ウスターソースと春キャベツ

 過去に作られたビルの残骸を植物が覆う。魔力暴走により変容した植物は、容赦なくコンクリートを割り、崩し、根を張っている。


 ビルの上階、かつて窓だった場所から流れ落ちる水が飛沫を木々にふりまく。灰色の直線的な構造物の残骸と植物とが妙なバランスをとる場所だ。


 薄明かりの中、ひび割れぼこぼこと草の生えたアスファルトを歩く。底の見えない深い割れ目や段差もあるが、他より多少歩きやすい。


 まだ日の昇らない弱い光の中、そこかしこで瓦礫が作る薄い影に人のものではないざわざわとした気配がある。


 意思を持つモノより、持たぬモノたちの方が繁殖力が強い。ネズミが変容したモノ、虫が変容したモノ、果ては幻想世界の小者。そういった者たちが、かつての人の街に我が物顔で住み着いている。


 崩れかけたビルの陰から飛び出して来た黒いモノを一閃いっせん。真っ二つに斬られたモノが飛び出して来た勢いのまま転がってゆく。


 ――食えるかな?


 【貪食】持ちの私に食えないモノはないが、さすがにアレは腹に収めたくない。それにたらふく食った。


 ――すぐに腹が減る。いくら食べても足らんからこその【貪食どんしょく】。昨日食ったモノなぞ、もう腹にない。


 待て。ここで待てば、旨いものが手に入る。


 私の中の【貪食】とうまくバランスが取れているのは、私が不味いものは口にしたくないからだ。代わりに旨いものは際限なく食いたい。


 不味いものを食うくらいなら、多少の飢えは我慢ができる。旨いものを食うためならば、【貪食】を抑えておくこともできる。


 崩れかけた天井を木の枝が支え、壁を根が支えるビルの中を進む。あちこち崩れているため、外の光が入り薄暗い程度で済んでいる。


 ざあざあと水の流れる音がする。ここで水の音がするのは、木が水を吸い上げ、節から水を噴き出しているからだ。ポンプとでも融合したのかなんなのか、珍しいが便利な木だ。


 私が昔どこぞから引き抜いて来て、この場所に植えた。今は少し増えて、他のビルにも生えているらしい。


「婆さん、起きてるか?」

通路を阻む両開きの鉄の扉に向かって声をかける。


 廃墟と言ってもいいだろうこの街に来たのは、ここに住み着いているモノに用事があるからだ。


『おう。聞いたことのある声じゃな?』

「タツネだ」

どこからか響く、しわがれた声に名を答えると鉄の扉が開く。


 動いていた頃はエレベーターと呼ばれるものだったはずだが、ここではただの扉だ。空いた扉の正面は壁が崩れ、ぽっかりとした穴がある。少し揺れる短い床を通り、奥に進む。


 中は床ではなく野菜の植えられた畑、所々に壁の跡があるが広いワンフロアになっている。黒っぽい土のうねに、トマトやタマネギ、ニンジン、セロリ――。四方の外壁がほとんど落ちているビルの端、囲むように木々が茂り、リンゴ、プルーン、デーツ、ミカンなどが季節を無視して実っている。他には各種スパイス。


 それらを視界におさめつつ、私が向かうのは部屋の中央にある蛇口。 


「貰ってゆくぞ」

『ああ。じゃが、次が途絶えるのは困る、ほどほどにな』


 聞こえる声から婆さんと呼んでいるが、正体はこの崩れかけたビルそのものだ。いや、今はビルに同化しているが、核となるモノは小さな箱。一度、移動を手伝ったことがある。


 真鍮色をした蛇口をひねる。たぱたぱと流れ出す濃い茶色を瓶に受ける。蛇口から流れ出るのはウスターソース。どういう理屈で蛇口から出てくるのか謎だが、私が詰める瓶を変える度、周囲の野菜や果物が減る。


 ――つやつやとして旨そうな。あれをかじりたい。


 こらえろ。これらを食ったら、次にソースが手に入るのが遥か先になる。

 

 ――ここのソースは旨いからな。


 ああ。他にも旨いソースはあるが、普段食うならここのソースが一番だ。


 瓶を変えては『強欲の蔵』に入れてゆく。時間停止などという便利な能力はないが、ソースは保存がきく。それに食い物はどうせすぐに腹に収めてしまうしな。


「礼を言う。これはいつもどおりに」


 瓶を納めた『強欲の蔵』から、今度は枯れ葉を大量に取り出す。秋からずっと入れっぱなしにしていた枯れ葉は、崩れて半分土になっている。


『おう、おう。何よりじゃ』

うれし気な老婆の声を後に、建物を出る。


 素材のために不足していたのは、水と草々を育む柔らかな土。老婆の望みを叶えるのは、私に都合がよかった。


 ――さあ、食おう。


 待て、待て。ウスターソース単体を飲むのは避けたい、大体キャベツを食うためにソースを手に入れたのだろう。


 ――では急げ。


 【貪欲】にせかされるまま、急ぐ。どこかでバイクでも調達するべきか。走った方が速いが、腹が減る。


 向かった先は森の中、変容したキャベツが群生している。地面に丸まっているもの、芯が私の背丈ほどに伸びてその先で丸まっているもの。


 キャベツの群生地にいるのは少女と青年の二人。名は忘れた。


「おかえりなさいませ、タツネ様」

笑顔で話しかけてくる少女。


 ――白い二の腕は旨そうだ。


 やめろ。旨い野菜が食えなくなる。 


 【貪食】は食らうモノを選ばない。人よりもっと旨いものがあるし、少女を食うつもりはないが、私の中の【貪食】が表に出る可能性がないとはいえない。それに、一人気ままに彷徨い食い倒れる方が性に合っている。


 成り行きで拾ったが、普段一緒にいることはない。ただ、植物を育てることが上手いので時々手に入れた種や苗を持ち込み、育てさせている。


 このキャベツの群生もこの少女が増やしたものだ。老婆の畑ほど管理されておらず、半分野生だが、この場所のキャベツは毎年増えている。


「収穫は?」

「広場が半分ほど埋まりました。どうぞ食べ始めて下さい、食べている間に私とカエンで収穫いたします」

笑顔の少女。


「く……っ。屈辱だ」

不満そうな顔でキャベツを収穫しているのは、『支配の腕輪』をつけた青年。


 私を捕まえようとして青年が持ち込んだ腕輪だが、結果は逆だ。面倒なので「関わるな」と一言告げて放置するつもりだったのだが、この緑の指を持つ少女の護衛にちょうどいいかと持ち帰った。


「では頼む」

「はい」


 キャベツを一つ切り取って、広場に向かう。手に持ったキャベツの切り口から、水が滲み出てきた。薔薇の蕾のように上の尖ったキャベツは、この時期だけのもの。時が過ぎると固く丸く巻いて、どんどん縮む。ぎゅっと詰まったキャベツは普通の人間では歯が立たないほどになる。


 このキャベツは朝日の中、芯を切り離すのが一番美味しい。そして陽が天中を過ぎると味が落ち始めるため、午前中に食べる。


 手に持ったキャベツを切り、ソースをかけてバリっとかじる。ほのかな甘さ、やわらかでみずみずしい。採れたてを生で。


 ――ああ、旨い。

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変わった世界と食欲 じゃがバター @takikotarou

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