第495話 世界の辿る闘争の歴史


   *


 白き光に満たされた世界で、鴉紋はふと瞳を開けた。


「ここは……」

「生と死の狭間、意識の世界だよ」


 見上げると、そこに神々しいまでの大天使が翼を広げているのに気付く。

 鴉紋は憎々しいといった顔付きで、生身となった弱き体に拳を握る。己の体からはルシルの漆黒が消え去り、そこには無力な人類だけが残っていた。

 

「だったらなんでテメェが居るんだクソ野郎が!」

「お前の魂を逃さず、いたぶり、完全に消滅させる為だよ」

 

 天魔の体を失った鴉紋であったが、それでも負け時と灼熱の眼光を上げる。黒く灯った二つの虹彩を……


「こんなとこまで出向いて大層な事だ」

「フフ……お前の為とあらば」

「俺が今居るこの世界が、異世界では無いとお前は言ったな」

「ああ」

「俺の居た世界の、成れの果てがこんな狂った世界だと」


 果敢に歩み出した鴉紋は続ける。


「ならば教えろ……どうして俺はこの世界に飛ばされた、なんで俺にこんな世界を突き付けやがった!」

「お前がルシルに選ばれたのは……としてだよ」

「そんな事は分かっている……俺が聞いてんのは、それが偶然だったのかって事なんだよ!!」


 そこに降臨したままの天使へと、鴉紋は渾身の拳を打ち付けた……しかし。


「偶然では無く必然だ。お前でなくてはならぬ理由があったのだ、終夜鴉紋」

「ぁあ゛――ッ!」

「今や人の身でしか無いお前が、私を害する事など出来ると思ったのかい?」


 ミハイルの前に現れた光の障壁が、鴉紋の拳を弾き返していた。


「どうせ概念ごと消え去るんだ、せめてこの世界の種明かしでもしてやろうか」

「ク……ッ 概念だと?」

「そうだよ、お前は完全に世界から抹消する。もう誰からも思い出される事も無い様にね」


 徐々にと光に溶け始めた体に気付き、鴉紋は過激に牙を剥き出した。そうして割れて流血する拳を光の障壁に乱打し始める。

 鮮血飛び散るさなか、細き視線で鴉紋を見下したミハイルは、世界の辿って来た闘争の歴史を語り始める。


「太古の昔、。君達人類の知るに置いて、ルシルは“天魔”を引き連れて神々へと戦争を仕掛けた。動機は確か、創造主父さんが世界の中心を人類と定めたからだ」

「ぅヴォアアァァ!!」

「弱く不完全なる生命体。父さんはそんな人類世界の完成に従事し、彼等へ威光を示して導けと命じたが……それがルシルには許せなかった」

「フゥぅうッ!! ゥァァァアァガアッ!!」

「ルシル率いる叛逆天使達との凄惨な戦争の後、私はルシルを討ち破り、遠い未来、次元の狭間へと突き落とした。それがお前の生きた時代、今この時から観測すれば、遠い過去でしかない歴史のその時にね」

「フンがぁあッ」

「だけど私はルシルの意志を完全には殺しきれなかった……いや、消し去りたく無かったというのが本音となろう。奴の意志はとなって生き続けた」

「ァアッ!!」

「天魔とは肉を失うその時、“原初の石”へと立ち返る。そこに魂と記憶のエネルギーを宿してね」

「ウォオオオァァァッ!!」

「そのに覚えがあるだろう?」


 強靭なる障壁が鴉紋を阻み続ける……だが何がそうさせるのか、彼は心煮え滾らせてミハイルへと歩み出すその足を止めなかった。そこに宿る一人の人間の意志、驚嘆に値する並外れた闘志は、決して届かぬ筈の“天魔”を睨み続けていた。


「ウウオァァァアァァァァガァァ――ッッ!!」


 ――吠え続けている。

 拳が割れても、膝が戦慄いても肉が限界に唸り出しても……


 ――そこに届くと信じる自分が、決して揺るがないかの様に。


「お前の系譜が代々とそれを引き継いで来た筈だ」

「ェエアァァアアッッギィァア――!!」

「遥か遠くに混ざり合った“天魔”の因子が、神話の域にまで薄らいだ那由多なゆたの遺伝子より覚醒を果たすその時まで」

「ァァァあッミハイルゥウウウ――!!!」

「無限に広がる砂丘より、いつかその砂の一粒がすくい上げられる奇跡まで……延々と永遠と、久遠の時をルシルは待ち続けた、神々への叛逆の刻を、“原初の石”に眠り続けながら……」

「ミハイルゥウウウウッッ!!!」

「そしてその時は、思ったよりもずっと早く訪れた。まるで私でさえもが予測だにしない、未知で恐ろしいナニカがそうさせた様に」


 決して砕けぬ障壁が鴉紋自らの血に濡れていく。打ち付けた膝が割れ、拳が裂けても、鴉紋は決して消えゆくだけの自分を許す事をしなかった。

 そんな人間を軽蔑する様に見下ろし続けた天使は、首を捻りながら淡々と語る。


「そしてお前が産まれた。ルシルという規格外の魂の器となり得る、“天魔”の因子を宿したが。お前の“生”は初めから、世界の終焉とも形容できる今この時へと組み込まれていたのだ」

「ォグォオオオオオオオオアッッ!!!」


 眼光噴き上げた鴉紋の拳が、血濡れの壁を全力で殴り付ける。

 ……ピシリ…………

 とヒビの入った障壁が、人の身には侵害し得ぬ概念を打ち壊す――!

 開かれた道、敵へと到る一本の道筋――!


「ォオオオオオオオオオオオ――ッッ!!」


 全てなげうち投じた拳が、摂理を破壊する!

 振り抜かれるは、全存在、宿した“想い”を込めた魂の一撃!

 人の身には本来あり得ぬ筈の“天性”が黒き波動となり、僅かにではあるが鴉紋の拳より打ち上がった!


 ――――しかし!!


「だが所詮、お前の中に芽吹いた“天性”など、私の前では取るに足らない雑魚と同じだ」

「ハ――――ッ?!!」


 まるで虫ケラでも見下ろすかの様な表情で、天使の大翼がそれを払い落とした――

 もう半身程が光に消え去った鴉紋は四つん這いとなり、しばしの間放心する……


「お前という概念が消え去るまでもう時間もない。すべて諦めてルシルに託せよ」

「…………ッッ」

「より強く邪悪で……美しい、あるべき姿へ」


 決して届かぬ生命の次元……

 されど鴉紋は、


「ゥウ……っ」


 ――されど鴉紋は、激情の目をミハイルへと上げる。


「ウゥ゛ォオオオ――ッ!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る