変わった世界と食欲

じゃがバター

食欲

「キキッ!」

「キーッキキッキ!」

「ギギッ!」


 森と黄土色の谷と崖で形成された土地を歩いていると、近くの谷が騒がしい。距離をとり、崖の上から下の谷を覗き込むと、どうやら迷い込んだチキブをポムたちが狩ろうとしているところのようだ。


 今聞こえて来た声は、翻訳すると”そっち!”、”追い込めッ!”、”うっわぁっ!”くらいのニュアンスか。


 チキブは鶏とドラゴンの合いの子だ。大地を蹴る大きな太い脚、鋭い鉤爪かぎづめ、固い岩をもえぐるくちばし。種類によってはブレスまで吐く。


 420年前に起こった亡国の魔力暴走の結果、生き物という生き物が種を超えて――どころか伝説上のモノと魔力で以て合成され、それまで見なかった様々な種族が誕生した。


 安定していた世界はあっさりと壊れ、文明は後退、いや交代か? 今まで見なかった巨大な生物に破壊されつくしたことは確かだが、復興が始まらなかったのは今まで通りを望む者が少なかったからだ。


 魔力暴走の嵐は人も例外なく変化させた。大部分がそれまでとは姿も思考も体質も変わった。それに伴い、住まう場所も、行動も、食う物も、何もかも変わった。元に戻せると分かったところで、それを喜ぶものが少なかった。


 今、私の眼下でチキブに吹っ飛ばされている者たちは、オレンジ色の体毛を持ち私の半分ほどもないポム族という獣人。集団で生活し、体温が高く、暑がりで、外を好む。


 獣人と呼ばれるものの中では弱いが、集団で狩りをして、仲間思い。


 チキブが暴れているその後ろには、大穴がある。穴に誘導し、獲物が嵌ったところで槍や投石で安全な場所から攻撃をするのがポム族のやり方だ。普段からここを狩場にしているのだろう。


 チキブが一匹で、迷い込んだ場所が普段狩りに使っている谷でなければ、ポムたちは逃げていただろう。それほどチキブは大きく、そして強い。


 ――でも美味しい。


 ポム族は「何かを保存する」ということをほとんどしない。狩った肉はその日のうちに、大きなものでも2,3日で食べてしまう。狩りに参加しなかった村人も含め、全員で腹いっぱい食う。


 そして獲物が獲れない日が続くと、とたんに飢える。飢えには強いが、欲求を押さえられない種族でもある。おそらく今回のチキブへの少々無謀な挑戦も、飢え故に力の差を見誤ったのだろう。


 ――だって美味しいからな。


「……」


 ちょっと黙っててくれないか?


 ――何故? チキブは美味しいぞ?


 ポムたちはうまくチキブを穴に追い込んだが、巨体過ぎて上半分が出ている。翼のひと振りでポムたちは吹っ飛ばされ、崖の岩肌に打ち付けられる。羽根に埋もれた皮膚には隠れた鱗があり、投石やポムたちが振り回す槍ではまったくダメージを与えられていない。


 ――あの毛玉どもがチキブをダメにする前に手に入れろ。


 私の中の【貪食どんしょく】が先ほどからささやいている。


 チキブは羽根が散るほど味が落ちる。羽根に埋もれた鱗に傷をつけることが叶わないポムたちの力でも、羽根は落ちる。はらはらと。


 チキブはまだ穴にはまったままだ。今逃げれば大多数は逃げられる。現に倒れた仲間に駆け寄り、じりじりと出口へと下がり始めた者もいる。


 チキブは巨体だが、自分の体高の二倍程度ならば飛べるので、穴から抜け出すのは時間の問題だろう。


 ――いいから食おう。


「あまりヒトと関わりたくないんだが」


 ――大丈夫、今はチキブがいるだろう?


「そうだな……」

剣を抜く。


 我慢できないからこその【貪食】。見下ろしていた崖の上、足元を軽く蹴って飛び降りる。


 ――ああ、お腹がすいた。


 殿しんがりなのか、己の肉でチキブをここに留める餌なのか、そばにポムが一人。穴から出ないよう翼や嘴を避けながら、槍でつつき回す小さな獣人めがけ、チキブの嘴が動く。避けられないことを悟ったのか、動きを止めたままチキブを見上げる茶色い瞳。


 チキブのその伸びきった首に、飛び降りた勢いのまま剣を振り下ろす。


 420年前の暴走によって放出された魔力は、濃く薄く世界に広がった。現在の種族的な強さはその時受けた魔力の濃さで基本が決まっているようだ。代替わりの度、突出して強くなる個体が出ることもあるが、種族全体としてはそうだ。


 人為的に引き起こされた魔力暴走、私は偶然その場にいた。魔力が私の体を通って世界に広がってゆくのを見ていた。


 ――強いことはこの世界で食うために、ちょうどいい。


 首を切り落とされたまま、チキブがバタバタと暴れ回る。ポムたちの使っていた縄に魔力を通し、足に絡ませ、半ば穴から出てきていたチキブを蹴り落とす。


「おい」

「きっ!」

残っていたポムに声をかけると、ビクッと飛び上がった。


「ありったけの鍋を持ってこい。コイツを食うぞ」

「ききっ!」

笑って言うと、びしっと敬礼して駆けてゆくポム。短い尻尾がピンと立っている。


 420年の間に共通語は失われつつあるが、言葉に魔力を乗せて話すことによって、かつて同じ言語を使い共通のイメージを持っているモノならば、意思疎通ができる。


 このオレンジの小さな獣人たちは、私と同じ言葉は話さないが理解はしてくれる。近くで話すよりも遠くの仲間たちに声を届ける言語を選んだようだ。先ほど駆けだした獣人も、よく響く谷の一角で尾を引くような甲高い声を上げている。


 ――鍋持って戻れ、か。


 私は420年前から同じ姿で生き続け、むさぼくらう。チキブがいなければ、この食欲は獣人に向かっていただろう。私に混じったモノはなかなか厄介だ。


 チキブの足に絡げたロープの先を谷の岩壁に引っ掛け、持ち上げる。まるまると肥え、胸が張っていていかにも美味しそう。薄茶色のふっくりとした羽根を魔法でむしりとり、血抜きのために吊るしておく。


 不思議なことに落命するとチキブの鱗は何もしなくても剥がれる。今もパリパリと剥がれ落ちて、ピンク色の肌を見せ始めている。


 焚き火を作り、持ち物から取り出した魔桜花の枝の先を焼く。なかなか火がつきにくいのだが、一度燃え出すと煤を出さず、香りながら長く燃える。


 チキブは抜ききれなかった細かな毛をこの枝の火で焼くと、皮にほのかな匂いが移りとても美味しくなる。


 解体している間、ポムたちが鍋に水をはり、森や谷から探して来たほかの食料を積み上げる。


 魔力暴走で変質したのは植物も一緒、繁殖力があり強靭きょうじん、時にはこちらを襲ってくる野菜や果物まで存在する。畑を耕す者は少なくなったが、世界は存外豊だ。


 ――いいぞ、もっと食い物を持ってこい。


 ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、セロリ――。香辛料もトマトも荷物にある、スープカレーでも作るか。ポム族は確か海藻以外はなんでも食べたはずだ。


 いくらでも収められる『強欲の蔵』は便利な能力だ。空間に穴を開け、いつでも放り込めるし取り出せる。


 ――美味うまい物を持ち運べる。【強欲】は倒して正解だったな。


 『強欲の蔵』は私と同じく至近距離で魔力を浴びた者から奪った能力だ。襲ってきたのは向こうなので、正当防衛だが。


 私は世界を変えた事件当時、魔力暴走の中心となった部屋の真下、地下の書庫にいた。魔力暴走を引き起こしたのは、おそらく顔見知りの7人。


 何が起こったのか分からないまま、外に出ようとして【強欲】と融合した者と鉢合わせした。自分がどう変わったか分からないまま戦い、かろうじて勝った。突然得た身体能力に振り回され、無様な戦いだったと思う。


 私の【貪食】にも『貪食の果て』という、対象の能力を食って――実際に口から食うわけではない――自分のモノにする力がある。【強欲】を倒した後、その能力で『強欲の蔵』を奪った。


 【貪食】【強欲】ときては、おそらく魔力暴走を起こした者たちは、自分たちを七つの大罪だか罪源になぞらえでもしていたのだろう。私が引き受けた【貪食】分、はみ出た一人はどうしたのだろうかという疑問があったが、【強欲】には聞けずじまいになった。


 まあ、あちらから絡んでこないならばどうでもいい。私はこの危険だが、美味い食材に溢れた世界が気に入っている。


 もう【強欲】が変質する前に名乗っていた名前も思い出せない。もともと直接話すような関係でも無し、仕方があるまい。


 『強欲の蔵』はとても便利な能力だ。惜しむらくは時間の経過が普通にある、というところか。時間停止系の能力が欲しいが、さて?


 つらつらと考えていたら野菜が煮えた。ポムたちの持ってきた鍋は、大小さまざまで、一番大きな鍋は村の広場に据えるような大鍋、小さいものは私の手のひらほど。


 柔らかくなった野菜をつぶし、エキスを大鍋に絞って入れる。ポムたちはこちらを気にしつつ、鍋に入りきらない分の肉を焼いている。


 トマトの瓶詰を取り出し、野菜のエキスを絞ったスープに混ぜる。瑞々しさは初夏のトマトに劣るが、ぎゅっと味の濃縮された晩夏のトマトは、煮込み料理に使うにはちょうどいいため、瓶詰で何本も保存してある。


 具の野菜は別に用意。ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモを大きめに切って鶏油ならぬチキブ油で素揚げ。油は野菜を煮ながら先ほど作ったのだが、ラードとはまた違うコクと旨味のある油だ。少し瓶詰めにしておいて、後で炒飯でも作ろう。


 バジル、パセリ、食欲を刺激するスパイスの香り。チキブのいいところは、寝かせたり煮込んだりしなくともいい味が出るところ。


 ポムたちが期待に満ちた目でこちらを見上げている。彼らの中で、肉の分配は仕留めた者の特権らしく、焼いた肉にも手を付けていない。


 最後まで残っていたあのポムに、皿――実は、小さな鍋だが――を渡し、スープカレーを盛ってやる。


「配分はお前に任せる」

焼いた肉と鍋に目をやって、そのポムに視線を戻し、一任する。面倒だし、他のポムの見分けがつかん。


「きっ!」

鍋を抱えて片手で敬礼、仲間たちを振り返って分配を始める。


 私は少し離れたところに座って、チキブのスープカレーに口をつける。食器は自前だ。


 うん、野菜の旨味とカレースープが絶妙。スプーンの先でつつくとほろほろと崩れるチキブの肉、大き目の素揚げ野菜が香ばしい。刺激はあるが味が薄いってこともなく、スープ自体も美味しい。スパイスのバランスが難しいのだが上手くできた。


 スパイスの刺激に、ポムたちの尻尾が真後ろにピンと伸びてぷるぷるしている。けれど笑顔ですぐ次を口に運ぶあたり、口にあったのだろう。


 ポムがチキブの肉を持ってきたのでありがたくいただく。礼を伝えると、また敬礼をして仲間の元に駆けだしてゆく。


 飴色にぱりぱりに焼けた皮としっとりとした肉。軽く塩を振られて焼かれたシンプルな料理だが、こちらも美味い。


 楽しそうに飲み食いするポムを視界に収め、姿を消す。


 ――さあ、次は何を食べよう?

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