち破ったカンネーの戦いは、現在の軍隊でも語り継がれている。


 そんな一連の戦いで父、義父、伯父を次々に失ったのが、当時24歳のスキピオである。


 彼は、宿敵ハンニバルを打ち倒すには、その戦法をとことんまで研究するべきだと考えた。

 期せずして、ハンニバルは最高の理解者にして最高の弟子を持つことになる。ただし、敵方に。


 ローマ元老院を説得して一軍を任せられた彼は、見事ザマの戦いでハンニバルを破ることに成功する。

 後にハンニバルは彼と会談し、「もし私があなたに勝っていれば、アレクサンダー大王を超える指揮官になっただろう」と称えている。


 しかし、歴史は晩年の名将たちに冷酷だった。

 ハンニバルは祖国カルタゴを追われ、亡命先にすら見捨てられた。ローマを震撼させた名将はあっけなく自害して果てる。

 勝者の側である筈のスキピオも些細な疑惑・・で元老院を締め出され、その後は一切活躍の機会を得る事もなく静かに生涯を閉じた。




 演劇で刃傷沙汰まで起こす事さえあったライズ人である。

司令官をスキピオに重ねてヒーローに仕立て上げる目論見は、見事に成功した。


 効果は絶大であった。


 地球の古代史などろくに知らないのに即興で台本を書いて短劇をでっちあげる者、アルフォンソを重ねてスキピオを称える軍歌を作詞作曲して広める者。

 中には少々薬が効きすぎたのか、イタリア人義勇兵を捕まえてスキピオを追放した非情をなじって喧嘩になり、憲兵の世話になる者までいた。


 とは言えそれらは、負けが込んでいる中で起こった憂さ晴らしと言う面も否定できなかった。


 この熱気を維持するには、更に大きな勝利が必要である。

 新任の司令官と参謀長はそう強く感じていた。

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