自領じりょうへの帰路きろにあったアルミナル軍およそ二万は、シアーデルンから東へ約一〇キロ離れたシンテリムという名の森林地帯の手前で止まり、これまでの行軍の疲れをいやし、明日からまたはじまる行軍こうぐんのための英気えいきやしなうため野営やえいした。

 アルミナルは、陣地ちんち構築の委細いさいを副官のカイゼルにまかせ、自分は専用の天幕てんまくに入って、重苦おもくるしい甲冑かっちゅうから全身を解放させるのを従者の少年に手伝わせていた。

 そんなアルミナルの背中に、軍師ラーシアのすがるような声がかかる。

「ねえ、お願いだから考えなおして。いくらなんでもあきらめるのが早すぎるわ」

「そうは言うがな、今の我が軍の装備では廃墟はいきょの壁だってくずせやしないんだ。あきらめてくれ」

「そんな編制へんせい出兵しゅっぺいしたのはあなたでしょ!」

「ああ、そうさ。なぜなら、この軍は俺の軍だからだ。つまり、攻めるも逃げるも俺の勝手にできる軍ってわけさ」

「んもお!」

 アルミナルのとぼけた返答にラーシアが癇癪かんしゃくをおこしかけたその時、天幕の戸口の幕があがり、戸口を守っていた近衛兵このえへいのひとりが来訪者らいほうしゃの存在を告げた。

陣中見舞じんちゅうみまいいならおことわりだ。追い払え」

 地元の貴族や豪族ごうぞくからのおくり物や世辞せじを受けとる気になれなかったアルミナルは、そっけなく近衛兵にそう言いわたした。が、その直後、ひとりの人物が近衛兵を押しのけて天幕のなかへ静々しずしずと足をみ入れてきた。

 その人物は、外のやみが人の形をなして入ってきたような印象をアルミナルにあたえた。そう思わせるほど、人物の全身が黒ずくめだったのだ。まとったローブも黒ければ、目深まぶかにおろされているフードも黒く、フードの奥も影におおわれていて顔立ちを不明瞭ふめいりょうにしていた。唯一、黒くない部分といえば、天幕の松明たいまつに照らされて金属光をにぶく放っている両腕の手甲ガントレットくらいである。

 それでも、アルミナルにはこの人物の正体がわかった。

「こいつはおどろいた。あんたはてっきりバーナーム伯領はくりょうにいるものと思っていたんだが?」

 アルミナルが演技ではなく本心からおどろいてそう挨拶あいさつすると、黒い訪問者は暗いフードの奥から若い男の声をめた調子でひびかせた。

「あなたの気まぐれがいささか心配になり、急遽きゅうきょ、ここへさんじた次第しだい

「はは、手厳てきびしいな、メルセリオ」

 名を呼ばれたローブ姿の人物は、フードを払ってその顔を松明の明かりのもとにさらした。

 長くしなやかな黒髪に、女と見まがうような整った顔立ち、そして、夢と野望を同居させたような黒光りする切れ長の目。

 アルミナルの軍師ラーシアの師であり、かつては〈アズエルの使徒〉だったという男、メルセリオ本人だった。

「先生!」

 ラーシアがうれしそうに声をはずませ、その場で片膝かたひざをつき、ひさしぶりに再会した師に心からの敬意を表していた。

「俺にもこんなに従順じゅうじゅんであってくれたらねえ」

 自分とメルセリオに対する彼女の態度の落差をアルミナルがなげくと、ラーシアはあわてて自分の師にうったえた。

「わたしは、先生のお言いつけどおり、アルミナル将軍に忠実におつかえ申しあげておりますわ!」

 師に好ましく思われようと必死になっているラーシアがアルミナルの目には微笑ほほえましく映るのだが、肝心かんじんのメルセリオは表情ひとつ動かさず、アルミナルだけを見つめて声をはっした。

「こうもやすやすと軍をかえされては、我らの計画にくるいがしょうじてしまうのです、セラン・アルミナルきょう

「ラーシアにも言ったことだが──」

 上半身と腰まわりのよろいを脱ぎおえたアルミナルは、肩をまわして身軽さを味わいながら反論した。

「その責任は、フィオラを南で足止めできなかったあんたらにある。彼女の本隊が近づきつつあるなかで、手薄てうすとはいえ堅牢けんろう城塞じょうさいでもあるシアーデルンを落とすのは容易なことじゃない。へたをすれば腹背ふくはいに敵をかかえて、こちらが手痛いしっぺがえしをくらっていたさ」

「王を称して独立した方のげんとは思えぬ、気弱きよわなおっしゃりようですな」

かんちがいしないでくれ」

 アルミナルは椅子に腰をおろすと、すね当てのを自分ではずしながらメルセリオの勝手な決めつけに抗議した。

「俺にだって大望たいぼうはある。いつまでも地方軍閥ぐんばつちょうでいるつもりはないさ。だからこそ、カルカリアで陛下へいかくなられるずっと以前から、俺はあんたのさそいにのってきたんだ」

 アルミナルは自分のことを野心家などとは思っていない。

 たしかに、主君しゅくんだったエリンデールが生きているころから独立の夢をえがき、カルカリアの戦いで主君を殺す計画もメルセリオからきかされてはいたが、それを黙認もくにんし、実際にエリンデールが戦死すると迷わず独立して今日こんにちにいたるが、それを大それた野望の結果だとは考えていない。

「俺はただ、人生の折々おりおりでおとずれた好機こうきのがさなかっただけさ。陛下の近衛兵に抜擢ばってきされたのも、戦場で数々の武勲ぶくんをあげたのも、〈九枚の大楯ナインシールズ〉にじょせられたのも、みな俺が無理に望んだものではなく、俺の実力が自然と引き寄せた賜物たまものなのさ」

 野望というものは分不相応ぶんふそうおうな望みのことを言う、と、アルミナルは考えている。たいていの野望は道半みちなかばでついえ、成就じょうじゅされることがない。実力にみあっていない望みなのだから当然だ、と。

「俺は野望をいだくようなバカな真似まねはしない。ただおとずれた好機を実力で確実につかみとっていくだけだ」

「その好機がまさに今だということに、お気づきになられぬか?」

「はん! 言うにことかいて好機だと? あんたらの失敗をたなにあげる気か?」

「たとえ一の手が不発ふはつにおわっても、それをおぎなう二の手、三の手を用意しているのが軍師というものです」

「ほう」

 虚勢きょせいにしては自信と威厳いげんに満ちたメルセリオの眼差まなざしに、アルミナルは好奇心をくすぐられた。

「どんな善後策ぜんごさくを用意していると?」

「あなたがこのまま自領へお帰りになるのでしたら、シアーデルンはきっと、別の者の手に落ちるでしょうな」

 これをきいてアルミナルは高らかに舌打したうちした。

「ちッ。俺以外にも、そそのかしている〈ナインシールズ〉がいるってわけか」

「シアーデルンというまちは、ローデラン全土をべたいと願う者にとって無視できぬ場所だということです。あなたがあきらめても、別の誰かがあの街を求めることでしょう」

「・・・・・・・・・」

 アルミナルは、すね当てをはずして軽くなった足を組み、メルセリオの発言を慎重しんちょう吟味ぎんみするため顎先あごさきをつまんで考えにふけった。

 その思索しさくを導くかのように、メルセリオが静かな口調で言葉をふきこんでくる。

「今ここで引きかえせば、あなたがシアーデルンを手に入れられる機会は二度とおとずれないでしょう。しかし、ここにとどまるならば、あなたにもまだチャンスは残ります。すなわち、〈紅炎こうえんの聖女〉と他の将軍がシアーデルンをめぐって衝突しょうとつし、どちらが勝つにせよ、両者は激しく損亡そんもうする。そこへ第三者が現れても対処しようがないほどに・・・・・・第三者にとってこれほどの好機がありましょうや?」

 ここまできかされれば、アルミナルにもメルセリオの意図いとが明確に読み取れる。

「なるほど。フィオラの帰還が遅かろうが早かろうが、あんたははなから、別の将軍を俺への当て馬として用意していたってわけか」

 アルミナルの推測すいそくを、メルセリオはうやうやしく一礼することで肯定こうていした。

(やってくれるぜッ)

 こうなると、メルセリオの言うとおり、おめおめと自領へ引きかえすわけにはいかなくなった。

 漁夫ぎょふでシアーデルンを手に入れられる絶好の機会が目の前に転がっているのだ。好機をのがさなかったからこそ今の自分があると信じるアルミナルにとって、メルセリオから提示されたチャンスは千載一遇せんざいいちぐうに思えた。

(俺の性格はお見とおしってわけか・・・・・・)

 自分がそそのかされているということをじゅうぶんに自覚しつつも、そう感心せずにはいられないアルミナルだった。

 メルセリオにしてみれば、シアーデルンを落とすのがアルミナルであろうが別の誰かであろうが、どちらでもよいのだろう。ようは、フィオラがシアーデルンを堅持けんじしているというなかば固定化された現状が打破だはされればよいのである。

 現在のローデラン東部は、フィオラが占拠せんきょしているシアーデルンを中心に〈ナインシールズ〉が各地に割拠かっきょして、それぞれの勢力が拮抗きっこうしている状態である。誰もが動きたくても動けないのだ。

 言わば、レンガでがっしりと組まれた壁のようなもの。

 しかし、レンガのひとつが取りのぞかれれば、壁はガラガラと音を立てて崩れ落ちる。

 メルセリオのねらいはまさにそれなのだろう。

 そして、最初にはずすべきレンガとして彼が選んだのが、フィオラなのだ。

 シアーデルンの所有者がかわれば、ローデラン東部のパワーバランスは大きくさまがわりして、他の〈ナインシールズ〉らも、野心のためにせよ、保身ほしんのためにせよ、動かざるを得なくなる。そうなれば、乱世の名に相応ふさわしい混沌こんとんのはじまりとなるだろう。

(それが、この男の目的か)

 統一まであと一歩だった英雄エリンデールをえて殺すと告げられた時から、メルセリオのねらいが戦乱を長引かせることだとは気づいていた。が、その動機がいまだに見えてこない。

(動乱を長引かせて、この男はなにを得るつもりだ・・・・・・)

 メルセリオと手を組んで以来、たびたびこの疑問にぶちあたってきたアルミナルだが、本人にたずねたところで答えをはぐらかされるのは目に見えている。

 そこで、別の疑問をぶつけて、それで得られる回答からメルセリオの動機をあぶりだしてみることにした。

「ところで──」

 アルミナルはさりげなさをよそおってきりだした。

「前々から気になってることが、ひとつある。あんたは、フィオラのことを決して名前では呼ばないな。なぜだ?」

「・・・・・・・・・」

「まるで、名前では呼びたくないほどの浅からぬ因縁でもあるかのようだが?」

「・・・・・・・・・」

「彼女と面識めんしきが?」

「・・・・・・・・・」

「沈黙ってのは、場合によっては言葉以上に心を語るもんなんだぜ? 実際、図星ずぼしを言いあてられた人間はたいていが黙りこむ」

「語る理由がないだけのこと」

 ようやく動いたメルセリオの口から流れでた声は、暗く、低かった。

 あきらかに詮索せんさくされるのをこばんでいる声音こわねである。おまけに、これ以上の詮索を重ねるようなら相応の覚悟をせよ、とでも言いたげなするどい目つきをしていた。

 アルミナルは、自分が軽い気持ちで悪魔の尻尾しっぽみつけてしまったことを後悔こうかいした。

 メルセリオの動機がなんであれ、それがアルミナルの人生に利益をもたらしてくれるのなら、彼を怒らせて無用の不和ふわをまねくのは骨頂こっちょうである。少なくとも今のところは。

「わかったよ・・・・・・答えたくないなら、それでもいいさ」

 肩をすくめて降参こうさんの意を示すと、アルミナルはラーシアに視線をてんじた。

「カイゼルに撤退てったいの中止を伝えにいってくれないか。自領には帰らず、しばらくの間、ここで軍を宿営しゅくえいさせる、とな」

御意ぎょいのままに」

 ラーシアが、メルセリオの手前てまえということもあってか、しおらしく従った。

 いつもは「それくらい自分でやりなさいよ。わたしはあなたの小間使こまづかいじゃないんだから!」と拒絶きょぜつするくせに。

「メルセリオさまさまだな」

「・・・・・・・・・」

 天幕をでていくラーシアの背中を見送っていたメルセリオが、不思議そうな顔でアルミナルをふりかえった。

「いや、こっちの話だ。それより、どうだ、一杯つきあわないか? 長旅で、さぞやのどかわいてるだろ?」

 有無うむも言わせずアルミナルが従者の少年にグラスを二杯もってこさせると、ことわりきれなくなったメルセリオが「では一杯だけ」と渋々しぶしぶながらはいを受け取った。

 その杯へ葡萄酒ワインをそそごうとする従者の手からボトルを取りあげ、みずからの手でメルセリオの杯に酒をそそぎながらアルミナルはうた。

「すぐにつのか?」

「そのつもりです」

「バーナーム伯によろしく伝えといてくれ。いずれ戦場であいまみえましょう、ってな」

 南へ引きかえすのだろうと思ってアルミナルがそう冗談をとばすと、メルセリオは真顔まがおかぶりをふった。

「南へは帰りません。このまま北をめざします」

「北へ?」

 なにをしに、と、つづけようとしたアルミナルは、結局、杯をあおって葡萄酒ワインとともに言葉をのみこんだ。

 眼前がんぜんの男が腹の底でなにを考えているのか、アルミナルにはかいもく見当もつかない。ただしたところで、メルセリオは容易に腹の底を見せまい。だが、彼が味方でいる間はそれでかまわなかった。

(なにをたくらんでいるにせよ、この男の暗躍あんやくは俺に好機をもたらしてくれそうだ。事実、今のところはそうなっている。その調子で、せいぜいこのローデランをひっかきまわしてくれ。うずが大きくなれば、そのぶん渦に翻弄ほんろうされるがわも泳ぎ甲斐がいがでてくるというものさ)

 多くの無能な者が、メルセリオによってかきまわされた渦のなかでおぼれ死んでいくことだろう。渦のなかを泳ぎきって対岸へ生還せいかんできる実力者の数は限られる。

 もちろん、アルミナルは自分が生還者のうちのひとりだと信じて疑わないし、岸にたどりつける者は少なければ少ないほどいいと願ってもいる。誰が相手だろうと戦って勝つ自信はあるが、戦いそのものは少ないほうが楽でいいに決まっているのだから。

「では、わたしはこれにて」

 メルセリオがからになった杯をおき、うやうやしく一礼した。

「ラーシアは置いてってくれるんだろ?」

「むろんです。我が弟子を、閣下かっかの軍師としてお役立てください」

「ああ、そうさせてもらおう。わりと言っちゃなんだが、旅に必要な水と食糧を用意させる。もっていってくれ」

「ご厚意こういに感謝いたします」

 もう一度、丁寧ていねいこうべれたあと、メルセリオはきびすをかえして天幕を出ていった。

「さて──」

 アルミナルも一気に杯をすと、それを卓上たくじょうに置いた。

「俺も準備運動くらいはしておくかな。対岸まで泳ぎきれる実力はあるのに、準備不足がたたって足をつった、なんて間抜まぬけな事態だけはけたいからな」

 誰にともなくつぶやくと、そばにひかえていた従者に命じた。

「シアーデルン周辺に斥候せっこうを大量に放っておくよう、カイゼルに伝えろ。俺への当て馬が誰なのか知らんが、フィオラとそいつの動静どうせいをさぐらせるんだ。それと、いつでもすぐ軍を動かせるように準備させておけ」

 メモなど取らずとも主人の言葉を一言いちごんもききもらさないよう訓練されている従者の少年は、小さくうなずくとおのれの使命を果たすため天幕を飛びだしていった。

「王さまなんてガラじゃないが、王冠おうかんが足もとに転がってくるのなら、ひろってやってもいいか・・・・・・」

 からの杯にもう一杯、葡萄酒ワインをそそぎながら、アルミナルは彼独自の言いまわしで覇気はきをあらわにした。思いのほか早くシアーデルンが手に入るかもしれないという現実味が、そうさせたのである。

 だが、すぐに自惚うぬぼれがぎることに気づき、アルミナルはほお微苦笑びくしょうをたたえると、いだいた慢心まんしんとともに杯のなかの酒を一気にのみくだした。



 設営せつえいされたばかりの陣地を明るく照らす篝火かがりびのもとで、黒くたくましい馬に荷をくくりつけながら、くらあぶみの状態を確認して旅立ちの準備にいそしんでいるメルセリオがいた。

 その背なかに、ラーシアは無駄と知りつつも願いでた。

「あの、先生・・・・・・わたしも、北へご一緒させてください」

「それではアルミナルを監督かんとくする者がいなくなってしまう」

 メルセリオはふりかえりもせず、荷造りをつづけながら声だけをよこしてきた。

 そのない態度が不満で、ラーシアの声には言葉以上の苛立いらだちがにじんだ。

「あの人は好きになれません。なにかにつけては、わたしをいやらしい目で見るのです」

 こんな子供じみたうったえでメルセリオがいてくれるなどとは期待していなかったが、ふりかえりもせず、返事すらしてもらえないことにラーシアはさびしさを胸によぎらせた。沈黙したままのメルセリオの背なかが、つまらないことでわずらわせるな、とでも語っているかのようで、ラーシアに疎外感そがいかんをあたえるのだ。

「先生のおそばで・・・・・・まだまだ学びたいのです」

「おまえにはすべてを教えた。実戦での勝利も経験している。心配はしていない」

「・・・・・・・・・」

 心配はしていない、というのは、つまり、気にかけていない、ということの裏がえしなのではないか。

 そんなふうにひねくれた思考をしてしまう自分に嫌気いやけがさし、ラーシアは力なく肩を落としてうなだれた。

「だが──」

 ここでようやくメルセリオがふりかえった。

 その気配けはいさっしたラーシアはとっさに顔をあげて微笑ほほえむ。が、その喜びはすぐに落胆らくたんへとかわった。

 ふりかえったメルセリオはラーシアを見ておらず、満天まんてんに輝く星々を見あげ、まるでここにはいない遠くの誰かに思いをせているかのようだった。

「だが、〈紅炎こうえんの聖女〉と、その軍師には油断するな」

〈紅炎の聖女〉という異名がフィオラ・グランゼスをすものであることは、ラーシアも当然、知っていた。彼女にまつわる武勇伝ぶゆうでんもききおよんでいるため、油断する気など毛頭もうとうない。

 しかしフィオラ・グランゼスの軍師については、メルセリオに「油断するな」と言わしめるほどの人物だとは知らなかった。

「何者なのですか、その軍師は」

「〈アズエルの使徒〉だ。名をレイタスという」

「レイタス・・・・・・」

「かつての我が弟子だ」

 そうこぼしたメルセリオの声と表情に、微量びりょう感慨かんがいほこらしさがふくまれていたように感じたのは思いすごしだろうか、と、ラーシアは胸中きょうちゅう小首こくびかしげた。同時に、そのレイタスという人物がうらやましくなった。敵でありながらもメルセリオの心を動かせているのだから、自分とは雲泥うんでいの差である、と。

 不意に馬のいななきが間近まぢかでおこり、ラーシアはビクリと肩をすくめてわれにかえった。

 見れば、メルセリオがいつの間にか馬上の人となっていた。

「では、まいる。あとのことは委細いさいまかせたぞ、我が弟子よ」

「はい、お任せを。道中、つつがなきよう、戦神アズ・・・・・・」

 ラーシアの別れの言葉を最後まできかず、メルセリオは馬腹ばふくって行ってしまった。夜藍色よるあいいろのローブをまとって黒馬にまたがり、月と星の明かりをこばむかのように黒一色のメルセリオは夜の闇にすぐけて、ラーシアの目には見えなくなってしまった。

 ただ遠ざかるひづめの音だけが、彼とラーシアの距離をさぐる手がかりだった。

(どちらがいいのかしら・・・・・・味方として無関心でいられるのと、敵として関心を寄せられるのとでは・・・・・・)

 それが弟子としてどれだけ危険な発想かということを自覚しながらも、ひとりの女として考えずにはいられないラーシアであった。

 やがて蹄の音もきこえなくなり、ラーシアは完全な静寂せいじゃくのなかに置き去りにされた。

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戦神のガントレットⅡ おちむ @M_Ochi

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