第46話 超ハードで甘々な一日

 わずかな光が窓辺から差し込んでいる。


 小鳥の優しいさえずりが静かな朝の訪れを知らせていた…………のだが、不意に、ドン! ドン! ドン! と部屋の扉が乱暴に叩かれた。


 「ふぁーーい、誰だよ、こんなに朝早くから」


 ボロベガはボクよりも寝坊助だから、間違ってもボロベガではないだろう。まさかマダナイが戻ってきたなんてこともあるわけないし。


 「誰ですかぁ?」

 ボクは眠い目をこすりながら扉を開けた。

 昨夜はカレブーの無駄な活躍を見たせいか、酔っぱらったせいか、疲れがどっと出てしまって、まだまだ眠い。

 目の前は壁……じゃなかった。目の前に大きな壁のような男が立っていた。見上げるような大男が3人も。


 「女神エルだな? 約束の日が来たぞ?」

 目の前の立派な鎧を着た屈強な男が言った。


 「は? 約束? 何よ、それ」

 「忘れたとは言わさん。お前は申し込んだのだ。このビック・リギョ―ルの街の名物、一日超ハード強化訓練! それが今日なのであるッ!」


 あ、思い出した!


 街についてすぐに道端で声を掛けられ、マダナイのために申し込んだやつだ。

 わずか一日の地獄の訓練であなたのレベルが見る見る上がる! という売り文句のやつ。マダナイに受けさせようと予約したんだっけ。


 それなのにあのアホ、簡単に他の女神にレンタルされちゃって。


 「あ、でも、訓練を受けるはずだった勇者が手違いで、今はここにいないんだ。だからキャンセルってことで……。じゃあ……」そう言って、もう一度寝ようと思って閉じようとしたドアをそいつはがっしりと押さえた。


 「何? ボクは眠いんだけど……」

 「何を言っている! 勇者がいないなら、代わってお前が訓練を受ける取り決めだろうが!」

 「は? へっ? 何を言っているの? ボクは女神だよ、女神様なんだよ!」


 「お前が誰だろうと関係ない、この契約書をちゃんと見ろ! お前のサインもある!」

 男が見せつけた申込書には、確かにボクのサインがある。


 「ここを見ろ、ここにちゃんと訓練受講者が訓練を受けることができない場合は、代わってお前が受講すると書いてある!」

 あ、本当だ、すっごい小さな字で書いてある。


 「こ、これって詐欺じゃないかなッ?」

 いやーな予感がしてきた。

 「何を言う、これは正式な契約だぞ。逃がしはせんぞ。我々はこの契約を履行するのみだ」


 「じ、冗談だよね? ま、まさか本気じゃないよね? この美しき女神に、地獄がうたい文句の訓練を受けさせようというの?」

 「もちろんだ」

 男は真顔でうなずいた。


 「うぎゃー! 本気なんだ!」

 「わかったようだな、さっそく我々と競技場に来てもらおう!」

 ぎゃあーーーー、誘拐だーーーー!

 有無を言わせずボクは袋に詰められ、えっさほいさと運ばれていった。


 ◇◆◇


 どうしてこうなったんだよ……


 「ぐぬぬぬ! 千二百五回……」

 なんで、この美しき高貴な女神エルが、歯を食いしばって、汗まみれで腕立て伏せなんかしているのか!

 これもマダナイのアホのせいだァ~! ひーーん! 泣けてくる。


 「そのへっぴり腰はなんだ! ちゃんと姿勢を保たないか!」 

 ピシッと鞭が音を立て、目の前の地面が裂けた。

 ひいいいいっ!

 目の色が違う、瞳に狂気が宿っちゃっている!

 この男、自分に酔うタイプだ。危ない奴だぁああああああ!


 「ぐぬぬぬ……、二千二百三十……。もう、げ、限界」

 「そんなことだから女神のくせに二の腕に無駄肉がつく! どうせ、戦いは男に任せて、お前はお菓子ばかり食っていたのだろう! その腹回り、もはや危険なレベルだと気づいていないのか!」

 グサッ! 確かにちょっと腹回りが豊かになった気がしていたけど。それを女神に向かって言う?


 「だらしない奴め、次はスクワットだ!」


 ひえええええ……!

 既にさっきの砂地と泥沼の走り込みで足はバリバリ筋肉痛なんですけど! っていうか、全身の筋肉が悲鳴を上げているんですけど! 死にそうなんですけど!


 息も絶え絶えのトカゲのように地面に伏せて、ボクは美の女神とはとても思えないげっそりした顔で男を見上げた。


 「まだまだ! ここからだ! 気合だ、気合を入れんか!」

 お、鬼だ……


 ◇◆◇


 夕暮れの街である。

 「女神エル様、どうしてそんなに全身プルプルなのです?」

 何も知らないユーリが不思議そうな目をした。


 水鏡には、体中に湿布を貼って、杖にすがるように立つのがやっとの顔色の悪い女神が映っているわ。それボクだし。


 「いえ、今日はね、マダナイのせいでちょっとひどい目にあってね……」


 「マダナイ様の? 何かあったのですか? ボロベガさんは知ってます?」

 「いや、わしらも知らないのだ。いつの間にかご主人様が宿からいなくなっていて、帰ってきたと思ったら、あんな風になっていたのだ」


 ボクは説明する余力も残っていない……。これというのも、あのアホ勇者が別の女神にレンタルされたのがそもそもの原因だ。


 「さ、さあ、女神の試練……、その結果が今、わかるよォ」

 ボクは湿布をぺたぺた貼った腕を差し出して、水鏡に女神パワーを送った。


 手ごたえあり!

 異空間に釣り糸のように垂れた縄が目的の男、カリブーをキャッチしたようだ。途端に暴れる魚と格闘するかのように、手の平から伸びた光の縄が鏡面を縦横に走る。


 あ、あいつ、何を暴れているのかしら?

 ぐっ、重い、重い! こっちはただでさえ筋肉痛なのに!


 「女神様! 兄は! 兄はどうなのですか?」

 ユーリがかわいい顔をして隣で心配そうに見つめる。


 「ぐぬぬぬぬ……、今、引き上げるから」

 な、なんでこんなに重いんだ?

 カレブーだから多少は重いとは思っていたけど、あいつ、この試練で少しくらいは痩せなかったのか?


 だけど、ボクは女神た。見よ、女神のど根性っ!

 ガッと大股で地面を踏んで、とても他人には見せられないような恰好で縄を手繰り寄せる。


 「ふんッ、ぬぬぬぬ……っ!」


 両手で光の縄を掴んで、がんばって手繰り寄せる。

 太ももまで湿布だらけの両足で踏ん張るその姿、はっきりって美の女神が見せて良い姿じゃない。


 「ぐぬぬぬぬ……!」

 女神エル、頑張るんだ!

 重すぎて、体が水鏡に引き寄せられる。

 ただでさえ筋肉痛の酷い全身の筋肉がピキピキと音を立てる。


 ああ、もう、しんどい!


 「女神様! 頑張って!」

 ユーリが応援する。

 「ご主人様、もうひと踏ん張り!」

 ボロベガが叫ぶ。


 「ええいッ、ド根性! これが女神パワだァアアアアアアーーーーーーーーッ!!」



 ジャボン!!

 大きな水しぶきが上がって、ドドド! と水鏡の中から人影が飛び出してきた。


 「カレブー、あんた重すぎるよ……、あ?」

 ホッと一息ついて、次の瞬間、ボクの目が点になった。


 目の前の黒い肉塊に、赤い髪の美少女が抱きついていた。


 「女神エル様、俺はついに試練をクリアしたぞ! おお、ユーリよ! 兄はついにやったのだ、勇者の試練を突破し、あの世界で富と名声と、愛しい彼女を得たのだ、ぶーー!」


 水鏡の上に、『勇者認定!』という文字が光っている。


 「は?」ボクは絶句した。 

 「彼女さん、ですか?」ユーリがきょとんとした。

 兄が勇者になってうれしいはずなのだが、兄の隣にいる美少女に目が点になっている。


 「カレブー様の従者エクレアです」

 カレブーが立ち上がると、その傍らに例のゴーレムだった美少女がぴたりと張り付いて、恥ずかしそうに言う。


 「そう、彼女こそ我が従者にして恋人、既に正式に結婚の約束も交わしたエクレアだ! どうだ、すっごくかわいいだろ?」

 カレブーがデレた。

 もうエクレアにメロメロであることは誰の目にも明らかだ。


 「みなさん、まだまだ未熟者ではありますが、本日よりよろしくお願いします!」

 美少女エクレアがぺこりと頭を下げた。


 「そっかーー、どうりで重かったわけだよ。二人分だったのか、あははは……」

 「そうなのだ、あははは……」

 ボクにつられてカレブーが頭を掻きながら笑い出しだ。


 「アホがっ! あの世界の住人を勝手に連れてくるんじゃない! その子があの世界で背負わされていたラスボス的な立場まで女神力で強制解呪しちゃったんだぞ!」

 ボクはエクレアを運命の輪の中に閉じ込めていたルールを無意識に書き換えながら引き上げていたんだ、重いはずだよね。


 「おおっ、女神様の嫉妬! 俺も罪な男だな。うむ」

 キラっと歯が光る。

 こ、こいつ、勇者になったのは認めるけど、なんだかダメ勇者仲間を増やしたような気がする。少しくらい痩せてくるかと思ったけど、見た目もさほど変わっていないし。


 「女神様ッ! たとえ女神様でも旦那様に悪く言うなら、容赦しませんよ!」

 エクレアがカレブーを庇って割って入った。

 大きな目が見つめている。

 ひゃああ、なんてこった! この子、真剣に、本気で、カレブーに惚れているっ!


 美と愛の女神であるボクにはその純愛が見える!

 これがデブと野獣ってやつ? ん、違うな。美女とおデブ。

 凄い組み合わせ。これはもう愛の奇跡としか言いようがない。……なんであんなのが良いのか不明だけど。


 「エクレアちゃん、カレブーはボクの従者勇者なワケ。女神として新米の勇者を導くのが務め、けして悪く言うつもりはないけど、女神の試練の空間から勝手に人を連れてくるのはダメなんだよ。わかるよね?」


 「まさか、エクレアを元の世界に戻す気か?」

 カレブーがエクレアの肩を引き寄せ、ボクを睨む。

 ほう、ほう、その面構え、以前とは比べ物にならないくらいまともに見える。愛だね、これが愛の力だねぇ。


 「まぁそうは言っても、出てきてしまったのは仕方がないだろうね。今さら戻せないし。そもそも外に連れ出したのは、結局はボクの力でもあるからね」

 ボクは肩をすくめた。


 そうなんだよね。

 女神の綱で二人まとめて引き上げたのは、誰でもないこのボクだし! このままこの事が天界に知られると「お前の確認不足じゃああああ!」と神様にひどく叱られそうだ。

 なのでここはウルウルのまなざしで「愛の女神として、二人を引き離すことはできなかったのですわ!」ということにしておこう。


 まさか、全身筋肉痛なので。

 手っ取り早く終わしたくて。

 事前の確認をすっ飛ばしました。あははは……なんて、口が裂けても言えるわけないじゃないかァ。


 「あくまでも二人の愛に感じ入ったということにしてと……」

 ボクはすぐにメモを書いて、天上世界に伝書鳩を飛ばした。


 「ふう、これでアリバイ工作は済んだよ。さてよ、お二人さん」

 「どうかしたのか?」

 「カリブーには最低一週間……。まずは代わりの勇者が見つかるまでの間は一緒に旅をしてもらうことになるよ。エクレアも一緒にね、女神レースよ覚悟は良い?」


 「私はカレブー様と一緒にいられるなら、旅でも何でも喜んでしますよ! ね! カレブー様っ!」

 エクレアが嬉しそうに目を輝かせる。

 その甘々な雰囲気。

 うん、なんだか幸せそうだ。ちょっと妬けるかも。

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レンタル勇者にアイの手を~~っ! バージョン2 水ノ葉月乃 @tomkatom

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