第45話  そのデブは女神の試練に挑む

 宿の食堂で寂しい夕食を終えたボクはギシギシときしみ音を立てながら暗い階段を上がった。その顔が妙に赤いのはやけ酒のせいだ。宿のおっさんがドン引きするくらいには荒びていたらしい。


 「ひっく、それにしてもマダナイの奴、この美しい女神を差し置いて他の女神にレンタルされるってどうなんだよ? 少しくらい未練とか、なかったの?」

 「俺には既に心に決めた女神がいるのだ! とか断らなかったの? マダナイのアホーーーーーっ! あんなに面倒を見てやっただろ? うがぁああああああーーーーーっ!」

 女神の怒り! いやただの酔っぱらい。


 悶々しながらすぐに部屋に到着。

 冷たい取っ手に手をかけたら、廊下を挟んで反対側のボロベガの部屋がやけに賑やかなことに気づく。


 「うおーーー!」

 「アハハハハ……!」

 ガチャガチャン!

 「ダメですって、ボロベガ様……!」

 

 「あいつら、こんな時間まで何やってんの?」

 そう言えば夜間だけ従者を元の姿に戻しても良いことにしたんだっけ。と思い出す。

 それにしてもちょっとテンションが高すぎだ。一体何を壊したんだろ? 誰が弁償すると思っているんだ?

 

 「あんたたち、もうちょっと静かにしなさいっ!」

 扉を開いて叫ぶと、裸踊りをしているボロベガと目があう。


 「…………」


 床には何枚もの皿が割れている。ううーーーん、思わず眉間にしわが寄ってきた。ボクの顔色に何かを察した従者たちが青ざめる。


 「それ弁償。もちろんあんたらが払うこと!」

 ボクが床を指さすと、そいつら全員でコクコクとうなずく。いつものシンクローー、いつ見ても見事だ。


 「まったくもう、うるさいんだから」

 ボロベガたちの部屋の扉を閉め、溜息が出る。


 あまりうるさくすると宿屋の主人が注意に来るかもしれないし、部屋を覗いた瞬間に裸踊りする魔物と目があったら腰を抜かすかもしれない。それは非常に不味い。


 「女神パワー、沈黙のカーテン!」

 万が一に備えてボロベガの部屋に遮音術をかけた。

 うん、これでようやく静かな夜になった。


 「さて、カレブーは無事に女神の試練に入ったけれど、担当女神として数時間置きに状況確認が必要なんだよなーー。実はこれが超面倒くさいんだよねーー」

 ボクは部屋に備え付けの魔法のランタンを灯し、食堂からこっそり持ってきた葡萄酒の瓶をサイドテーブルに置いた。


 「ちゃっちゃと終わそーーっ」

 少し酔って艶っぽい美の女神がベッドに腰掛け、誰に見せつけるわけでもなく無駄に色っぽく足を組む。

 「怠惰な眼よ、試練に挑みし者の姿を示せ、まっきょう!」

 魔鏡を呼び軽やかに杖を振る。

 目の前に無数の水滴のようなものが現われ、回転し、丸い鏡を形作っていく。空中に浮かんだ水滴は水銀の珠だ。それが瞬時に大きな丸鏡になった。


 淡い青い光に縁どられた神聖な鏡は魔法の力を帯びて光っている。この魔鏡は異空間を除く鏡で、女神の試練フィールド内でカレブーが何をしているのか見ることができる。


 「そういえばこれを使えば勇者の現状も見えるんだっけ? マダナイともつながる? ボクの勇者枠にはマダナイとの絆の残滓みたいなのがまだ残ってるし、ちょっと覗いてみようか? いや、ダメダメ、ルール違反になる。酔っているからか碌なことを考えないな」

 それにしてもマダナイの奴…………ボクはせっかく借りていた隣の部屋のドアを開けてみた。


 皺ひとつないシーツ、空っぽのベッドに寒々とした月明りが落ちている。


 「この変態女神! そんなに俺の裸が見たいのか!」

 風呂上りに叫ぶイケメン顔が浮かんで消えた。

 あんな奴でもいないとちょっと寂しい気がするから不思議だ。 

 奴のために借りた部屋の壁鏡に映った女神はどこか哀愁を帯びた微笑みを浮かべてこっちを見てるし……。


 「さてと、いない奴の事ばかり考えてても仕方ない。気を取り直して、やりますか……」

 ボクは気晴らしに葡萄酒をぐいっと飲んで、さらに赤くなった顔で両手を魔境にかざした。


 「ーーーー鏡よ、鏡、勇者見習いのカレブーを映し出しなさい! ゲッフッーーーーーーツ!!」

 女神とは思えぬ下品なげっぷ!


 「ゲッフウは無効です。…………未登録呪文を行使する場合は先に新規登録を行ってください」 

 魔境が羞恥心を逆なでする。

 

 あ、危なかった。と口元を拭う。

 美の女神がブッハッと胃の中身を噴き出して、モザイクキラキラ演出になるところだったわーー。


 「ゲッフウは無効な呪文です……」

 「ゲッフウは無効な呪文です……」

 「ゲッフウは無効な呪文です……」

 魔境の奴が淡々と告げる。


 目の前にゲッフウの登録画面がピコピコ明滅している。

 アホかぁああああああああああっ!

 叫びたくなるのをぐっと我慢して、そそくさと「登録しない」を選択。


 「勇者見習い、カレブーを映しなさーい!」

 気を取り直して叫ぶとパッと画面が切り替わって、ジャングルのような場所が魔境に映し出された。


 あれ? こんなところにカレブーがいるの? 

 周辺を探ると、すぐに肥えた巨体が見つかった。ジャングルからちょっと出た広場にカレブーが妙な格好で立ち止まり、足をプルプルさせている。


 服の汚れ具合からすると既に数か月は経っているようだ。


 「行くぞ、行くぞ。うまくタイミングを計って……」

 カレブーが自分にぶぅぶぅと言い聞かせている。


 ああ、これ “だるまさんが転んだ” イベントの最中か!


 開けた岩場に不気味な人型の岩が鎮座している。

 その頭部には灯台のように一定周期で回転する目玉が付いている。あれは監視装置を頭部に持つマッチョなゴーレムなのだ。


 巨大なハンマーを両手で携えており、気づかれると攻撃されてしまう。目玉が向こう側を向いた時だけ死角ができて接近できる。ゴーレムの胸にはボタンがあり、それを押さないと、次のステージに向かうためのダンジョン入り口が開かない仕組みだ。


 このゴーレムが結構な曲者で、序盤ラスト最大の強敵だ。

 しかも実は女神の試練中屈指の高レベルモンスター。つまりラスボス級の存在なのだ。だから気づかれたらまず勝てない。

 勇者見習いとはレベルがまるで違うので、ごり押しは不可能。ここで挫折する見習いを何人も見てきたボクには分かる。真っ向勝負は超一流の勇者ですら勝算は五分五分という極めて厄介な相手だ。


 「さて、このデブーー……じゃなかった、カレブーはどうするかな?」


 頭部が向こう側に回った瞬間にカレブーが3歩進む。

 「ブー!」

 また、頭部が向こう側に行った!

 カレブーが2歩半進む。

 「ブヒッ!」

 

 着実に近づいてはいるけど、なんだか見ていて不安だ。


 今までここをクリアした見習いたちに比べると、カレブーは太りすぎていて姿勢制御が不安定なのだ。もちろん敏捷性にも難がある。


 しかし、それ以上に問題なのは、敵の視界に入る範囲が広すぎるというデブゆえの致命的な欠点だ。他の見習いに比べて2~3割は動ける時間が短い。


 「大丈夫かなぁ? あのゴーレム、意外と敏感なんだよ」


 ちゃんと全身をピタリと止めないと接近がバレる。

 動かないように力を入れるのは意外に大変なんだよなー。この試練には精神力も求められるんだよなーー。


 カレブーの顔は既に脂汗でびっしょり。

 贅肉が多すぎて、あいつには不利かもしれない。

 身体はピタリと止めているが、止まるたびに、ぼよよんと腹の肉が波打つ。


 「あーーあ、あれにゴーレムが気づかなければいいけどね……」

 ボクの不安をよそに、カレブーは腹を揺らしながらあと十数歩に迫った。見てるだけでこっちが緊張してくる。ぐっと握った手に嫌な汗が滲んできた。


 「慎重にね! もう少しだよ!」

 鏡に向かって思わず叫ぶが、もちろんカレブーには聞こえない。


 あ、こいつ、それは不味い。

 無理は厳禁だよ。

 あと少しだと思ったのか、表情に焦りが出てきたのがわかる。息が上がってきて、ブゥブゥ言う回数が増えているし。


 ゴーレムが向こう側を向く。

 さっきより進む歩幅が多い!


 「危ない!」

 思わず目を覆ったけど、ゴーレムがこっちを向くぎりぎりで動きを止めた。まったく心臓に悪いことをする。酔いが一気に醒める気がするーーーーっ。


 「次の一回で決めてやる、ぶぅ!」

 また無茶なことを言う、その距離なら、最低あと2回は我慢しないと。


 頭部が向こう側に行った! カレブーが一気に進む!

 だから、その距離は無茶だってば!


 「ぶぅっ!」

 ほら見たことか!

 カレブーがコケた!

 足がもつれる。転倒するっ?


 でも、思ったより勢いがついていた!!

 カレブーが頭から突っ込む!


 ふるえる肉の塊が宙を飛ぶっ! ゴーレムめがけての頭突きっ?


 「ブーーーッ!」 

 空飛ぶブタ、じゃなくてカレブー!


 ある意味、凄い光景が展開する。

 デブ勇者見習いがハンマーを振り上げたゴーレムに顔面衝突、その勢いでゴーレムを強引に押し倒す!

 ……っていうか、ぶちゅう! と醜悪なゴーレムの唇を奪ってるじゃん!


 挙句、でぶった腹でぼよんとゴーレムのボタンを押したし……。


 これは女神試練史上、始めてみる攻略パターンだ!

 でも一応クリアと見なされたらしくダンジョンの入り口が開いていく。


 「見たか、俺の実力」

 強面のロックゴーレムにキスをぶっつかましたカレブーの脂ぎった顔に満足そうな笑みが浮かぶ。


 いや、確かにクリアだけどね、これでいいのか?

 そう思って見ていると、カレブーの太い背に隠れて見えないが、腹の下でゴーレムが動く気配がした。


 ほらほら、油断禁物よ!

 ゴーレムがまだ生きてるよ!


 こんなイレギュラーなクリアは初めてだから何が起きるかわからない。ゴーレムがどんな反応をするかわからない。本来ならダンジョン入り口が開いた時点でゴーレムは停止するはずなのだ。


 カレブーは後ろから見るには太すぎるのがネックだ。この角度からだと緊迫したシーンが良く見えない。

 高レベルモンスターのゴーレムが目覚めたらデブ勇者見習いなんて一撃でお終いだよ。と急いで、鏡の視点をカレブーの側面に移動して。

 

 ……はぁ?


 「愛しの勇者さま……」

 カレブーの腕の中でかわいらしい美少女が言葉を発した。


 「どえええええええええーーーーーー!」

 目玉が飛び出す!

 流石の女神でも、こんなの予想外!

 予想外だよ!


 燃えるような赤い髪の目のぱっちりしたかわいい女の子が鏡に映っている。華奢で小柄な雰囲気だが胸は意外にあって魅力的。全体的な印象は妖精族に近くて美少女に見えるが意外と成人かもしれない。


 「な、な、何、あれ?」 

 ちょっと、待って、あの美少女は一体どこから出てきたの?

 ゴーレム、どこ行った? 

 あの娘、いつの間にカレブーの腕の中に?


 「やはり、そうだったか、ブっ」

 見つめあう二人。

 乙女を抱えたカレブーは弛んだ顔をきりりと引き締めた。まさかのイケメンムーヴっつ!


 一体何が “そうだったか”、 なんだよっ! 

 あのゴーレムは? まさかあの少女が?

 こんな場面、おとぎ話でしか聞いたことないぞ!


 「勇者のキスでようやく呪いが解けました。ゴーレムにされて数百年、やっと元の姿に戻ることができました」

 美少女はうるうるな瞳でカレブーを見つめている。


 本当におとぎ話そのままだったよ!

 何てこった! 全然知らなかったよ!

 今までも何度もこの試練の場面を見てきたけど、そんな裏設定があったの! このゴーレム、ただの仕掛けの一部だと思ってたよっ!


 「数百年もこの場所で待っていたのか?」

 「はい、勇者様!」


 ん、ちょっと待って?

 数百年もあの姿ってことは、女神の試練の一部になって数百年もの間、ゴーレムになって王子様を待ってたってことだよね?


 うーむ。でも考えてみれば当たり前か。

 あんな気色の悪いゴーレムにキスしようと考える変態なんかいるわけないし。


 だとすると、これって本来はほとんど解呪不可能な呪いじゃない? うわーー、なんだか、罪悪感が湧いてくるわーー。この試練を作った女神って腹黒だわーーーー。


 「どうしてゴーレムにされていたのだ、ぶぅ?」

 「病に伏せていた母親のため、女神の園から長寿の実を盗んだのがバレて……その罰です」

 ああ、あれねぇ。

 長寿の実って昔は希少だったかもしれないけど、今ではどこにでもあるごく普通の果物なんだよね。

 うーむ、その話が本当だとしたら、過剰な罰を与えた女神の方が悪者に思えてくる。


 「俺は、勇者見習いのカレブーという」

 「エクレアです。ご主人様」


 「エクレア? いい名前だ、うまそうだぶーー」

 「まあ、出会ってすぐ、うまそうだなんて! 積極的な方ですね、素敵です!」

 エクレアがぽっと頬を染めた。


 あーー、その妙なラブコメ展開は良いから、早く試練を進めてよ。見ていて、ちょっとイラっとした。

 「やけ酒だぁ!」

 ボクは葡萄酒の杯を掴んで一息で飲み干した。


 こっちの世界ではボクに「貴女の愛の騎士だ」とか言ってたのはついさっきのことだ。

 それが早くも可愛い女の子にデレデレしている。こいつに付きまとわれるのも嫌だけど、すぐに心変わりされるのも微妙に腹が立つ。


 貧乏ゆすりをしながら見ていると、どうやら二人でパーティを組んでダンジョン攻略に入ることにしたようだ。


 イチャイチャしているのを見守っているのもアホらしい、いい加減酔いも回ってきたし、もうボクぁあ寝るっーーーー!

 魔境を閉じてボクはばったりとベットに大の字になったのだった。

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