第476話 憎悪の波、叶わぬ新世界


   *


「なんで……お前が」


 周囲に巻かれた炎の緩やかなる灯りが、凍て付く氷塊のオブジェクトにてらてらと反射している。

 天上から神聖と禍々しきの二色の陽射し。ステンドグラスを通過した虹色の陽光が室内を満たしている。


「なんでお前が……鴉紋の声にしている!」


 隠し切れない憤怒を必死に抑え込んでいるセイルが、炎の大翼を震わせながら熱気を強くしている。


「あら、だって終夜鴉紋は全てのロチアートの目覚めを促したのよ? やせ衰えた貴方達がセフトの騎士に喰らい付けているのは、あれがあったからでしょう?」


 リオンの背より伸びた、ささくれ立った氷瀑の翼――そこより降り落ちる蒼く瞬いた不可思議なる雪の粒を熱波に押し退けながら、セイルは小鼻を一度ピクつかせた。


「だからって、どうしてお前みたいなが!」

「そうよ、私は貴方達にとってのtraitor裏切り者……rotiartロチアートだってさっき言ったじゃない」


 裏切り者の異名で呼ばれ続けた赤目の血統……

 同族であるロチアート達へと呼び掛けた鴉紋の声は、別け隔てなく仲間を救済せんとしたが故に、一人の強大な敵を生み出してしまった。


 視界を揺らすセイルの炎熱が放散し、翼より振り撒かれた火の粉が、黒く変化して氷を焼き尽くし始める。


「同族のは、塵も残さぬ炎にあぶって私が抹消する」

「ヒステリックにならないでよ、嫌な女……」

「ダマレ――ッ!!」


 開かれた焔の大翼と氷塊の翼。互いの翼より降りしきるは、


「燃え尽きる覚悟は出来ているか!」


 万物全てを焦土と変える黒き火の粉と――


「ふふ……美しいままの姿で氷漬けにしてあげる」


 ありとあらゆるこの世の全てを氷結する蒼き雪。


 ――互いの存在を否定し合う熱情と冷酷が混じり合うと、赤き発光の後に双方が消滅する。

 せめぎ合った矛と矛の残す赤の残骸が、細かく空中に散布されていったその時――両者は同時にその口を開いていた。


「『陽炎かげろう』」

「『幻氷げんぴょう』」


 互いの打ち出す灼熱と極寒……それらは外気との激し過ぎる気温の差に蜃気楼しんきろうとなって姿を巨大に――そして歪ませる。

 やがて高温と低温が混じり合い始めると、二人のロチアートの姿は原型も無い程の“邪悪”と映り、翼を広げてそこに眼光突き合わせた化物は正しく……


「『氷剣ひけん』――!」


 “氷獄の悪魔”と――!!


「『炎刀えんとう』――!」


 “獄炎の悪魔”――!!


 リオンの翼より増幅された氷塊は、瞬く間に莫大なサイズの氷の剣と変わって解き放たれる。しかしセイルもまた炎の翼より巨大な炎の刃を創り出し、迫る蒼の氷塊へと向けて投げ放つ――

 爆発する様な赤の発光の後に、白煙だけを残した上空へとリオンが飛翔した。


「ねぇセイル、貴方の目指す世界ってどんな所なの?」


 徹底として表情を変えぬリオンの翼より、鋭利を極めた氷柱の雨が射出された。

 大翼に身を包んだセイルはそれら全てを焼却しながら、翼の隙間より苛烈な赤の視線で見上げていく。


「ロチアートの、喰われる事の無い世界ッ!」


 セイルが大地に両手を着くと、広大なる部屋を埋め尽くすだけの転移の魔法陣が出現して天地を埋め尽くした。


「『煉獄れんごく――刃』!!」


 大地へと注ぎ込んだ無数の炎の刃――退路を封じた四方八方からの連撃が宙を漂う氷獄へと迫る――!


「へぇ、それって私も含まれるのかしら?」

「ぅわっ――!!」


 360度全てを包囲した灼熱と桃色の魔法陣。リオンは左の魔眼を煌々と発光させると、地へと舞い戻っていく最中に縦横無尽と旋回しながらその全てを消し去ってしまっていた。

 頭上よりセイルへと飛来してくる、凍て付くプレッシャー。


「お前は含まれてっ無いッ!」

「随分と輪郭のボヤけた世界ね」

「――っ!」


 リオンが手元に想像した氷の刃と、セイルが咄嗟に放った炎の矢じりが接触して白煙に変わる。両者は後方へ飛び退いて距離を取った。


「人はたとえ神にそう定められたとしても、肉を喰う事を辞めないわ、だってあの味を覚えてしまったんだもの」


 薄い唇に指先を添わせたリオンが、妖艶に舌を舐めずって両の魔眼を押し開いた――


「魔眼ドグラマ両の目第三の目――『虚無鬼眼』」

「な――ッ――――ぁ」


 二人の間に出現したは、光も魔力もその時間でさえをも呑み込みながら、大地に踏み留まったままの二人の時間を永劫へと連れ去る――


「貴方だって肉の味を覚えてしまったんでしょうセイル、今更肉を食べずにいる事なんて出来る?」

「……!」

「私達はみんな同じロチアートの肉を食べて育てられた。その肉が人であれロチアートであれ、私達はもう肉を喰わずになんかいられない。“禁断の実”を全ての生命は口に入れてしまったの」

「私達が目指すのは……ッ人間のいない世界、ロチアートと人との立場が逆転したなんだ!」


 互いに魔力を打ち消す性質を持つが故か、両者はその口元を滑らかにすべらせながら、自らを引きずり込んでいくブラックホールに耐え忍んでいた。


「人間が居なくなれば全て解決する! 私達がずっとそうされて来た様に、次はアイツラが家畜になれば!」


 セイルの額から大粒の汗が流れていくのを静かに見届けたリオンは、次に披露した冷徹な口振りでセイルを絶句させた――


「忘れたの? 終夜鴉紋はでしょう」

「――――!」

「それともこれも例外?」

「……っ例外だ、当たり前だ、だって鴉紋は――!」

「そんなあやふやな世界を叶えても、今度はロチアートを恨んだ悪逆――第2第3の終夜鴉紋も生み出すだけ……永遠に争い合って世代を変えていくだけよ」

「黙れ、ダマレダマレッ! それがどうした、私達はずっと惨い仕打ちを受け続けて来たんだ! 復讐しなきゃもうこのは収まりが効かないんだ!」

「そう言って……今度はロチアートが人に滅ぼされるのよ?」

「――っ!!」


 魔力を打ち消すセイルの翼の先端が黒点に触れた。すると二人は拘束より解き放たれ、その身に永く争い合っていたかの様な疲労を残して息を荒らげ合った。

 揺らめく火の粉が……

 降り注ぐ雪の粒が……

 

 再び苛烈に覇権を争い合う――!!


「私達はロチアートでありながら人を愛している。忌み嫌う筈の人間を、愛する筈の無い怨敵を……」

「お前もロチアートなんだろう! なのに……っなんでこの気持ちが分からないんだっ!」


 涙ぐんだセイルを見下ろし、リオンはソッと瞳を閉じていく。


「分かるわよ貴方の気持ち。だけど私は人もロチアートも嫌い……どっちも醜いから」

「分かるならっどうして人に味方するんだ!」

「ダルフがだからよ」

「……っ」

「私はダルフが好き。彼が望む世界を共に見てみたい……本当にそれだけなの」


 恥ずかしげも無くそう囁いたリオンへと、セイルは涙を拭って肩を怒らせた。

 ――その瞳に宿るは“紅蓮”


「私だって鴉紋が好きだ、お前なんかよりずっとずっと鴉紋を好きなんだ!」

「……そう」

「私も同じだお前と……鴉紋が望む世界を、鴉紋と一緒に……鴉紋の隣で見ていたいだけなんだっ!」


 蒼き氷を拡げていったリオンは、前を向いた一人の少女へと声を投じる。


「いけ好かないけど、すべてを叶えるその足掛かりは……人とロチアートのよ」

「共生……今更人間なんかと一緒に肩を並べて過ごせっていうの? そんな事出来る訳無いってお前も分かって――」

「そうね、だから彼は新しい世界を叶える」

「新しい世界……?」

も、も喰われる事の無い世界を……ダルフはきっと目指す」

「そんなの……ッそんな事!!」


 頭を振るったセイルは逆上の炎を吹き上げた。何故ならば彼女は知っていたから……

 鴉紋がその世界を望み、そして目指し……志半ばでその夢を捨て去った事を。

 ロチアート達の、そして自らでさえが抱え込んだ余りにも深いの海原を前に、その道は閉ざされたのだ。

 干上がる事の無い怨恨を前に鴉紋は振り返ると、海原を引き連れ、大地への侵食を始める事にした。

 全ての者が同じ地で息をする事など出来ないと、心より悟って……


「叶う訳無いッお前達は何も分かって無い、何も見て来てなんか無いんだ!」

「何も……?」

「人の恐ろしさを、醜さを汚さを卑劣さを! ロチアートに渦巻く怨嗟と憎悪の深淵を――お前達ハッ!!」


 噛み付かんばかりに前に乗り出し、赤髪を振り乱したセイルの口元より炎が漏れ出している。紛れも無いまでに激怒した面相を前に、リオンは淡々と眉根も動かさずにこう答えた。


「見て来たわ、感じて来たわ……貴方達と同じ位、いやそれ以上に……」


 リオンの背後より怒涛の氷瀑が拡散していく。おそらく彼女による全開の魔力の開放――蒼き牡丹雪がゆらゆらと室内に降り注ぎ始めた。


「魔眼ドグラマ――」

「ん…………っ!?」


 凍て付く蒼の魔力を体内より拡散していったリオンが、余りに冷酷なオーラを纏い上げていったのにセイルは気付き……


「――心の目第四の目絶対零度コキュートス』」


 両目を開いたリオンの額にした――“巨大な瞳”に竦み上がった。

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