第466話 氷獄と獄炎
*
「あぁあああ、フロンス……ポック……」
3階へと上がる階段の中腹で、悲鳴とも知れないセイルの泣き声が響き渡っている。
各所で巻き起こる闘争に揺れる修道院、ほのかなロウソクの明かりの下を、大粒の涙垂れ流した赤毛が歩んでいく。
「死なないで、死なないで……どうかみんな、絶対に生きて……」
迷う素振りもなく孤独な道のりを行くセイルはその時、自らと鴉紋の事以外が
「私いつから……」
胸を刺す痛み……鴉紋と自らの幸せにしか興味の無かった彼女の心に、確かに仲間を想う灯火が宿っている。
「シクス、クレイス……エドワード、ポック、フロンス……みんな……ぅっ」
きっとそれが、それこそが、鴉紋からセイルへと与えられた最大のプレゼント……歪であった彼女の内には今……唯一の灯火しか持っていなかった彼女の寂しい心は今や、両手いっぱいになった
「行かなきゃ……みんなの望んだ未来の為に……」
赤目灯らせ階段を上りきったセイルは、今巻き起こっている惨状も知らない美しき緑の庭園を横目に、一つの方角へと振り返る。
「みんなの世界を、みんなの未来を……」
眺めるは、冷気溢れる凍て付くオーラの元……セイルの逆巻く心火が、
「いくよ皆……こいつで最後だ」
焔纏うセイルの掌が、標的の待つ部屋の扉を開け放つ――
「遅かったわね」
「……」
その縦長の大部屋には、細かい彩色の施されたアーチ状のガラスが立ち並んで虹色の陽光を高い天井にまで反射させていた。長机とイスが立ち並び、正面には巨大な十字架がそびえている。
セイルの視線が部屋中に張り巡らされた氷結の先、十字架の下に形成された巨大な氷の鳥籠に座る、一人の
「リオン!」
「どうしたの、目を赤く腫らせて? さっきまで無様に泣き喚いていたみたい」
表情も変えぬ冷徹なる少女の瞳は、氷の玉座に座したまま未だ開かれてもいない。
まるで氷の女王とでも形容すべき威厳を解き放ち、リオンは眼下のセイルへと右の魔眼を押し開いた――
「へぇ……私の魔眼に囚われないのね」
周囲にひしめいた氷結、そして氷のオブジェクトより、リオンの放つ魔眼の赤き閃光が反射してセイルを見つめている――
しかしリオンの認めるは、セイルの背より瞬間的に花開いた灼熱の大翼。それは固きリオンの氷さえをも溶かし、魔眼による束縛をも掻き消していた。
「魔を打ち消す炎の翼……憎らしいわ」
セイルの手元に現れた炎の大弓。横向きに構え、全てを焼き尽くす漆黒の矢じりを引き絞っていきながら、景観を捻じ曲げる程の灼熱が燃え盛り……
「お喋りは嫌いなのかしら……」
「『
――放たれた!!
ひしめく氷に風穴を開ける炎の剛弓がリオンへと迫り、次の瞬間には氷結とぶつかり合う白き蒸気が爆散していた――
「っ……!」
だがそこで、脅威を着弾させた筈のセイルの表情が強張った。
程無くすると白煙より、その場に立ち尽くす黒きストレートの毛髪が露わとなって来る。
「魔眼ドグラマ
リオンの押し開いた左の魔眼が、あらゆる魔力をその場に打ち消し、漆黒の焔さえも消し去っている。
……だがしかし彼女の魔眼を持ってしても、魔力の干渉を拒絶するセイルの『
「セイル……悪いけど私負けられないの。涙を垂らして可哀想な女を演じても、私はお前を殺して、愛する男の胸へと帰る」
「可哀想だなんて思っても無いくせに。でも残念ね、全部全部殺し尽くして、私は鴉紋の創る理想の世界へと進む。お前を殺し、仲間達の想いを乗せて、鴉紋の腕に飛び込むの!」
共に
つまり向かい合ったこの女達は、互いの魔力を打ち消し合っているのである。
「『
「『
――――延々と!
空に展開された氷塊と豪炎の群れ――それらは一斉に打ち出されながら、互いの周囲を破壊していった。
……高く上がる白の蒸気の中で、二人の女は声を交える。
「貴方と私は
「なにを言っているの……? 私とお前が……ダルフと鴉紋が同じな訳がない」
巨大な氷塊と黒き炎の塊がぶつかり合い、蒸気を濃霧へと変えていく――
「貴方には分からないわよね」
「黙れ……お前が分かって私が分からない鴉紋の事なんかある筈無い」
足下に走らせた氷の道を滑り出しながら、リオンの握った氷の刃がセイルを猛烈に追い立てる。しかしセイルはその全てを、足下に転々と表した転移の魔法陣に溶けて避け続けた。
「ウフフ……あの二人はね、太陽の瞬きかの様な非常に
「はぁ……?」
「違ったのは
「意味が……ッ分からない!!」
セイルへと迫った氷の刃が、リオンに覆い被さった炎の翼に燃やし尽くされていた。
「――――っ」
驚愕としたリオンの頬に、灼熱の滾るセイルの平手が打ち込まれた――
「ぅ――ッ!!」
「同じな訳がないじゃないッ!!」
幾重もの氷塊を打ち壊し、リオンは壁に打ち付けられて倒れ込む。
忌々しそうに眉根を寄せたセイルは、未だ侵食しようと展開してくる氷を翼の灼熱に押し返し、めらめらと燃え滾る焔の大翼を空へと開かせた――
「お前の妄言も全て、焼き尽くしてやる……!」
氷に埋もれた宿敵へと、セイルは掌に溜め込んだ黒き炎を差し向ける。
「同じな訳があるか、ダルフは偽物で、鴉紋が本物なんだッ!!」
膨張を続け、不可避の巨大となった漆黒の炎がリオンへと迫り行く。
敵の
「同じよ……同じ心を愛した、
ガラガラと音を立てて流れ始めた降り積もった山の氷塊より、そんな声が聞こえて来た……
そして――――ッ
「ぁ……っ――?」
「王の咆哮に呼び醒まされたのは……貴方だけじゃない」
「お前……ナンデ……ッ?!」
頬に赤き手形を付けた少女が、
「『
――背に固くささくれ立った
「私はね……ロチアートなの」
「――――っ!」
ロチアートである彼女もまた、王の咆哮にその遺伝子を覚醒させていたのだ……
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