第3話・当時の国内情緒と経済 前編
当時のマルコス政権下においてあったフィリピンは、現在というASEAN諸国がまだ呼ばれてない当時として1番の軍事力を持つ国でした。理由としてマルコス一世政権による予備軍人の増加促進政策だった。男子高校生・大学生を対象にROTC(予備役将校訓練課程)に入隊しなければなりませんでした。軍政策を反対した右派・左派系の政治活動家等が全国各地からデモに発展した暴動と起こります。
1972年の大規模戒厳令発令後のフィリピンはどんな状況だったの?
当時のフィリピン共産党(CPP)が全国各地でのテロ行為及び大臣及び政治関係を持つ者の拉致行為を計画した模様。戒厳令が発令した後の数ヶ月を経った、1972年12月
イベントに参加していたイメルダ夫人が何者かによる暗殺未遂によって負傷しました。
犯人は恐らくフィリピン共産党の工作員だったらしく、これを遺憾の意を示す政府は、暗殺未遂を計画した関係者全員が逮捕された。
これでマルコス以降の大統領への警備態勢を慎重に厳格化し、事件を明らかになった後大統領護衛隊(PSG)の再編を行っていた。
<フィリピン国内での経済・産業について>
フィリピンは以前からアメリカ系企業のおかげで産業が近代化となっていたが、アメリカからの産業技術常識を打ち破るとなったのは日本系企業のフィリピン進出だ。
日本製の電化製品を始めに日本製の自動車、バイク、産業機器などが普及し始めた。
当時、1970年代に起こったオイルショックのせいで、政府からの比例的な環境、燃費のいい日本車に乗り替えようという呼び掛けを促進化していた。
当時米国車の並みに低迷危機となったデルタモーターズ(現:トヨタ・モーター・フィリピンコーポレーション)がトヨタ自動車と資本関係を持ち、トヨタ自動車の車などを国内で製造開始しました。
一方、米・大手自動車メーカーのクライスラーのフィリピン支社「クライスラー・フィリピン」は
日本・三菱自動車工業のコルト(日本名:ギャラン)とミニカ等の乗用車をフィリピン向けに国内製造及び販売をしました。
一方トヨタはフィリピン向けの多目的商用・乗用車を発表した。のちのMPV車、トヨタ・イノーバ(INNOVA)の先駆けの系譜でもあったトヨタのタマラオ(TAMARAW)が誕生しました。
タマラオを始めにトヨタインドネシアが製造したキジャン(KIJANG)という車もタマラオのインドネシア向けとして作られていました。
さまざまのメーカーから競争したアジア圏多目的車(ASIAN UTILITY VEHICLE、頭文字:AUV)ジャンルの誕生の一つとも言えるである。そして自動車だけでなくバイクメーカーのホンダ、ヤマハ、スズキ等もフィリピンに進出しました。いわゆる日本製品ブームが巻き起こったのもマルコスが発端ではないかと仰っている人がいてもおかしくない。
(番外編)
どうも、お久しぶり
作者の新倉川 エイジです。半年で中々エピソードが進まなくて誠にお詫び申し上げます。
今回のフェルディナンド・マルコス 光と影のエピソード計画は予定として12話まで進んで行きたいと考えております。是非ご期待ください。
<続き>
フィリピンの医療・教育事情について
マルコス政権下で、今までに通用した政策としては、国営病院、小中学校、高校の大量建設、再整備(リフォーム)の政策だった。当時アメリカ大統領だったニクソン元大統領がフィリピンに来国し、様々な所を見ていた時に見苦しいそうになったのはフィリピンの政策面の足りなさだった。これにて反応したイメルダ夫人は建設庁に対し提案されたのインフラ整備を整え始めたのはニクソン大統領による指摘で、国営病院そして小中学校・高校の建て直し建設だった。
本来であれば教育制度が緩かったフィリピンが、上々で発展を進めていきます。
マルコス政権では小中学校での栄養パン(ニュートリバン)の支給、栄養失調対策なども慎重にやっていた時がありました。現在であれば息子であるボンボン・マルコス大統領がニュートリバン支給を再開していた模様、支給廃止から30年以上以来の復活だった。
<続きは後編まで>
フェルディナンド マルコス:光と影のある独裁政権 新倉川 エイジ @SHINKURA4963
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