湿った風が流れ込む夜間。それ、あいつらには言うなよ

「その、やっぱり私は……」


 あの後、簡単にだけ済ませた昼飯を挟んで夕方まで釣りをした俺たちは再びラルカンシェルの屋敷の前へと帰ってきていた。

 屋敷の結界を前にしり込みするウィンディの手をつかんだサニーは楽しそうな笑みを浮かべたままぐいぐいと嫌がるウィンディを引っ張る。


「マグロですよ、マグロっ。レインちゃんもおなかすかせてますし早く食べましょうよっ!」

「やっ、ちょ、ちょっとまってっ!」

「ママのと違ってアキラちゃんの料理はおいしいので心配しなくても大丈夫ですよ」


 死後に娘からの流れ弾に当たるミスティ。


「いやな、サニー。ウィンディが嫌がってるのはそこじゃないと思うんだが」


 レインが張った結界をするりと通り抜けたサニーは抵抗するウィンディの手をつかんだまま青いシールド内に連れ込もうとする。

 それに対してまるで帰るのが嫌なペットのように両足を踏ん張って抵抗するウィンディ。


「ま、まってっ! 本当に待ってっ! 焼かれちゃうから、じゅーーって焼かれちゃうからっ!」


 やっぱそうおもうよなぁ。

 そしてそのセリフが出るってことはやっぱ昨日までの魔獣の襲撃にはウィンディがんでるのは確かってこともであるな。

 屋敷とレイン、そしてサニーを守るためにレインがこの屋敷の周囲に張った結界は害のあるものを強制排除する。

 それのおかげで昨日のナイトラットの襲撃には耐えられたわけなんだが、今の感染した状態のウィンディが突っ込んだら昨日のナイトラットの後をおえるな。


「パスカル、調整はまだか?」

『もう少々お待ちください』


 現在、この屋敷の防衛は俺とパスカルが引き継いでいる。

 一瞬だけシールドを解除するってのも考えはしたんだが、なんとなく嫌な予感がしたのでそっちの案は一旦却下。

 午後の釣りの間の時間を使ってパスカルにウィンディを解析させた。

 その結果、ヒドラフォッグに感染してるって意味では他の魔獣と変わってないことを確認した。

 ただし、パスカル曰く、感染個体ごとに少しづつ発する波動が違うらしい。

 なのでウィンディだけが通り抜けれるように現在調整中だ。


「レインちゃんも首を長くしてまってますよ、ほらっ!」


 サニーが示したその先には窓の傍に佇むレインが見えた。

 ウィンディとサニー、それと俺を目視したレインが小さく頷いた。


「レイン……」


 少しだけ抵抗する力の緩んだウィンディが結界を超えそうになったその時。

 窓に映るレインが研ぎ澄まされた出刃包丁を俺たちに見えるように掲げた。


「ひぃっ、やられるっ!」


 お、おう。

 つーか俺も一瞬ついにシスコンこじらせて殺る気になったのかと思ったぞ。

 ちげーけどな。


『アキラ、調整が終わりました』

「よし、ほらさっさと入れ」


 そういって俺は後ろからウィンディを結界の中に突き入れた。


「きゃっ! しっ、し……しんでない?」


 抵抗もなくするりと結界内には入れたことに驚くウィンディ。


「死なねーよ。さっさと屋敷に入るぞ」


 こいつが感染してることには変わりはないんだがな。

 昼、サニーにほだされて止めを刺せなかった時点で腹はくくった。


「レインちゃーん、あーけーてー」


 屋敷の前で昨日と同様に大声でレインを呼ぶサニー。

 なんつーか儀式めいてるな。

 そんな風に見てると昨日と同様に扉がゆっくりと開いた。


「おかえり、姉」


 そこに立つ、青みがかった銀髪に青い瞳の少女はドアを開けたのとは反対側の手に丁寧に研がれた包丁を持っていた。

 俺を迎えた時と同じ、暖色が照らし出す玄関先でレインときらりと光る刃が俺たちを出迎えた。


『アキラ、バッドエンド予報です。雨、伴なって刃物。ラッキーアイテムはマグロです。ウィンディが倒れます』

「おせーよっ! つーかそれ見たまんまだよなっ!」


 俺がパスカルに突っ込んでいる傍らでレインがウィンディを見ながら小さく頷いた。


「おかえり。ご馳走、楽しみ」

「ひぃっ!」


 重なる緊張に限界を超えたのかサニーに手を引かれていたウィンディがかっくりとその場に崩れた。


「ありゃ? 寝るのはまだ早いですよ」


 俺はサニーもろとも倒れる前にウィンディの腰を両手で持ち上げる形で支えた。

 俺の足元で点滅する銃のインゲージランプ。


「お前の余計な一言が引き金じゃねーかっ!」

『銃だけに』

「やかましわっ! お前らそろいもそろってボケてるのか確信犯なのかわかりにくいんだよっ!」


 俺はそう言いながらレインのほうに視線を向ける。


「危ないから刃物持ってうろつくな。どうせ俺たちが出てる間に研いでおいてくれたんだろ、切れ味下がってたからな」

「んっ」


 こくりと頷いたレインは再びウィンディに視線を向けるとこういった。


「青くなってる」


 淡々と事実を言うレインになぜかサニーがどや顔をしながら説明をする。


「はい、すっごいアオタンだらけなんですよっ!」

「そう」


 サニーの言葉に否定するでも突っ込むでもなくレインは包丁を持ったまま奥に移動を始めた。


「はぁ、どっと疲れた。あー、レイン」


 俺がそういうとレインは体は奥を向いたまま振り返った。


「なに」

「さっきなんだがウィンディ連れ込むために結界少し緩めた。わるいな」

「わるくない。それよりアキラ」

「なんだ」

「マグロは?」


 レイン……お前、腹すかせてるだけで深く考えてないだろ。


     *


 台所に立った俺を魔王姉妹とウィンディがじっと見つめる。

 こんだけ大物が出るならもっと大きい冷凍魔導機かっときゃよかった。

 さすがにカッティングボードの上じゃさばけねーから台の上を全体的に消毒して下準備。

 まぁ、大型魔獣もさばけるようになってるだけあって広さはあるからな。

 その台の上とりあえず適当に氷に囲んで冷やしておいたマグロを収納から取り出す。


「お前ら、見てても面白くないぞ」


 俺の言葉に対して三人は何も言わずにマグロを見る。

 まぁ、小ぶりじゃあるがマグロはマグロだな。

 俺もこいつを捌くのは初めてで、他の職人がやってるのを横で一度見ただけだ。

 本当は専用の包丁が欲しいとこだが出刃でも行けるだろ。

 ライトニングブレードだと切れはするけど焦げるからな、レインが研いでいてくれて助かった。

 とりあえず昔の記憶を頼りに尾と頭を落とす。


「サニー、お前川に流されたときにこいつに突かれなくてよかったな」


 まぁ、奇積きせきで呼び寄せたマグロだからサニーが流された時にはいなかっただろうけどな。


「もー、何言ってるんですか。いくら私でも川に流されたりはしませんよぉー」

『「「「…………」」」』


 サニーの返事に俺を含めた全員が黙る。

 距離からみて耳のいいウィンディは俺たちの会話が聞こえていただろうし、反応から見るにレインはサニーが川に流されたのを知ってたな。

 こいつ、こんな感じでかたっぱしから物忘れしていったんだな。

 今回もどこの記憶が巻き込まれて消えたんだかさっぱりわかんねー。

 まぁ、今はどうしようもないか。

 後で奇積は使わないようにくぎをさしておくとして今は調理だ。

 手元のマグロを順番に処理していく。

 頭は食えるとこが多いからこいつは明日以降にするとして冷凍魔導機に突っ込む。

 家庭でやるんだったら、たしか五枚おろしが無難だっけか。

 血合いと骨とるのが地味に大変なんだよな。

 今日は腹上で丼と刺身作るとして残りは明日以降だな。

 鮮度は下がるけど食いきれる量でもないから冷凍に突っ込んどくしかねーな。

 ワニもまだ残ってんだがな。


「なぁ、サニー」

「なんですか」


 俺はマグロで捌くのを横目で見ながらわくわく感が駄々洩れなサニーに声をかける。

 するとサニーは俺の顔を見た。


「お前さ……いや、なんでもねー」

「そうですか」


 俺がそういうとサニーは再びマグロに視線を戻した。

 因果を改定する奇積は本人にとっては割の合わない特殊技能だ。

 例えばパンが食べたいと奇積を使いパンを食べてもその何十倍物の代価を支払うことになる。

 最初はマナ、そして生命力やMPといった生きていくのに必要なものが徐々に失われる。

 カリス教では神技じんぎと呼んでる奇積の発動に当たり本人のマナではなく教団全体が組織としてため込んだマナを使用する仕組みになっていて、そいつをあそこでは負のカルマと呼ぶ。

 他の宗派がカリス教をカルマ教って言って笑う理由の一つだな。

 MPも同様でそういった仕組みからカリス教では積極的なマナの寄進やMPの奉納が推奨されるわけだ。

 普通、こういった共有資源を多人数で扱う場合には共有地の悲劇っていって欲しいやつが我先に簒奪することで枯渇するんだが、そこについてはカリス教は徹底的な共同監視体制を敷いており、だれがいつ使ったか教団員なら誰でも追跡できる仕組みがあって問題のあるやつは物陰で袋叩きにあう。

 一応、愛を説く関係でそういう陰湿なことはしないようにとは通知してるが、まぁ、完全に取り締まるのは無理だわな。

 教団の幹部だった四聖しせいなんかは自分でプールしたマナとMPを使ってたが、そういうことができるのは教団の所属員である司祭を取りまとめる大司祭クラスにならないとほぼ無理だ。


「お刺身ですよ、レインちゃん」

「マグロ」

「ウィンディも楽しみですよね」


 サニーの言葉によだれがたれかけていたウィンディがはっと我に返った。


「う、うん」


 浮かない顔してんな。

 まぁ、あの状況だとサニーが緊張状態をなんとかするのに奇積を使ったのが丸わかりだしな。

 そうじゃなきゃ俺が間違いなくウィンディを始末してた。

 その結果が何でマグロなのかは俺にもわかんねーけどな。

 そしてだ、サニーにはカリス教のように摩耗を抑える仕組みがない。

 つーか冒険者ギルドを運営する赤龍機構せきりゅうきこうはそこらは完全に個別主義をとってる。

 正確には魔石ませき魔窟まくつが使えりゃ別なんだが、魔窟はどこ行ったか不明だし魔石の方は倉庫にも一個もなかったとこを見ると物理で使い切ったんだろうな。

 冒険者ギルドとしてはラルカンシェルは封印処置がとられたままの状態だ。

 だからギルド便を使っての魔石の取り寄せもできない。

 まぁ、それ以前に魔石を購入できるだけのGPギルドポイントも残っちゃいなかったが。


「お前ら、やりづらいから向こう行ってててくれ」

「「えー」」


 めんどくさいな、この双子。


「わりぃ、ウィンディ頼むわ」

「わかった」


 俺がそういうとウィンディが二人を連れて台所を離れた。


     *


 調理を進めながら俺はパスカルに質問をする。


「パスカル、感染は?」

『一切ありません。やはりヒドラフォッグは二次感染しないようです』

「そりゃ何よりだ」


 二次感染するようなら初めから連れて帰らねーけどな。

 俺は準備していた炊飯器の蓋を開け、炊けた米を混ぜてから閉じなおした。


「そうなるとどうやって感染するかだな」

『おそらく昨晩見た霧だと思われます』

「爆発した後で登ってたあれな」


 爆発すると中に入っていた怪獣が抜け出してきて感染するってとこか。


「問題は接触感染かどうかだな」

『現状不明です。ですが有効な防御は判明しています』

「だな」


 繰り返しになるが水中の魔獣や動物には感染がなかった。

 つまりあの爆発するように相手を改変する怪獣は水を超えられない。

 今時点での暫定推察だけどな。


「レインの奇積が使えりゃ情勢を一気にひっくりかえせるが……今は無理だな」

『はい』


 大体にしてレインも摩耗についてはサニーといい勝負だ。

 俺が連れてるチューティアみたいな契約怪獣パートナーがいれば星獣せいじゅうになれるかもだがそう都合良くはいかないしな。

 昨日からちょいちょいとカマをかけてるがかなりの部分で記憶を失ってる。

 ぱっと見の会話だとそうは見えないのは日記をまめに読み直してるからだ。


「とりあえずだ、あの馬鹿姉妹と青狸に飯食わせるぞ」

『青狸というのはウィンディのことですか』

「ああ、とりあえず今晩はあいつのことは保留だ」

『なるほど。非常食ですね』

「くわねーからな」


 獣人は亜人あじん第三類、星の子チルドレンだから理由もなく殺したら普通に殺人だ。

 逆を言えば理由がありゃ別だ。

 戦時や犯罪対応、それと怪獣に関係した時には亜人分類あじんぶんるいの例外規定で対象外になる。

 神銃しんじゅうパスカルの記録は今のとこまだ公文書扱いになるだろうから、ウィンディはすでに人扱いから外れている。

 だから宇宙怪獣に深く感染してるのが明瞭なウィンディの場合には殺ってしまっても罪には問われないんだが……一度見逃してしまった以上さすがにな。


「つーか獣人を食わせようとするな」

『冗談です』


 パスカルが言うと冗談に聞こえねーのはなんでだろうな。


「パスカル」

『なんでしょうか』

「ウィンディの件はしばらく見逃せ。俺が何とかする」

『アキラ、被害が出てからでは遅いですよ』

「わかってるよ。それでもだ」

『本気ですか』


 娘が自分の存在を摩耗してまで助けた命だからな。


「本気だよ、言わせんな」


 俺の言葉にパスカルの返事はなかった。

 とはいうものの今んとこノープランなんだけどな。

 よし、マグロ丼っぽい丼ができた。


「まずはこいつを腹ペコ娘たちに食わせるぞ」

『まるで給餌きゅうじですね』


 辛辣なパスカルのコメントに俺はこう返した。


「それ、あいつらには言うなよ」


 今日からは青狸が追加な。

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