第43話 延滞金とレンタル中
次の日の朝、ボックたちが宿屋に姿を見せた。
「女神エル、迎えにきましたよ~っ」
「準備できましたデスぅ~?」
二人は何の気なしに部屋のドアを開け、そして目を点にした。
「むむむむむむむむむむむっ!」
「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐっ!」
部屋の中でマダナイと女神エルが一触即発の戦闘態勢で睨みあっている。
うん修羅場だった。
「…………」
ボックは無表情で死んだ目をして何も言わずにドアを閉める。
「ちょっとぅ、あれくらいでびびってどうするのぉ? もう仕方ないなぁ」
とミカが再度ドアを開く。
「この覗き魔! 変態勇者めっ! ええい、ボクがその性根を叩き直してくれようぞ!」
「誰が好き好んでお前の貧相な裸なんか覗くかっ! 第一、シャワールームで朝っぱらから変態踊りの練習をしている女神がどこの世界に居るんだよ! それに脱衣所のハンガーに俺のシャツが干してあるんだぞ! いつまでも出てこないお前が悪いっ!」
「ぐわあっ、貧相? このボクのどこか貧相っ! これでも美の女神なんだよ! ぐぬぬぬぬぬぬぬっ!」
ボクは、裸にバスタオルを巻いただけという姿で両手チョップを構え、上半身裸でパンツ一枚のマダナイと対峙している。
二人は部屋の中を円を描くように位置を変え、じりじりと間合いを変える。目を反らしたらやられる! マダナイが真剣な表情をして睨み返す。
「やめてくださいデスぅ! 女神様っ! マダナイさん!」
ミカの突然の声にびっくりする二人。
その拍子にボクの手からバスタオルがはらりと落ちた。
「うぎゃーーーー!」
ボクはしゃがみこんだ。
目の前で何かをガン見してしまったマダナイがふいに鼻血を吹き出して仰け反る。ボックも慌てて顔を手で覆った。
「なーにやってるんデスかっ?」
ミカが呆れ顔ですぐに別のタオルを肩にかけてくれた。
「ミカ、聞いて聞いて! この変態勇者がシャワー室を覗いたんだよ! 酷いよね!」
「いくら呼んでも出てこないし、シャワーの音だけしているし。おかしい? まさか中で死んでいるのは? と思って確認しただけだろ?」
マダナイが鼻血を押さえながら言い訳する。
「それにしたって、いきなりシャワー室の扉を開ける?」
「ノックしたし、声もかけだだろ!」
あれ、そう言えばそんな気もする。
「んーー、そうだっけ?」
「そうだよっ!」
ドスコイドスコイしてたから空耳だと思ってた。
内緒で合いの手の練習をして全裸でアホのように踊る後ろ姿をバッチリ見られた。その羞恥心マックスで、マダナイがノックしたことなんか全部吹っ飛んでた。
「お二人はいつもこんな感じですか?」
ボックは少し顔が赤い。
「この二人、結局、仲が良いだけなんデスぅ。あっ、もうでかける時間デスぅ。こんなに散らかして! 手伝いますから、お二人は早く準備してくださいなのデスぅ」
とミカがひどく散らかった部屋をテキパキと片付け始める。
「さーーて、お出かけだ!」
気分一新、ボクらは服を着替えて通りに出た。
ボックたちは3人で来たらしいがユーリの姿がない。
なんでも宿の前でストーカー状態のカレブーを見つけ、耳を引っ張って家に連れ帰ったらしい。
「さて女神様、今日はどちらへ行かれるのですか? 買い物ですか? 何をお手伝いしましょうか?」
こうして見ると、ボックはまるで子犬のようだ。目が好奇心いっぱいでとても懐っこい。
「今日はね、大通りにあるお店でちょっと買い物だね。あと、勇者斡旋所にヤボ用があるんだよ」
「大通りなら、俺とミカで良い店を紹介できますよ!」
「はい、案内はまかせてくださいなのデスぅ!」
二人は意気揚々と宣言した。
ーーーーさて、大通りにはたくさんの露店が出ていた。
ボクは大きく目立つテントで商売をしている店を覗いた。数台の馬車がテントの裏に止めてあって、かなり手広くやっているやり手の旅商人らしい。
吊り下げられた木製の看板には『安心安全のベルガ商店』と下手な文字で彫られている。
こういう所には掘り出し物があるんだよね。
マダナイはと言うと、あちこちから集めたガラクタ……失礼、アイテムをしきりに商人に売り込んでいる。ボロベガはその荷物持ちだ。
「へえーー意外に良い品ぞろえじゃないの」
ボクは美しいアクセサリーが所せましと並べられたテーブルを覗き込んだ。
「女神様、どうデスぅ? ここは私のお勧めのお店なのデスぅ! 経営者が旅商人で、あちこちの町から商品を買い付けて来て露店を開くので、珍しい物も多いのデスよぉ」
ミカが自慢気に鼻をふふんと鳴らす。
美しい輝きを放つ宝石がちりばめられたアクセサリーはどれも手の込んだ細工物ばかりで、確かにこれだけの品ぞろえは王都でもなかなか見られない。
「どれどれ、こういった物の中には稀に貴重なマジックアイテムなんかが混じっていることがあるんだよ」
「分かるんですかぁ? 鑑定の目デスぅ?」
「ボクは一流の女神だからね」
おっ! ピカッと陽光に光った腕輪が目を惹く。あまり目立たないところに置いてあるが、金に緑色の宝石がはめ込まれ、美しい古えの様式の彫刻が見事な代物だ。
「へえーー、これなんか、かなり良い物だね」
そう言って手を伸ばしたが、ボクより先にその腕輪に手に伸ばしていた奴がいた。わずかに遅かったせいで腕輪を掴むつもりがそいつの手をぎゅっと掴んでしまう。
「うわっ!」
ぎょっとした顔の若い戦士風の男。
「あわわわっ、ごめん!」
慌てて手を離すと、戦士も腕輪を置いてボクを凝視する。
「うっ。あなたはたしか?」
若い男は澄んだ瞳に熱いまなざしで見つめている。
美しい女神を見てそんなに驚く?
しょうがないなぁ!
それとも美の女神エルの活躍の噂でも知っているのかな?
イケメンというほどでもないけど、凄く若そうだし、うぶな感じがする。むしろ、かわいいといっても良い年齢の若者だ。思わず頬が緩む。
「あら、ボクがどうかした?」
ボクは魅力たっぷりの微笑みを返してみた。
「やはりそうだ! その女神とは思えぬ露出度の高さと透けて見えそうな薄い衣……! あなたは、女神レースでずっとビリ争いをしている女神、確か、名前は、エロ? いやエッチだったかな?」
「エロでもエッチでもないし! ボクは天空一の美の女神、女神エルだよ!」
胸をぼいんと叩いて自己主張する。
「ああ、そう言えばそうだったな。我が女神がいつも口にしておられる色情魔の下品な女神でしたね」
「だ、誰なのかな……? 人を色情魔なんて言う馬鹿女神は……」
笑顔だが、こめかみがひくつく。
「馬鹿女神っ?」
ボクの言葉に、その男はムッと表情を変えた。
「我こそは勇者見習いラナンダー! 天翔ける麗しの女神カリエーナ様に仕える者! 我が主人を馬鹿よばわりするとは、さすがに馬鹿女神だな!」
そいつは片目に指をあて、妙なポーズをキメた。
うおおおおーーーー! そうか、こいつ女神カリエーナの従者だったのか!
女神カリエーナは何かとボクのことをライバル視する女神だ。
天上界の女神学校の同窓生で、彼女が片思いしていた男神が、当時からモテモテだったボクに告って、あっけなく振られて以来、何かと言いがかりをつけてくる。
「そうか……。あなたは女神カリエーナの従者ってわけだね? でも、どうしてこんな街にいるんだ? カエリーナは猪突猛進で攻め上って、みんなの迷惑を顧みず、独断で敵軍に突進してるんだろ?」
「ふふふ…………確かに女神カエリーナ様は最前線でご健闘なさっていますよ。私は密命を受けて一旦勇者村まで戻っていたのです。……ですが、あなたのさっきの言葉、猪突猛進とか、みんなの迷惑とか、それは言いがかりではありませんかね?」
ラナンダーが目に力を込めた。一瞬、バチバチと火花が散りそうなほど睨みあう。
「でも先にボクを色情魔なんて言ったのはそっちだよ。ねえ、何か言ってよ、マダナイ、ボロベガ」
ボクが仲間に褒めたたえられるところを見れば、こいつも目が覚めるだろう、と両手を腰に添えてすまし顔で称賛の声を待つ。
「うーむ、勇者見習いラナンダー誤解しているぞ」
そうだよ、誤解してるよ。
「この女神エルという自称美の女神は、色情魔などと言うかわいいレベルではない。露出魔で変態踊りを得意とする凶悪な暴力女神だ。今朝も裸で、むぐっ……」
残念、ボロベガの反応は少し遅かった。全部マダナイが言ってからその口を塞いだけど、もう遅い。
苦笑いしてこっちを見ても無駄。
ボクが拳を握ったのを見てボロベガの顔は青ざめる。
「わはははは……! 女神が女神なら、従者も従者だな! やっぱり女神カエリーナ様がこの世で一番だということだ、それではこの腕輪はもらった……」
そう言った直後、むにっ…………とラナンダーがボクの手を掴んだ。
「!」
驚いたラナンダーがボクを見上げる。
ボクはにっこり微笑む。今度はボクがちょっとばかり早かったのだ。
「腕輪をよこせ! これは私が先に見つけたものだ。この美しい宝石の腕輪はカエリーナ様にこそふさわしい」
「何を言ってんの? 今、先に手に取ったのはボクだよ」
と勝ち誇る。
「ぐぬぬぬぬ……なんと卑怯な! さては最初に私の手に欲情的に触れたのも、私が驚いて手を離すだろうという計算づくだなっ!」
ううん、それはただの偶然だけど?
でも何だか可愛いな、ちょっとイタズラ心が顔を出す。
「おほほほほ…………、今頃気づいた? 賢さはボクに一日の長があったようだね」
そう言って悪い顔で勝ち誇ってみせると、勇者見習いラナンダーは肩を震わせた。
「そうか、わかった……。耐えるぞ、耐えてみせる。カエリーナ様、これも勇者になるための試金石ということですね!」
ラナンダーはそう言ってあっさりと手を引くと、振り返りもしないで露店を出て行った。少しイタズラが過ぎた? なんだか罪悪感が残る。
「いらっしゃいませ! 女神様!」
「どうです? いい品でしょう?」
目の前に店主と思われる男と、その娘と思われる子が営業スマイルで現れた。
ボクは宝石の腕輪を手に取って腕につけてみる。
うん、やっぱり似合うわーーーー、これ最高の掘り出し物だよ。
「いかがですかな? 値段もお安くしますよ」
「そうだねーーどうしようかな?」
そう言って何気なく値札を見る。
さーーーーーーっと血の気が引いた。
なんじゃこりゃーーーーーーーー!
心の中で目玉が飛び出した。とんでもない値段がついている。普通にお屋敷が建てられる値段だよ、これ。
たった一人、心の動揺を見抜いたマダナイが隣でニヤニヤしている。
「そ、そうね、た、確かに素晴らしい品だね」
「ええ、古代王国の姫が身に着けていたと言われる伝説の腕輪ですからな、お似合いでございます」
「ボ、ボクは女神だからね。で、でも……」
ボクは遠ざかる勇者見習いの背中を見た。
「店主よ女神が命じます。今すぐ走っていって、あの青年に声をかけなさい。あの若者が先にこれを欲しがっていたんだよ。女神の慈愛で彼にこれを譲ることにする」
「よろしいのでございますか? 二度と手に入らない逸品でございますが……」
「うんうん、良いんだ。彼の主人に対する思いに打たれたのんだよね、うん、感動したんだよ」
「わかりました。カルレーラ、あの若者を呼んでおいで」
店主は側にいた娘に言った。
「さあ、みんな、そろそろ勇者斡旋所に行くよ! 急いで!」
ボクはラナンダーが戻ってくる前に逃げるように店を出た。
◇◆◇
勇者斡旋所と看板が出ている雑貨店の前を牛を連れた農夫がのんびりと歩いていく。
あまり儲かっていないと一目でわかるその店は街外れにあって、目の前にはあまり手入れされていない畑が広がっている。
勇者斡旋所からガタガタン! と突然大きな音がして、驚いた牛が眼を血走らせた。そして悲鳴を上げる農夫を引きずって鼻息荒く走り出す。
「な、な、な、なんですってーーーーーーーーっつ!」
店内に悲鳴にも似た声が響き渡り、壁際の椅子に座っていたボロベガとマダナイがぎょっとして顔を上げた。雑貨屋の客も口をぽかんと開けてこっちを見ている。
ボロベガには昨日ちょっとマシな冒険者風の服を買ってやったので見た目はまともだ。斡旋所の筋肉好きらしい眼鏡女子が熱い眼でボロベガを見ているくらいには。でも、そいつ魔物だからね……。
「だ、か、らですね、勇者レンタル期間がとうに終了しておりますので、延滞料が発生しておりましてね……」
丸眼鏡をかけた小柄の老年の男が帳簿から目を上げた。
「それが、この額? ぼったくりじゃないか?」
何ということか!
そういえば忘れていた。
勇者マダナイのレンタル期間は最低限にしていたんだっけ。あの時は、どうせすぐに別の勇者に代えるつもりだったから……。
延滞料まで発生しているとは、予想外だった。
「ですが、これが既定の料金ですので……」
ぐぬぬぬ……と自らのうかつさに拳を握ると、マダナイがそっとそれを止めた。
「やめておけ、ここで店の主人を殴っても、お尋ね者女神になるだけだぞ」
その切れ長の目。
やだなぁ、クールじゃないこいつと思わず顔が少し赤くなる。
「ご主人様が殴ったらその男、木っ端みじん……」
ボロベガがガタガタと震えている。
「誰も、店の主人を殴ろうだなんて、思ってないからね!」
二人から信用されていないことに愕然となるが今さらだった。
◇◆◇
「はい、確かにこれで延滞料は清算になります」
店主はお金を受け取ってにんまりと微笑んだ。
ぐぬぬぬぬ……延滞料を支払ったら、次の勇者をレンタルする資金がいよいよ心もとなくなってきた。
「それで、次のレンタル勇者だけどね……」
ちらりとマダナイを見ると、マダナイは目を反らす。
まったく可愛げのない勇者だよ。
少しくらいはセクシーな流し目とかをして、また俺を雇えとか、少しくらい気をひいたりできないのか?
でもまあ、そっけない奴だけど女神レースの上位入賞はどうせもう見込みなしだし、こいつは安いから、実はこのまま継続するしかないかなと思っているのだ。
しかしだ。今朝の覗き事件といい、ボクに対するこれまでの様々な粗雑な態度を考えると、少しくらい、こいつに危機感を持たせないといけない。
ひっひっひっ……と思わず企んでしまった。
「勇者リストを確認させてもらえるかな?」
わざとマダナイに聞こえるように大きな声で叫んだ。
「勇者斡旋手続きはここでできますが、勇者リストをご覧になるのであれば、別室でご覧ください、こちらでございます」
そう言って、店主はボクを小さな資料閲覧室に案内した。
店頭ではリストを見せたりしないらしい。それだけ情報管理はしっかりした店だと言う事だ。マダナイを押し付けた勇者村とは大違いだね。
扉を開けて、ボロベガとマダナイにちょっと手を振ってから中に入る。
いひひひ……見た? 見た? あのマダナイの顔、ここで捨てられて、失業するかもしれないと、かなり不安がっている顔だったよね。
どれどれ、どんな勇者がいるのかな? すぐに部屋を出ると真実味が無いから、ちょっとだけ時間をかけて、一応チェックだけはしておくか。
パラパラパラ……
「!」
パラパラパラ……
壁に掛けられた大きな鏡に映っているボクの顔から、血の気が引いていくのが分かる。
「アホじゃない、この世界! 勇者の適正価格ってものを知らないの!」と思わず勇者リストを机に叩きつけた。
勇者村だけが高額というわけではなかったらしい。
優良物件は既にすべてレンタル済みだし、ちょっとまともそうな勇者は目玉が飛び出して爆散しそうな値段がついている。
ボクは、げっそりした顔で小部屋を後にした。
仕方がない。というか、最初から決めていたんだけど……。
やっぱりマダナイしかいないらしい。
変な奴だけどね……。
「親父さん、レンタル延長手続きをお願いできるかな?」
ボクはカウンターにいる勇者斡旋所の店主に声をかけた。
「ほぅ、延長ですか? …………それは無理ですな」
そっけない反応が返ってきた。
「は?」
ーーーーーー思わず目が点になる。
それを見て、店主が肩をすくめた。
「え? え? え? 何? 無理ですなって言った? そりゃあ、無断で遅延したけど、それがペナルティになる訳? こっちは命がけで魔物と戦ったりしてるんだよ。予定通りに進まないことだってあるよ」
ボクはカウンターに身を乗り出した。
「ーーーー無理なものは無理です」
「延長が無理なの? しょうがないね。じゃあ、また新規扱いで良いから! 勇者マダナイをレンタルするよ」
「ですから、無理ですな!」
店主はやれやれ困ったものだ、という感じに首を振った。
「どうして?」
「勇者マダナイはですな。もう『レンタル済み』なのですよ。ほーら見てください、今さっき、女神レーヌ様がレンタルして、二人して仲良く店を出ていきましたよ。即決で現金払い、女神とはかく有りたいものですな」
「はぁああああああああああああああああああああああ?」
ーーーー意味が理解できない。
「どうぞ、好きなだけご確認ください」
店主は、呆けたボクの目の前に『勇者マダナイ、レンタル中』という、インクも乾いていない文字が書かれた帳簿を差し出した。
「どええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーー!」
店主の前で顔面崩壊していく女神。
滅多に見られない変顔に店員がぷぷっと噴いた。
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