第8話「ノースの舌禍」

”ヴェロニカ・フォン・タンネンベルクを知った時、日本の少女たちは士貴巴の再来だと歓声をあげた

しかし、その後伝わって来る彼女の生い立ちを耳にし、絶句することになる”


フェルモ・スカラッティ『クロアの野火』より




 「フォン」の名が示す通り、タンネンベルク家は騎士階級ユンカーであり、欧州大戦終結後日本に工作機械を売りさばいてひと財産築いた資産家であった。

 多くの庶民が戦後のインフレにあえぐ中、その意味で彼女は恵まれていたと言える。


 彼女の両親は、公人としても私人としても真っ当な人間であった。

経営する機械工場では、フォード式の労働システムをいち早く取り入れて工員の健康にも気を遣い、労働者の地位向上を目指す政治家を支援していた。


 周囲は彼らを尊敬していたし、その尊敬は娘にも向けられた。

 両親は忙しいながら、彼女と過ごす時間を作る努力を惜しまなかった。

 留守を任された老夫婦もしつけこそ厳しかったが、両親が不在のときは必ず彼女の好物を作ってくれた。友達と一緒にピクニックにつれていって貰うのが週末の楽しみだった。


 有り体に言って、彼女の子供時代は幸せだった。


 あの呪われた夜までは。




 いつもは必ず決まった時間にベッドに入るよう言われていたヴェロニカだったが、その日は夜更しが許された。長期の出張から戻る両親を出迎える為である。

 両親は出かける前に「この出張から帰ったら、暫く休みを取るから家族旅行でも行こう」とヴェロニカの頬を撫でた。それからというもの、両親が戻ってくる日を心待ちにしてカレンダーに印をつけた。


 両親に会える喜びと、公にタブーを破る事が認められた興奮で、彼女は多幸感に包まれていた。

 やがてドアがノックされて老夫婦が「旦那様と奥様を迎えに行く」と促す。


 はしゃいだのは最初だけだった。


 彼らの末期患者の様な生気の無い顔色と、思い詰めた態度から「何か大変なことが起こった」と感じた。

 連れていかれたのは病院で、両親の死に顔は見せて貰えなかった。頭部が死に化粧エンバーミングでもどうにもならない程に損傷していたのだ。


 両親を射殺した青年は、悪質な工場で工作機械に左手の親指を挟まれて解雇され、ベルリンまで流れてきたと言う。

 そこで彼は最新流行である労働者解放運動の洗礼を受けた。ただし、その教えは必ずしも本来の理念・・・・・に則ってはいなかった。


 より良い社会を考える努力を説くより、「資本家が悪い。あいつらが居なければ上手くゆく」と煽った方が楽で受け入れられやすい。人が集まれば資金も集まる。

 そして武器も。


 吹き込まれた思想は、日雇いの肉体労働を転々とするうち、積もり積もった怨恨と化学変化を起こした。

 そう、あいつらが居なくなれば良いのである。彼は拳銃を手に入れ、「正義」を行ったのだった。

 たまたま殺した資本家が労働者の環境改善に積極的だろうと、彼にとっては些末な問題である。


 ヴェロニカは両親を失い、幸福な子供時代とさようならを強要された。

 そして、彼女は馬鹿が嫌いになった。




 立身の為入隊した陸軍では、まだ猫を被ってはいた。

 女性士官はまだ少数だったが、欧州大戦で日本の女性将兵が実績を上げていた。開明的なヴァイマール帝国もそれに倣って、試験的に女性士官の受け入れを模索し始めたのである。


 士官学校の試験をパスした彼女は、直ぐに頭角を現した。

 特に戦車の運用についてのめり込み、参謀本部が打ち出した「戦車を騎兵の代替として機動戦に集中投入する」と言う考え方をすぐに受け入れた。


 優秀で容姿も美しい彼女は常に注目された。

 危ない目にも遭ったが、用心を怠らなかった事で事なきを得た。


 中尉にスピード昇進した時、彼女は軍事顧問団の一員としてブリディス都市同盟に派遣された。

 ブリディスは英独が共同で支援するライズの五大国のひとつで、ここに派遣されるのは出世コースと言えた。 


 たまたま公務で訪れたブリディスの首都ノースで、100年ぶりの地震が起こったことが彼女の運命を変える。

 地震の規模は大したことは無かったが、天災に慣れていないノース市民はパニックを起こし、市内の陸軍駐屯地に殺到した。


 対応に追われるヴェロニカに、路上生活者数名が避難所への保護を求めてきた。彼女はまず怪我人や体調が悪い者が居ないか確認し、居ないと分かると命じた。


「では、納税者を先に収容します。余裕があれば迎え入れるから待っていなさい」


 彼らも不承不承納得し、納税者の収容後に浮浪者達を受け入れた。

 ここまでなら大騒ぎになる事も無かった筈なのだが、そこにたまたま居合わせたコミュニズムのシンパが、彼女の行動をドイツバッシングに利用したのである。

 曰く「彼らは第二帝国と変わらず、社会的弱者を食い物にする圧政者である」との事だった。


 周囲の者や事情を知る者はまだ・・同情的で、ほとぼりが冷めるまで彼女に休暇を取らせた。

 それでも諦めずに休暇先・・・を突き止めた記者は、すまし顔でその場を去ろうとする彼女に投げかけた。


「やっぱり、ご両親の件でプロレタリアを逆恨み・・・なさったんですか?」


 彼女の中で何かが切れた。にっこりと笑顔を浮かべると、質問に質問を返した。


「御社では、何人なのかしら?」


 何のことか分からない記者に、彼女は続ける。


「貴方のオフィスに保護した浮浪者の数よ。まさか、自分達は助けないで他人を非難したわけでは無いわよね?」


 言葉に詰まる記者に、彼女は追い打ちをかける。


「600万人でしたっけ? 貴方のご主人様・・・・がウクライナで餓死させたプロレタリアは。あんなの・・・・を持て囃すのも、プロレタリアへの逆恨みからなのかしら?」


 アメリカ式の信号機みたいだな。青い顔を真っ赤に染める記者にそんなことを思った。


ヨシフ君ご主人様に、そのうち戦車で挨拶に行くと伝えて頂戴。それまではご自慢の秘密警察に守ってもらうといいわ」


 止めとばかりにロシア語で吐き捨てた毒舌に記者は激高し、彼女は大いに溜飲を下げた。

 記者は何やら喚き立てながら帰って行ったが(「ソウカツ」だの「ゾウハンユウリ」だの)、彼らは魔導式の小型録音機器を懐に忍ばせていた。

 たかだか三流記者が買える代物ではない。


 ウクライナの下りはきっちり削除した上で、ソ連への罵倒と「モスクワに戦車で乗り付ける」と宣言した事のみが取り上げられ、ラジオで大公開された。

 もはやドイツ陸軍としても彼女を庇いきれず、「暫く頭を冷やしてこい」とクロア公国に義勇兵扱いで・・・・・・放り込まれたのだった。


 彼女は全てが馬鹿らしくなり、取り繕うのを止めた。

「馬鹿が嫌い」と公言し、能力や意欲やる気で劣ると判断すれば露骨に見下した態度を取った。

 両親譲りの頭の良さと、先読みが無ければクロアでもとっくに放逐されていただろう。


 ヴェロニカ・フォン・タンネンベルクは馬鹿が嫌いなのだ。

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