第465話 教育者の死に場所


   *


「もういいっ、戻ってなんか行かないから下ろしてよフロンス!」

「そうですか、彼もまた私達の野望の為に奮起しているのです、あそこは任せましょう」


 背後の回廊の豪快なる瓦解音を聞きながら、セイルはフロンスの腕より解放された。


「なんだか私、よく貴方の腕に抱きかかえられている様な気がするわ」

「あ、覚えてます? マニエルさんから貴方をかばった時なんて、アバラの骨を何本も折ったんですからね?」

「覚えてるわよ……でもそれってずっと前、私達の旅が始まった頃の話しよね」

「ええ」


 二人が回廊を抜けた先にあったのは、先程までミハイル達が会していた迎賓げいひんの間。石造りの暖炉が据えられた広大なる空間に、点々と縦長のガラスが並んで空からの陽光を射し込ませている。


「その長き旅路も、ここで終わるのですね」


 アーチ状になった高い天井を仰ぎながら、フロンスは口元を緩ませていった。


「鴉紋さんに連れられて、世界に反旗をひるがえして……あの頃はとんだ夢物語かと思われた野望が、もう目前にある」

「すごいよね本当に……私も鴉紋の言ってたロチアートの食べられない世界なんて、とても信じられなかった」

「ええ、訳も分からず鴉紋さんの背中を追い掛けて、様々な不条理に真っ向から抗っている内に……本当に世界の常識が覆りかけていた」

「鴉紋が来てくれなかったら、私達は今もきっとあの頃のままだった」

「凝り固まった常識に忙殺される家畜のまま、考える事だってしていませんでした」


 窓からの陽射しに赤黒い陽光が混ざり始めると、二人は頷き合って互いの赤目を突き合わせた。


「……絶対に叶えようねフロンス」

「ええ、貴方はきっとその達成を見届けて下さい、セイルさん」

「フロンス……?」

「あぁ本当に、終わらない夢を見ている様で楽しかったなぁ……本当に、全てが、毎日が」


 ギルリートによって残された僅かな魔力の残滓ざんし、それによって擬似的に心臓を拍動させているに過ぎないフロンスが意味深な発言をしたのをセイルは聞き漏らさ無かった。


「ねぇそれって――」


 奥に見える3階へと続く階段、そこへと二人が歩み始めたその時――


「セイルさん!」

「……っうん――ッ!」


「『爆鎖鉄球チェインボム』――ッ!!」


 野太い男の声と共に、爆撃を繰り返す棘付き鉄球が壁を打ち壊し、セイル達の居る地点へと落下していた――!


「ぅ……っフロンス、大丈夫!?」

「ええ、問題ありません……が」


 長きチェーンに繋がった棘付き鉄球が引き戻されて、床に爆撃の痕跡を残していく。


「あんらヤダァ〜小娘2号とただのオッサンじゃない」


 彼が得物のモーニングスターを振り回し、爆風に紛れ込んだ男が隣接する隣の部屋より歩み出して来た。


「あいつは確かっ」

「オッサ……ッ?!!」


 やがて姿を露わにした、黄色い頭を暴発させた星型サングラスの奇人は、筋肉で押し固められたその巨躯をくねらせて二人を見下ろしていく。


「別に私個人は、貴方達ロチアートと同じ人間として共生していく事に反対はしないわ……でもね」


 頭上に振り乱される銀の煌めきは、鉄球に繋がったチェーンが激しく回転するが為である。繰り返される爆発が、更にとその回転を早めて炎を散らす――


「私達にだって、守りたい人が、世界があるの」


 目にも留まらぬ速度に達した鉄球を眼前に見据え、ピーター・ウィルフィットは拳に爆砕魔法の一撃を込める。


「『爆拳爆鎖チェインバーストボム――ナックル』ゥッ!!」


 ――次の瞬間にピーターの拳で巻き起こった爆発が、棘付き鉄球を打ち出して爆風を連鎖させる。


「うわわわッ!」

「範囲が広い上に、軌道も自在ですか!」


 室内を豪快に破壊する爆発は、チェーンによって軌道を変えながらフロンスの頭上を過ぎ去っていった。

 二人の赤目がキッとピーターを見返すと、彼は星型のサングラスを押し上げて獣の様な眼光をフロンスに向けていった。


「そっちのオッサン、ピーターポイント0.5点よ」

「だ、誰がオッサンだッ! オッサンにオッサンなどと言われたく――!」

「フロンス、後ろ!」


 引き寄せられた鉄球が爆発に速度を取り戻しながら、フロンスの体を打ち上げてピーターの手元へと戻っていった。


「ぬハ――っ!!?」


 棘付きの鉄球をその手に受け止めながら、ピーターはサングラスを投げ捨てる。


「私はレディよ、オッサン」

「ぬ、ぬぅぅ……クソっ」

「大丈夫フロンス!?」


 ピーターからの投げキッスに頭を振るったフロンスは、傷付いた体で四つん這いになりながら腹から血を流す。


「女子へのジェントルマンシップを忘れたミドルなんて憐れなだけよ」


 受けた傷を再生出来ないでいるフロンスにセイルが走り寄ろうとしたその時、フロンスがその手で彼女を制止している事に気付く。


「フロンス……っ?」

「行ってくださいセイルさん、奥に見えるその階段から……早く!」

「で、でも傷がっ!」

「早く――!」


 問答する二人を眺めて嘆息したピーターが、鉄球の繋がれた鉄柄を勢い良く振り出した――


「なんだか少し、心が痛いけれど――ッ!!」


 セイルへと迫る鉄球が、連鎖する爆発に激しく打ち出されながら彼女の鼻先に触れようとしたその刹那――


「――ハヤクッッ!!!」

「……ぅ、……フロンス……?」


狂魂きょうこん』によって肉体のリミッターを外したフロンスの剛拳が、爆風毎に鉄球を殴り飛ばしていた。


「あら勇ましい」


 即座に鎖を引き寄せモーニングスターを振り乱し始めたピーターが、再びに狙いをセイルへと定めるが――


「なるほど、前衛的じゃない……」


 彼女へと到る鉄球の射線を、変形し始めたフロンスの体が遮っていた。


「お腹が空きました……お腹がっ!」


 そこに佇むは――紫色の妖気放散し、口元の裂けていく狂気にまみれた“食肉の悪魔”


「駄目だよフロンス、もう貴方に『超再生』の力は無いのよ? そんな事をしたら、暴走する体の反動で……っ」

「いいんですセイルさん」


 化物の様相となっていくフロンスが、相反するかの様に理知的なままでいる瞳でセイルへと首を振り返らせる。


「私の死に場所は、きっとここなんです。そんな気がするのです」

「死に……場所? フロンス、何言って――」

「さぁ行って! 貴方と鴉紋さんの世界を叶えるのです!」

「フロンス――ッ!!」


 迫る鉄球を蹴り飛ばし、床が弾ける程に踏み込んだ脚でフロンスはピーターへと掴み掛かっていった――


「こんなオッサンと心中なんてごめんよ、一人で死になさい!」

「どうせ散りゆくこの命! せめて夢の為、貴方を道連れにさせて貰いますッ!」

「いや、やめてよフロンス!!」


 激しい攻防に入り乱れる血液が爆発に焼かれ、脂っぽい臭いがセイルの鼻腔を突く。


「あんた意外と……っワイルド系なのね、嫌いじゃないわ!」

「――っ……セイルさん、行って……行ってクダサイッ!!」

「うぅ……ぅぅ、ぅぅうっ」


 もつれ合う男達へと瓦礫が降り注ぐ。しかし彼等は未だに雌雄を決し合いながら体を入れ替え合っている……

 そんな二人をどうする事も出来ず、涙を流したセイルはぐしゃぐしゃの顔で背後へと振り返った。


「うわぁぁあ、うわぁぁぁああーんッ」


 そして彼女は、その先に見える階段へと走って行く――


「見届けるのです、貴方と鴉紋さんが幸せになれる世界を!」


 ピーターに馬乗りになった怪物は、赤目を燃え上がらせながらそう叫んでいた。

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