第3話「じゃない方のアッパティーニ(前編)」
”ほんの小さな事件をきっかけに、歴史が大きく動くことはままある。
しかし、我々帝国派はもっとも相対したくない敵を抱え込むことになってしまった。酒の肴にもならない、実にくだらない事件から”
フェルモ・スカラッティ著『クロアの野火』より
「ああ、ファビオ先輩の仕業か」
大公カタリーナの招聘を受けた時、赤毛の准将は書類の束を置き、友人の名をつぶやいた。
推挙してくれた嬉しさなのか、それとも火中の栗を拾わされるやっかみなのか。手紙を運んだ従兵は、判断に迷ったと言う。
この時、アルフォンソ・アッパティーニは齢33歳。
無名時代の彼を軍人であると紹介しても、驚くか信じないかだろう。
彼は闘争心とか敢闘精神とかいった言葉を一切想起させない。そんな人物に育った。
良く言えば穏やかで、悪く言えばパッとしない。
軍人としてはかなりのスピード出世だとは言えるだろう。だがそれは彼が武門の出であるからで、これまでに何か目覚ましい功績があるわけでもない。
彼のアッパティーニ家は代々名将と呼ばれる人間を多く輩出してきたのは事実だ。
もっとも放逐されたり少尉からやり直しの例もざらにある。
この国の貴族は出世も早いが、万一貴族の特権を認められるに値しないと判断されれば容赦なく引きずりおろされるのだ。
アルフォンソは、命令書を丁寧に読み込むと、それを折り畳みつつ従兵に車の用意を命じた。
劣勢にある大公派を何とかするため、彼の権限で出来る手は最大限打ってきたつもりだ。自分たち兄弟の「大望」を考えればチャンスですらある。だが、あと1枚の……、しかし決定的なピースが足りない。
”それ”を探すのは両目を隠して迷路をさまようようなもの。自分にはこの事態を打破する作戦は打ち出せない。
そう思っていた矢先に友からの手紙である。
友人――と言うより飲み友達のファビオ・ロッソは若手の文官だ。
「機会があればお前を推挙するから常に準備をしておけ」
日ごろから彼の口癖だった。
酒の席の冗談だが、彼が本気であることも長い付き合いから感じ取っていた。
そのような”機会”など、そうそう来るものではないと思っていたのだが……。
(賭けてみるか!)
強くあれ。
あの時の言葉が、甦る。
自分たちは”負けた”のだ。
負けた以上は強くなければならない。
強く、ただひたすらに。
命令書に変えてその手に取り上げた新聞紙は、帝国派の勢力圏で発行されたもの。
そこにはあの懐かしい顔があった。
”新任司令官ジョージ・パットン中将インタビュー”
決戦の時は迫る――。
◆◆◆◆◆
笑い話にもならない下らない事件、それがアルフォンソ・アッパティーニを歴史の表舞台に押し上げたのだった。
騒動は休戦明けから約1ヶ月となる10月4日に起こった。
他国では収穫祭が催され、熱気と酒宴に心躍らせていた頃。泥沼の地獄で日常を過ごしている大公派の軍人たちに、せめてもの御馳走を……と、新鮮な卵料理が振舞われた。
この日の特配の為に、わざわざ認可を受けて生食までもが許される、
ライズ人の現地兵達はウシクジラの照り焼きに卵を塗り、日本人義勇兵は久しぶりの米飯に醤油と卵を垂らし、イタリア人義勇兵は半熟のカルボナーラを、ドイツ人義勇兵はジャガイモ入りのオムレツを楽しんだ。
英国人義勇兵のコックは新鮮な卵をハードボイルドなスコッチエッグに調理し、「わざわざ新鮮な卵でやらなくても」と外国兵を苦笑させたが、彼らは彼らでお祭りと故郷の味を堪能していた。
その後には有志による演劇が披露され、この世界共通の楽しみであるトウモロコシ酒も1杯だけ支給された。
兵士たちは熱気の中でひとしきり語らった後、また明日から始まる地獄に備えて眠りについた。
事件は翌日に起こった。
部隊の各所で、食中毒の症状に陥る将兵たちが多数出現したのである――そしてその中には、最前線であるイリッシュ平原の防衛を担当する第5軍の司令官フィリッポ・モンターレ中将以下、
後に分かった事だが、食材を買い付ける事務方が生食の基準を満たしていない加熱用の卵を混ぜて仕入れていたのだ。司令部を壊滅させた対価は業者から受け取ったほんの少額の”お気持ち”だった。
これを聞いた前線の兵達は一様に青ざめ、英国義勇兵だけは胸を撫で下ろした。
業者は総バッシングを受けた上、軍法会議に掛けられた
とはいえ馬鹿1人を撃ち殺したところで病床の軍人たちが起き上がる訳でもない。
闇雲に魔法を使えば魔力耐性菌を生み出す恐れがあり、強行すれば国際的な信用を失う。50年前に猛威を振るった耐性菌によるパンデミックのトラウマは相当に根深いのだ。
医者も総司令部スタッフの早期の戦列復帰、ましてや計画中の反攻作戦の指揮は不可能と結論を下した。
義勇軍総司令部及び統帥権を持つ大公カタリーナの側近たちは、寝耳に水で大騒ぎとなった。急ぎ後任の選出を行わねばならない。
同盟国ドイツから将官を呼び寄せると言う案も出たが、義勇兵の数は厳しく制限されている。
その場の都合で入れ替える事などもっての外である。ライズ人同士の争いが地球列強の代理戦争となる事を防止するシーグ条約によるものだが、今回はそれが裏目に出た。
もはや後任は内部で選任するしかなかった。
代理の指揮官達が行っている防衛戦闘など所詮はルーチンに過ぎない。運用に柔軟性を欠くために、穴の開いたワイン樽の様に戦力の喪失は現に増加し続けている。
このままでは反攻どころか、衰弱死である。
紛糾する御前会議で、1人の文官が名乗り出た。
「大公陛下、軍司令に推薦したい者がおります」
文官の名はファビオ・ロッソ伯爵。
ロッソ家は代々続く官僚の家柄だが、ファビオは次男であり本来なら軍人になっている筈だった。
ところが帝国派(と言うよりそれに便乗した反貴族主義者)のテロルで兄を失い、任地から呼び出されて家を継いだ苦労人である。
一方の大公カタリーナは平民・貴族を問わず絶大な人気を誇る。若干18歳の少女であるにも関わらずだ。
即位当時、それまで市井で暮らしていた彼女を「何処の馬の骨とも知れない」と揶揄する声もあった。
だが内戦勃発と同時に、そんな陰口の類はたちどころに萎んでいった。
義勇軍総司令として英国から招聘された空軍大将ヒュー・ダウディングが、「陛下に盾となって頂くため、居城の地下に防空指揮所を建設したい」と直談判したところ涼し気に答えたのである。
「それで都市に落ちる爆弾が1発でも減るなら、望むところです」
帝国派の指導者たちも、賢者マルキアの血統を継ぐ大公家への忠誠は変わらない。
敵だからと言って大公めがけて爆弾を投下できる様な兵士はごく限られている。帝国派の貴族ですら「大公陛下を惑わす君側の奸を排除する」と主張して戦端を開いているのだから。
とは言え、帝国派に所属するソビエト義勇兵などは君主や貴族を嫌悪しているのだ。
最近戦場にやってきたニーズホッグなるゾンム帝国の精鋭部隊は、この国の賢者信仰を異端とみなし、捕虜への処遇も苛烈と聞く。安全の保証などありはしない。
そんな状況で彼女は言い切ったのだ。
「望むところ」と。
何時の世も貴人の美談に弱い。それが君主国の国民と言うものだ。
「アッパティーニ”准将”、ですか? アッパティーニ侯爵のご子息は確か海軍少将だった筈ですが……」
レナート・アッパティーニは、宰相ブルーノの遠縁だ。
日英海軍のエリート達を図上演習でことごとく負かせた俊英と聞くが。いくら何でも海軍の将官に戦車戦の指揮を任せるのは畑違いだ。信頼できる根拠があったとしても相当な無理や反発が伴うだろう。
「いえ、海軍少将は
訂正するファビオも苦笑している。
顔に書いてあった。
「まあ、そうだろうな」
と。
主要な人物は全て頭に入れている筈のカタリーナも、アルフォンソの顔を思い出すのに数秒かかった。
確かにレナートの兄が陸軍に居たと記憶している。
傍らに控えるブルーノ宰相に目線で確認すると彼は頷いて見せた。後で詳しい話を聞いておこうと思う。
アルフォンソを引見した記憶を引っ張り出すと、赤い癖毛が脳裏に浮かんだ。
――あれは即位直後の余裕がない頃だった……。綺麗な赤毛を褒めたところ、当主のアッパティーニ侯爵が僅かに表情を歪めたのだ。
後で侯爵が息子の赤毛を嫌悪していると知り、どっと疲れを感じた。地雷を踏んだ後悔とそんな理由で息子を邪険にする侯爵への反感にである。
彼の事を鮮明に思い出せたのはそのおかげだったが。
「確か、彼は兵站部門で実戦経験は無かった筈ですが。そもそもロッソ卿は彼とどの様な接点が?」
大公は採点する教師のような口調で問う。
ファビオは静かに一礼する。そして、無名の准将との出会いを語り始めた……。
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