ダーリン。なに作ってる?

新巻へもん

お疲れ小夜セットアジアン風

「今日はいつもに増して大変だったのよぅ」

 電話口に出た悠斗に愚痴をこぼす。

「はいはい。それじゃあ、夕飯の準備を始めます」

 さらっと流された。くそう。

 一日休日をだらだら過ごした余裕が声に滲んでいる。こちとら、同僚が急きょ休んだせいで休日出勤だったというに。

 この微妙な間に悟るものがあったようだ。

「小夜。話は家でゆっくり聞くから」

 おう、一杯話しちゃるぜ。

 電話を切って駅に向かう。家までは1時間弱。今日のメニューは何かなあ。


 お互いに仕事がある平日の夕食はそれぞれすましているが、普段は土日の食事は一緒に食べる。三食私が用意するのは不公平だと文句を言ったら、昼食は悠斗が作るようになった。朝食も私が疲れから爆睡していると作ってくれることもある。

 私が食べたいものを作れるので、夕食を私が用意することに不満はない。ただ、今日のように休日出勤するはめになったときは、ダメもとで悠斗にお願いしてみた。

 お昼は簡単な麺類しか作らないので期待していなかったが、意外とちゃんとしたものを作る。褒めちぎったら、それ以来、休日出勤の日の夕食は悠斗が作る『お疲れ小夜』メニューが出てくるようになった。

 ストレートで捻りも何もないネーミング。そのセンスのひどさは徳川家康とタメを張れるだろう。とはいえ、名前がイケていないことなど些細なことだ。なにより、私の帰宅時間に合わせて用意されるというのが素晴らしい。

 世間的にはもう新婚さんという時期は過ぎていて、家族って気持ちになることが多いけど、こんなサービスされちゃうとまだ心は軽く弾んじゃう。


 地下鉄を降りて階段を登る。てくてくと歩いて交差点を曲がった。目に入って来るアパートの3階の端の家。カーテンの隙間から灯りが漏れている。今頃、悠斗が最後の仕上げに取り掛かっているだろう。疲れていたけれど、自然と足取りが軽くなる。301号室の扉の前に立った。鍵を取り出してカチャリ。

「ただいまあ」

「おかえり」

 ふわりと漂う香り。んー、これはなんの匂いだろう。鶏を茹でたものと魚介っぽいかな……。期待に胸が膨らむ。玄関から入ってすぐのところにあるキッチンで悠斗が菜箸を動かしていた。

 横を通り過ぎながら、チラリと視線を走らせる。ふむふむ。

 手洗いうがいをして戻ってみると悠斗が料理を運んでいる最中だった。

「飲み物とサラダ出してくれる?」

 はいはい。仰せのままに。

 冷蔵庫を開けると、扉のところには梅酒ソーダと発泡酒が鎮座している。おー、気がきくねえ。

 サラダと缶を置くと、小さなテーブルはいっぱいになった。

 悠斗と向かい合わせに座る。悠斗は小学校のときに家庭科で作ったというエプロンをつけたまま。胸の刺繍のそばに黒いものがついている。

 テーブルの上を見渡した。

 大皿によそわれた鶏もも肉のせご飯、海老とイカのトマトスープにコールスロー。色合いも良く、温かいものと冷たいものと三皿もあった。

 大皿とスープボウルはシールを集めてもらった白い無地のもの。お店で出てくる食器と比べたらシンプル極まりない。

 でも、その中身はどれも美味しそう。

 悠斗が胸を張った。

「お疲れ小夜セットアジアン風です」

 まずは缶のタブを起こしてプシっと乾杯。あまりお行儀は良くないけれど直飲みだ。何も洗い物を増やすことはない。

 炭酸が滑り落ちていき喉を潤す。

 さて、何から手をつけようか。まあ、メインからよね。

 お皿の中心にはご飯と鶏肉が鎮座し、その脇にはキュウリのスライスが飾ってあった。彩りも考えたのか。

 鶏もも肉を箸でつまんで口に入れる。少しぴりっとしたタレがかかっていた。この感じはにんにくが入ってるのかな? もも肉のしっかりとした弾力を楽しむ。

 その下にこんもりと半球状に盛り付けてあるご飯を崩して食べる。ぱらりと口の中でほどけた。僅かな塩気があり鶏の旨味がよくしみ込んでいる。

「おいし」

「良かった」

「これどうしたの?」

「この間、職場の近くでランチで食べたカオマンガイを再現してみた」

「レシピは?」

「適当」

 こやつ出来る。何も見ずにここまで似たものを作れるのか。まあ、悠斗は器用だしな。

 次はスープをスプーンですくう。トマトの酸味の中に、イカと海老が海の香りを添えていた。少しくせがあるのはナンプラー使ったのかな。

 さっきチラリと見た流しの三角コーナーの中身を思い出して質問する。

「イカさばくの面倒くさくなかった?」

 エプロンの黒い染みに注がれる視線に気づいて悠斗は肩をすくめた。

「んー。ちょっとはね。まあ、安かったし」

 安いなら仕方ないな。食費をあまりかけ過ぎられても困る。

「じゃあ、海老も殻付きの買ったの?」

「当然」

 近所のスーパーでは海老は殻付きと殻なしの両方を売っていた。当然、剥く手間がかかっている殻なしの方が高い。

「ついでだからネットで調べて、殻からアメリケーヌソースとかいうのを作って入れてみた」

「よーやるね」

 なるほど。道理で味が濃いと思った。

 コールスローで口直し。マヨネーズで和えられたキャベツと人参の千切りがしんなりとしている。これはいつもの味で安心だ。あ、飾りの残りのキュウリも入ってる。

「でも、ほんと、美味しいよ。凄い凄い」

 悠斗は得意そうな顔をする。そんな表情をするのも無理はない。これを用意するのは大変だったろう。

 家の食材の残り具合を確認して、スーパーで安いものを物色する。生鮮品は値段が変動するので、想定より高ければ別の献立に変えなくてはならない。ざっと今日のメニューの材料費を計算した。まあ、今日はちょっと予算オーバー気味かな。

 それでも外食するよりは安いし、私を喜ばせようと張り切って作ったのが分かるので、言わぬが花。悠斗も以前のように牛肉、牛肉言わなくなったしお互い様だ。

 それにやっぱり他人の作ってくれた料理は旨い。隠し味はきっと愛情なのだ。なんちゃって。

 仕事のことを愚痴るつもりだったけどやめることにする。せっかくの料理をまずくすることは無いもんね。電車の中で見た広告の話をする。どうでもいい内容だけど、こんな会話も料理のスパイスになるのだ。


 満ち足りた気分で食事を終えた。

「ご馳走様でした」

 満足、満足。

 悠斗は立ち上がるとキッチンに向かう。鼻歌を歌いながら洗い物を始める気配がした。私は頃合いを見計らって空いたお皿を運ぶ。

 スパダリには程遠い悠斗だけれど、食事を作り始めた当初から後片付けまで自分でやっていた。とある料理研究家が、後片付けまでが料理です、と三度繰り返してネットに投稿する前からのこと。

 取っ散らかった調理器具や食器をきれいに片付けるのは気が重くなる。それをせずに済むというのは本当にポイントが高い。やっぱスパダリかも。

 図書館で借りてきた本を読んでいるとほうじ茶が運ばれてきた。やあ、至れり尽くせり上げ膳据え膳とはこのこと。

 ゆっくりとお茶を飲んで、だらだら過ごす。

 風呂が沸き、先に入らせてもらった。ああ、さっぱり。

 入れ違いに悠斗がお風呂に入ったので、キッチンに行くと、電子ジャーの予約ボタンが点灯していた。ははん、なるほど。

 ドライヤーで髪の毛を乾かしているとあくびが出る。

 ベッドに横になっていると悠斗がもう風呂からあがってきた。カラスの行水かよ。ちょっと可笑しい。

 ベッドがきしみ、小さな声が聞こえる。

「小夜。もう寝ちゃった?」

 くるりと寝返りをうって悠斗の顔を両手で挟む。明日はお休みだものね。

「まだ」

 その声が消えないうちに唇が重なっていた。

 

 

 

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ダーリン。なに作ってる? 新巻へもん @shakesama

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