第44話 レース失格だけはいや!

 うーーー、ゴロゴロゴロ……

 あーーー、ゴロゴロゴロ……

 美の女神が右に左に頭を抱えたままローリングしながら悶えている。


 「ご主人様、そんなに落ち込まなくとも……。ほら、周りの人が変態を見る目つきで見てますぞ」

 ボロベガが勇者斡旋所の見える街角のベンチに座って、芝生の上を転げ回っている私を慰める。


 物珍しそうに遠巻きに見ている人々の方から、見ちゃいけませんとか、触らぬ何とかにとか、色んな話し声が耳に入ってくる。


 「だって、だって! マダナイの奴ぅううう! 裏切り者ぉおおおおお!」


 「ご主人様がすぐ更新手続きをすればよかっただけでは……」

 

 ギロッ!

 「!」

 目力に耐えきれずボロベガが好きでもない子から告白された女の子のように視線を逸らす。

 

 「だって、勇者をレンタルできなかった衝撃はあまりにも大きいよ。マダナイの奴めーーーーっ、何勝手にレンタルされちゃってんだよっ! ぐぬぬぬぬぬっ!」

 自分を棚に上げて瞳に怒りの炎まで燃やしたりするが、むなしいだけだ。


 うおーーーと顔を両手で覆って再度ゴロゴロする。


 「ご主人様にとってマダナイ様は大切な方だったというわけですな?」

 「ば、馬鹿だっ! そんなことあるわけないんだよっ!」

 ボクはバッと体を起こしてなぜか咄嗟に耳を塞いだ。

 

 他人が聞いたらきっと誤解するセリフ。でも認めたくないがその言葉にドキッとした。どこか見抜かれたような気がする。ボクが無言で見上げるとボロベガが覗き込んできた。


 「ええいっ、違うって! 断固否定するよっ。誤解も甚だしいんだよ!」

 まったくもう! とボクは大袈裟に頬を膨らませる。が、実は少し耳が赤くなっている。


 こんな時にそんな繊細な話に持っていくかなー?

 確かにあいつは顔だけはイケメンだったよ、それは認めるよ。

 それに意外に優しい一面があって。

 ほんの少し頼りになったこともあったけどね。

 好き? まさかね、そういう感情じゃないよ。うん、妙な言葉で動揺したせいだし、きっとこれは勘違いって奴だよ。


 ボクは頬を両手でパンと叩く。


 「じゃあ、なぜ、そんなに落ち込むのだ? 別の勇者を雇えばいいだけではないか?」

 「くっ!」

 こいつーーーー、真正面から人の顔を見るんだから、まったく……。頬がさらに赤くなる。それに妙に胸がざわついて苦しい気がする。何だろうこの感じ? 


 そうか、この沈んだ気持ちの理由は明確だよ!

 不意にこの気持ちに対する答えがポンと浮かんだ。

 自分を納得させる十分な答えにボクはすぐ飛びついて気持ちを落ち着かせる。


 「魔族のあんたは知らないだろうけど、三日以内に新しい勇者と契約しないと自動的に女神レース失格になるんだよね。レース失格は女神仲間ではかなり恥ずかしいことなんだよ」

 ボロベガの隣に腰掛け、真面目な顔をして両手に顎を乗せる。


 それは本当だ。

 女神として失格はレースでビリになるより数倍の恥とされる。

 天上界に戻っても、「あいつ前回失格だったんだぜ、ぷっ!」とか、後ろ指を指されることになる。


 「それがマダナイを雇えなかったショックの原因だよ、他意はないんだからね」


 「妙ですな。勇者はマダナイ様だけではないはず……。向こうの大通りで雇い主を探している勇者をちらほら見かけましたぞ。こだわりがないなら新しい勇者をレンタルすればいいだけでは?」


 「うぐっ、簡単に言ってくれちゃって……」

 ボロベガが首から下げている宝珠に化身している眼鏡君が助言しているに違いない。確かにその通りなのだけどね。


 「はあああ……それができないから困っているんだよ」とため息が出る。


 「?」

 「今の残金でレンタルできる勇者がここの勇者斡旋所には登録されていないんだよね」

 「なんと! 本当ですか!」

 「うん。この付近はレース中盤地点だから値段が高騰しているんだって。マダナイと同レベルの者を雇うなら勇者村にいったん戻らないといけないらしいんだ。でも戻るだけで三日以上かかるし……。ほら見てよ」とお財布を逆さにして見せると糸くずがぽろりと落ちる。


 お財布は女神バンクにつながっていて、この世界のお金が定期的に補充される仕組みだ。バンクに余財があれば空になった時点で自動的に補充されるんだけど、昨日までの分は全部使い切ってしまって空っぽなのだ。多少はへそくりもあるし、いざとなれば女神の装飾品を売れば生活は可能だが、それを全部使っても提示された勇者のレンタル料には程遠い。


 「ダンジョンとかに潜ってお金を稼いではどうか? とメガネが言っているが?」

 「ああーーーー無理、無理、とても2、3日で準備できる金額じゃないんだ」


 今から猛ダッシュして勇者村まで戻れる?

 いやいや、着く前に体力が尽きてきっと死んでしまう。


 てっとりばやくお金を稼ぐ方法はある?

 うーーむ。

 どこかの超危険なダンジョンで稼ぐ?

 でもボロベガたちだけではちょっと不安があるし、そんなに稼ぎの良いダンジョンがコロコロあるわけがないし。

 

 「まったくもう困ったよね」

 神妙な面持ちで頭をひねっていると。


 「ーーーーーーじゃあ、知り合いに頼むのはどうです?」


 少女の声に振り返ると、そこにユーリが立っている。

 いつもの魔法の杖を両手で持ってにっこりと微笑んでいる。


 「ユーリ! いつからそこに? もしかして話を聞いてた?」

 「斡旋所のおじさんに、女神エル様が勇者マダナイ様と別れたとお聞きしました。まさかこんなところで悩んでいるとは思いませんでしたよ」

 ユーリはベンチをくるりと回って正面に来た。


 「知り合いって? ユーリの知り合いに勇者がいるの?」

 目をぱちくりとさせて、ボクはユーリの自慢気な顔を見つめた。


 「ええ、勇者というか、今はまだ勇者見習いの者ですけれど。……でも女神様が勇者に認定すれば、勇者になるのではありませんか?」


 「へぇ、よく知ってるね」

 冒険者で一流と認められた者が神殿での儀式を経て勇者見習いの資格を得る。その後、女神の元で修行し、勇者になるための試練を受けて合格すれば晴れて神々公認の勇者になるのだ。


 勇者になると様々な神々の恩恵を受けて、身体能力がアップするし、珍しいスキルももらえる。そして何よりも女神同伴なら死んでも始まりの街で復活できるという特典がつく。


 「なるほど、ボクがその勇者見習いの師匠になって女神の試練に合格させればいいんだ」

 「どういうことですか? ご主人様」

 ボロベガが首をかしげる。


 「新米勇者の指導期間中は契約しなくてもボクの従者扱いになるんだよ。それならレンタル料も契約料もかからないし、ボクも勇者を従えた女神ってことになる。有能な勇者だったら指導期間が過ぎるタイミングでそいつと契約してもいいし、ダメな奴だったら指導期間中に勇者村まで戻って新たな格安勇者をレンタルしても良いし、それだね!」

 ボクの顔がパッと輝く。


 「ね、良い案でしょう?」

 ユーリは得意満面である。


 「良いね! ユーリ、その案に乗った!」


 ボクは落ち込んでいただけに急に光が差し込んできたような気がしたが、やはり軽率な判断は、ろくなことにならないのだ……。



 ◇◆◇


 「女神エル様、ボロベガ様、こちらが勇者見習い歴10年、いまだにさっぱり芽が出ない勇者見習い! 万年勇者見習いとバカにされ続けながら耐え続けている私の兄、カレブー(独身)ですわ!」


 「ぶーーーっ!」とボクは飲んでいたお茶を吹き出した。


 どどーーーん! と目の前に大きな脂身が現れた。

 横幅だけはあのボロベガを凌駕しているんだから恐ろしい。

 思わずげっそりである。

 まさかのストーカー……、いや、ユーリの兄、カレブーが勇者見習いだったとは。


 「美しき女神エル、私はあなたへの愛に目覚めた騎士だ、ぶーー」

 カレブーは膝を折って頭を下げた。


 勇者見習いを連れてくるというので、待っている間、お茶を飲みながら優雅なひと時を楽しんでいたのに全部噴いた!

 しかも、勇者見習いがカレブーだったというだけで大ショックなのに、今、こいつ愛に目覚めたとか言わなかった?


 げっ……。

 ダ、ダメだ、ボクを見上げる瞳にLOVEの文字が浮かんでる。


 「ぎゃああああ…………!」


 「女神様、どうされました?」

 ユーリには悪いけど、この話は無かったことに……。

 でも残り2日しかない。

 うがーーっ、どうすればいいんだ!

 しかも、こいつを2日以内に勇者まで引き上げないといけないとか……。

 できる?

 いや、やらないと失格だ。

 そっちの方が嫌だ。今回の女神レース失格第一号なんてそれだけは嫌だし!


 「新たに修行させる時間もないから、ぶっつけ本番ですぐに女神の試練を受けさせることになるよ。それでも大丈夫?」


 「愛が奇跡を生む瞬間をお見せいたします」

 真顔で言うかそれ!

 くっさーーーーっ! くさすぎて顔がひきつる。それはイケメンが言うセリフだからな!


 「ありがとうございます! 女神様! 兄をよろしくお願いしますね!」とユーリが嬉しそうにボクの手を握ってブンブンと上下に振り回す。


 むむむ……切羽詰まった女神なら試練も甘くなるってユーリに嵌められたんじゃない? 落ちこぼれの兄が勇者になる千載一遇のチャンスだもんね。


 むむむ……、ユーリ、あんた魔法使いの素質あるわーー。

 腹黒魔法使いだわーー。

 それって何ていうか知ってる?

 黒い魔女って言うんだよ。

 それって、あのダンジョンのラスボスの同類だからね。

 じろっとユーリを見たが、ユーリはさっと視線を反らした。


 「仕方ないなぁ。カレブーこれから直ちに女神の試練を受けてもらうよ。クリアできれば勇者として認定されるからね」

 ボクは威厳を持ってさっさっと左右に杖を振った。


 「おお、女神よ、その愛の力で私は勇者として今度こそ覚醒してみせよう! ぶぅ!」

 ぴかっ!

 カレブーの目が強い意志の光を放って僕を見つめた。


 だ、か、ら、そこでハートマークを光らせるなっ!

 思わず無言でドスドスドスと三度も地面を踏み鳴らす。


 目を輝かせるなら、「やるぞ!」とか「がんばるぞ!」って意味で光らせろっての! こっちは女神パワーで勇者見習いごときの考えなど丸わかりなんだぞ。

 女神もあっと驚く力に目覚めて、そのカッコよさにボクがカレブーに惚れるとか、ありえないから、そういう妄想はいらないから! 試練の邪魔だから!


 ちょっとげっそりしながらも、女神の試練……そこへ至るゲートを出現させる。

 ブーーンと虫が羽ばたくような音がして、何もないところに楕円形の大きな水面が現れた。


 「これが試練への道、たぶん、いままで何度か挑戦しているだろうから、知っているよね?」


 「もちろんだ、ぶー! 流石は女神エル、ゲートも大きいのだ。前の女神の時は、入り口が狭くて、引っかかって入れずに試練に失敗したのだぶー」

 それって、普通の人ならくぐれる大きさだったんじゃないかな? 失敗原因はあんたが無駄に横に広いからでしょ? と眉間に皺が……。


 「気を取り直して、それじゃあ今から中に入ってくれるかな? 中に入れば自動的にクエストが発生するから。今回の試練の地では時間制限は無し。何年かかってもクエストを最終的に完了させれば勇者に認定される。もし失敗したり、途中で挫折したりした場合は、試練の地から自動的に吐き出されそこで試練は終わりになるからね。これが最後のチャンスと思って歯を食いしばってやり抜くんだ、いいね?」


 「わかった、ぶッ!」

 カレブーは、今度こそ本物の強い意志を持ってうなずいた。そうそう、その意気だよ。目つきが勇者らしく変わったよ。そんな顔できるんじゃない。


 「ユーリ、兄は行ってくるぞ!」

 「ええ、兄さん、こんどこそがんばって!」

 ユーリの声援を背に、カレブーは恐る恐るという感じで、その水鏡の中に姿を消した。


 この試練の地へ至るゲートは一昼夜出現している。試練の地で何年経過するか不明だけど、たとえ内部で何年経ったとしても、出てくるとわずか一晩しか経っていないという仕掛けだ。


 「さて、結果が分かるのは明日のこの時間になるよユーリ、今はじっと待つんだよ」

 ボクはゲートにむかって不安げに祈りを捧げる少女の肩に手を置いた。

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