第492話 嫉妬、独占、愛歪み


「なんだ…………それは」


 次の瞬間に鴉紋の眺めた光景は、そこに漂うだけとなった闇の大牙、空を切った自らの拳……不発と終わった打突の衝撃波に、目前の景色がすげ変わっていく景色。


「……ぐ……ッ」


 腹に突き刺さった一輪の光が、茎とも形容できる鋭き長剣に血を滴らせる……

 鴉紋の体内へとその切っ先を差し込み、白き光を照射しながら闇を吸い上げて、花弁は開かれていった。


「屈強なお前の体を派手には壊せなくとも、そうして少しずつ浄化していく事は出来る」

「……ぐぅ……ッ」


 鴉紋は引き抜いた光の一輪を握り潰し、憎々しい面相を背後に振り返らせていった。

 そこにあるのは、漂う花弁を愛でる天使の姿。


なんて聞いてねぇぞ」

「お前には見せていなかったからね、以前はその必要すら無かったから」


 ゆっくりと頭をもたげ、手に持った二十輪となる花束を空へと投げ放ったミハイルは、激しく鴉紋の周囲を旋回し始めた光の花弁を見やる。


「確かにお前は強くなった」

「……」

「だが、それは同時に私を殺し得る可能性を彼方へと連れ去ってしまった」

「何が言いてぇ」


 ひうらりと舞い散った光の花弁と白き天使の羽が、空からの神聖の光明を照り返す。


「お前は私を失望させた……あの素晴らしく輝かしい熱意を、熱情を薄れさせてしまったから……」

「……」

「お前は変わってしまった。触れるもの皆焼き焦がすかの様な……あの頃の忿! 溶岩の様に熱く滾り、沼の様に何処までも沈み込んでいく! あのを弱めてしまったから……」

「俺に殺されたいなら、黙ってその生白い首を垂れやがれ……変態野郎」


 そこまで語ったミハイルの視線はやはり、鴉紋の左目――として残された黒き虹彩へと注ぎ込まれているのだった。


「その不純物と入り混じってしまったが故に……」


 激情を刻む黄色き眼光が、鴉紋を射抜いてゾクリとさせた。

 そしてミハイルの透き通るようで中性的な声は一度舌舐めずりをしながら、ルシルと同化した終夜鴉紋へと語り掛け始める。


「私のルシルを返せ……返せよ人間」

「はぁ?」

「私の大好きだったルシルをたぶらかしてッ!!」


 声を荒げ始めた美しき天使の怨嗟が、手元に残した一輪の光の花を大地に叩き割りながら続けられる。その異様さと豹変ぶり、ミステリアスなる神聖と天性の融合に、不気味なものを前にした心持ちとなる……


「許せない……いや赦さない……あの日のルシルを返して……愛憎まみれた邪悪の極みを……私の愛した、私の大好きな――ッ!」

「……っ」


 ゴクリと呑み込まれた生ツバ……そこに狂気の天使が髪を振り乱して地団駄を踏む――天に押し開かれた翼を広げて、その神聖と天性を波動として燃え上がらせて――!


「激怒に剥き出されたあの牙をッ忿怒にまみれたあの眉根をッ闇に沈み込んだ深い深い怨毒ッ血走る苛烈な眼光をッ!!」

「なんだよ……コイツっ」

「返して、返して返して返してッッ!」

「……!」

「返せ! 返せよ!! 返して返して返して返してカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテッ――カエシテヨォオオォォォ!!!」


 凄まじい迄の光明がテラスへと降り落ち、光の花の群れが鴉紋を切り刻み始めた。巨大なる修道院ごと瓦解しそうな激し過ぎる閃光が、その恨みを込めて絶え間なく執行される神罰となる――!


「微笑まないで、許さないで、譲らないで、優しくしないで、叱り付けて! 罵ってっ! 笑わないデッ!! 私をブッテ!! 殴ッテ!! 蹴り回シテ!! 噛み千切ッテッ!! モット憎ンデッッ!! 怒リクルッテ――ッッ!!!」

「ぐぁ……グウウウッこいつ!!」



「ワタシだけをミテ――――ッッッッ!!!」



 白い肌を真っ赤に紅潮させながら涙振り撒いた天使は、その顔を鼻汁に塗らしたまま終夜鴉紋へと激突して来た――!

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