第2話「最初の邂逅」

”多くの歴史家は言う。ジョージ・パットンとアルフォンソ・アッパティーニ。後に世界を二分する「箱舟戦争」で激闘を繰り広げる事になる2人の英雄が、20年以上前に邂逅を果たしていた。そんな逸話は伝説に過ぎないと。

 だが私は確かに見たのだ。若き新星を知った時、喜びのあまり哄笑する上官を。”


フェルモ・スカラッティ著『クロアの野火』より




●ハンニバル

1.ハンニバル・バルカ カルタゴの将軍。第二次ポエニ戦争で連戦連勝し、「ローマ最大の敵」と呼ばれる。

2.アメリカ合衆国の将軍ジョージ・パットンの渾名。


●スキピオ

1.プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル 共和制ローマの将軍・政治家。ザマの戦いでハンニバルを破った。

2.クロア公国の将軍アルフォンソ・アッパティーニ・アフリカヌスの渾名。


(降臨暦982年刊行・中学人名辞典より抜粋)




 それは、アルフォンソが8歳の時だった。


 何か思うところあっての事だろうか、それともほんの気まぐれか。

 弟のレナートだけを仕事に同伴させるのが常だった父が、珍しく彼にも声をかけた。


 この頃、祖国クロアは欧州大戦の終結に湧いていた。

 地球異世界に出征していた義勇兵たちが次々帰国し、人々はやっと平和が来るぞと、自粛していたよそ行きの服を引っ張り出す。行楽地へ繰り出し旨い酒に酔う国民が、25年後の厄災を知らなかったのは恐らく幸運な事だっただろう。


 終戦を記念してアメリカの偉い将軍が公都クロアに招かれ講演をするのだと言う。武門であるアッパティーニ家当主の父も招かれたそうだ。

 とは言え、貴族とは言ってもまだ幼い2人に軍事学は早かった。


 ついでに言えば弟が体を気遣ってくれたと言うのもある。確かに鞭で打たれてみみず腫れの浮かんだ尻で長時間椅子に座るのは遠慮したかった。


「必ずあいつらに謝罪させてやる」


 弟はそう息巻いていた。

 友人・・達が家庭教師の使っていた鞭を見つけ、その練習台にされたなど武門の息子には恥だ。それを口実に「どうか兄の顔を立ててくれ」と止めさせる。いつものようにであったが。

 家に居場所のないのは彼も同じ・・・・だ。弟から友人まで奪う必要は無いではないか。




 兄弟が退屈に耐えかねてホールをうろうろしている時、ベンチで煙草を吹かしているひとりの軍人に出会う。


 細身の士官であった。大劇場・・・で話している将軍と同じ軍服を着ているから、彼もアメリカの軍人なのだろう。

 すらりと伸びた長身も、決して華奢な印象を与えない。

 軍人らしく張った胸板は分厚く、眉間には常に皺が寄っていた。


 子供心に思う。

 細く鋭いその双眼が睥睨へいげいする物は一体何だろうかと。


 彼はジョージ・パットン少佐。未来四半世紀後のゾンム帝国クロア方面軍司令官だった。


「あの……少佐?」


 不安そうに袖を引っ張るレナートの手を握るが、それでも好奇心が勝った。

 恐る恐る話しかけるアルフォンソだったが、彼は容赦なく2人を睨みつけた。


「……俺は、大佐だ」


 そう言われても胸に付けた来賓用のネームプレートには少佐とあるし、階級章の読み方など分かりはしない。

 彼が戦時昇進で大佐に昇進し、終戦と同時にまた少佐に戻されたことは後で知った。


 普通の子供ならここで逃げだすところだが、来賓として歓待を受ける彼が不満そうにしている理由を知りたくなった。

 パットン大佐――本人の希望であることだし、そう呼ぶことにした――は、物怖じしないアルフォンソと、不安がっても逃げ出す気配のないレナートに興味を持ったらしい。


「講演が退屈で逃げ出したな? 正解だ。老人共の古いやり方はクソの役にもたたん。ついでに言わせてもらえば異世界ライズ人の輝かしい戦史は認めるが、演劇の舞台で戦争の話をするなど、戦争にも演劇にも失礼だとは思わんのか?」


 異世界地球人はそんな風に考えるのかと、幼い二人にはそれだけで目から鱗だ。

 苛立たしげに煙草を灰皿に押し付ける大佐は、そんな2人の感慨には気づかなかったようだが。

 次の1本を取り出そうとして、何かを思いついたようにやりと笑い、煙草の箱を胸ポケットに戻した。


「なら、俺が役に立つ方の戦争を教えてやろう」


 パットンと言う男、強面だが面倒見は良い。

 兄弟をベンチに座るように促し、欧州大戦の話を始めた。


 地獄の塹壕戦、砲火の応酬、戦車なる新兵器。

 彼が語る戦争は、巷で聴くような勇壮なものではなかった。そこにはただ身を潜めて死神の招聘をやり過ごす末端の兵士たちがいた。


 だがその表情は決して厭世的なものではない。

 泥と爆音の中で精神に変調をきたすような戦いを語っているのに。


「憶えておけ小僧ども。戦争という極限状況ではそいつの本質が見える。普段お奇麗に振舞う者が戦友を蹴り倒して逃亡する。かと思えば上官に胡麻をする嫌われ者が、負傷者を抱えて逃がそうとする。戦争は人を殺すが嘘はつかん」


 彼の言葉は戦争賛美である。

 民衆を庇護する貴族ならば忌避しなければならない言葉だ。

 だがとても根源的で、目を逸らしてはならないものだと感じた。


「でも、戦争が起これば民草が犠牲になります」


 多分に教科書的だったが、必然な問であった。

 大戦帰りの壊れた戦争狂であれば、ダーウィニズムを持ち出して「民草」をせせら笑っただろう。

 長身の大佐はそれをせず、兄弟の瞳をまっすぐ見つめた。


「戦争と言うのはな、人が人である限り起きてしまうもんだ。それを避けたければ政治家になると良い。争いを食い止めるのは確かに偉業だろう。だが政治家が防げなかった火を素早く消し止める仕事もまた必要だ。つまり軍人の仕事は敗戦処理。最初の一発が撃たれた時点で勝者などいない。俺たちはもう・・負けている・・・・・


 アルフォンソは驚く。

 先ほどまであれほど勇ましく戦争を語っていた彼から「負け」と言う言葉が出たからだ。


「負けた以上は後始末をしなければならない。野戦軍を撃破して国土への侵入を防がねばならない。敵地に侵攻して侵略の意図を挫かねばならない。飛行船を撃ち落とし、都市への攻撃を断念させねばならない」


 大佐は言う、


「その為には戦争を愛さねばならない」


 と。


「戦争もまた人の営みだ。戦争の全否定は自己否定に等しい。だから俺は戦争を愛する。研究者が病原菌と寝食を共にするように。消防士が日夜炎の習性を学ぶように。分かるか?」


 兄弟は首を振る。

 今思えばいささか饒舌になってしまった自分が気まずく思えたのだろう。

 再び仏頂面を浮かべて、火のついていない煙草を咥えた。

 マッチには手を伸ばさない。


 子供は自分が理解できない言葉でも、そこに何某かの真実が宿っているかどうかを嗅ぎ分けるものだ。

 彼はとても大事なことを言っていると強く感じた。


 真剣に聞き入る2人を見やって大佐は鼻を鳴らす。


「まあ、”争いを避けたければ強くあれ”という事だな。大分時間が経ってしまった。そろそろ戻らんとお小言を頂戴するぞ?」


 追い払うように手を振って、大佐は今度こそマッチに火をつける。講義の時間はお仕舞のようだ。


 兄弟は一礼してその場を後にする。


 ”争いを避けたければ強くあれ”


 しわがれた声が、松明のように胸にともった。




◆◆◆◆◆




「お爺様、兄さん。ぼくは軍人になろうと思う」


 数日後、祖父に招かれたお茶会で弟は高らかに宣言した。


「もうこの家は嫌だ。外の世界で自分の力を試したい」


 それは不意打ちだったが、ずっと考えてきた事なのだろう。

 弟が両親からの過干渉に苛立っているのは知っていた。

 祖父がいなくなれば、もう逃げる場所がないことも。


 だが普段から軍人の道を勧めてきた祖父は、この時に限って何も言わなかった。

 代わりにアルフォンソに向き直り、問うた。


「お前はどうする?」


(……”強くあれ”か)


 迷うことなどなかった。

 自分が弱いから――否、弱い自分と向き合いたくなくて、ただ痛みに耐えていたことが争いを生んだのだ。

 友人・・たちも、自分がサンドバックに甘んじることが無ければ”侯爵令息に暴行を働く”などと言う大それた行動はしなかったろう。"これから彼らが受ける罰"を思うと多少心が痛むが。


「僕も軍人になるよ。強くなって皆が誇れる男になる」


 祖父は満足げに頷き、使用人に便せんを持ってくるように命じた。


「儂が死んだあと、あれ・・がアルフォンソを士官学校にやるとは思えんからな。遺言として残してしまおう」


 ”遺言”と言う言葉が別れを感じさせてなんとも嫌だったが、それでも目の前が開けてゆく感覚に心を躍らせた。


「レナート、済まないが頼めるか?」


 弟は驚き、やがて悪戯っぽく笑う。

 今まで迷惑がかかるからと止めていた友人・・への対応を任せても良いか? そう受け取ったのだ。


 やがて二人は誓い合う「元帥杖を手にしよう」と。

 クロア公国軍の最高位は上級大将。しかし国家に大きく貢献した者、戦功著しい者には元帥の位が与えられる。

 兄弟でこれを手にした例は、まだない。


 だが、2人はその”目標”を夢物語で終わらせる気など更々なかった。




 かくして撒かれた種は芽吹いた。


 未来の名将ジョージ・パットンはまだ知らない。

 彼が気まぐれで話した幼い少年達が、生涯にわたる強敵となって立ちふさがる事を。


 さながら、スキピオを育てた老将ハンニバルを再現するように――。

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