第460話 天上の羅針盤


 煌めきを帯びたダルフの金色の瞳に深い影が落ちて、ミハイルの黄色の虹彩を見上げる形となった。


「な…………っ!」


 息を呑んだ面々に、天使は淡々と語り始める……


「全てが死に絶えた訳では無い。けれど先の激戦で完全に戦意を喪失した者がほとんど……まぁ無理もない。ゴエティアに記された彼等が末裔まつえい……覚醒したの本意気を目前にして、人類では到底抗え得ない事を悟ったのだろう」

「ゴエティア……悪魔……?」


 溜め息をついたリオンの隣で、ピーターは目を見張ってダルフと共にミハイルの声を待っている。


「言ったろ? 赤目ロチアートとは元々、グザファンを筆頭にして私が捕えた魔族の子孫だ。中には堕天使なんてのもいるが、天界の者、冥界の者、それらを総じて“魔族”と呼称する」

「魔族……」

「永き年月をかけて薄らいでいたモノが、ルシルの呼び掛けによってその遺伝子を覚醒めさせた」

「はい、質問、質問よミハイル様」

「いいよピーター」


 暴発した黄色い毛髪を揺らす巨漢へとミハイルの視線が注がれると、彼は緊張で頬を赤らめながら腰をくねらせた。


「じゃあってのは一体何なの? どうして人間しか襲わず終夜鴉紋に付き従うのかしら」

「あれは大地に眠る古の生命の。彼等は復讐の機会を与えてくれたルシルに忠誠を誓っている」

「怨嗟、復讐? それに古の生命……って事は、あんな妙ちくりんな形の生物が昔にも生きていたって事?」

「そうさ、に繋がり得る情報は統制されてはいるが、彼等は父さんによってさせられた過去の遺物……ルシルが次元の狭間に堕ちる刹那せつな、人を根絶やしにせんと大地に残した反逆の息吹であり、生命の呪い、その未練がましい成れの姿さ」

「ちょちょっと……前の世界って言った? 一体私達の知らない所で何が起きてる訳よ」

「それは先刻リオンに言った通りだ、私達が考えた所で仕方が無い」

「全く、アンタ達ねぇ……」


 腕を組んで不愉快そうにしたリオンが割って入ると、もっともらしい叱咤しったで彼等は現実へと立ち返った。


「オカルトチックな謎解きは結構だけれど、このまま談笑しながら破滅を待つつもりかしら?」

「そ、そうだピーター、俺達にはもう時間が残されていない!」

「でもでもダルフくん、私達たったの四人しか居ないのよ? 1500もの兵力差を一体どうやって覆すって言うのよ」

「その点は問題ない」


 黄色に発光する瞳を瞬いた天使に一同は注目した。彼……ないし彼女より発せられる何を言っても納得させられてしまう様な不思議な包容力に包まれながら、ダルフ達は中性的な声に耳を撫でられる。


「人間は何度だって団結する。今は散り散りになり恐れおののいた心も、必ず集結して再び困難へと立ち向かうだろう」

「ですがミハイル様、もう鴉紋達はすぐそこにまで迫っている、彼等の団結を待っている時間なんて……っ」

「それまでは君達が保たせるんだ」


 顔を見合わせたダルフ達……ミハイルはたったの三人で1500のナイトメアの軍勢を足止めする様に言っているのだ。


「いい加減にしなさいよミハイル! 何なのよその無茶苦茶な難題は、そうやってまた私達を駒にするのね!」

「い、いくらミハイル様の言い付けでもぉ……ねぇ、その何ていうか、無茶って言うか……第一、終夜鴉紋が止められない……」

「ルシルは私が惹き付ける」


 ミハイルが懐より取り出した錆びた小さなはかり。そこより唐突に溢れ出した光の柱が暗い天井を一挙に照らし出す。


「何よ突然っ……ミハイル!」

「ここからは見えないが、今上空には天界へと続く私の天輪が開いた」


 ダルフは窓より入り込む燦然さんぜんたる光に照らし出されながら、ミハイルの手にした小さな秤に、人智の及び得ぬ驚異のパワーが内包されている事に気付く。

 やはりあれも“神遺物”であるらしく、ダルフの手にする波打つ大剣――フランベルジュと同類……否それ以上にもなる神聖のエネルギーが感じられるのだ。

 悶えたピーターは視界を遮りながら眉を八の字にしていく。


「ま、眩しいわミハイル様、何をしているの!?」

「その天輪に開いた巨大なる、言わば『天上の羅針盤』とでも名付けようか……そいつの針が一周した時に私は、この秤によって決定された敵のに応じた光明を得る」

「光明……?」


 ごうごうと鳴り始めた神聖の嵐に竦みながら、ダルフは微笑し始めた天使の美しさに目を奪われた。


「そう、生命に刻まれた罪を断罪するだけの“天聖”をね……フフフ、その恐ろしさはルシルが身を持って知っている。天界とのコンタクトにはややばかりの時間を要するが、奴は私を止めようとこの場に飛び込んで来るだろう」


 空で膨大になっていく強大に過ぎる天聖。その下でややばかりの勇気を取り戻したダルフは、空を仰ぐ大天使に呼び掛ける。


「その羅針盤が完成するまでの時間を稼げという事なのですか?」

「そういう事だね。本来ここに居るべきでない“天魔”、ルシルは私が相手取る。ただし君達人類の責任でもあるロチアートの件は、あくまで君達“人間”に任せたい」

「俺達の……責任」

「ちょっとダルフ、なに呆けてるのよ騙されないで」

「リオン」


 気楽な思考の男達に呆れ返った彼女は、未だ機嫌を損ねたまま頬を膨らませている。


「終夜鴉紋はミハイルが誘き寄せるにしても、私達がたった3人で1500の兵を相手取る事には変わりが無いわ、逃げ出した騎士達がまた団結するとか言ってたけど……それもどうだが、何処にもそんな確証なんて無いのよ?」

「だがリオン、どう喚いた所で戦況は変わらないし、ここから逃げ出す訳にもいかない」

「プリプリ怒ってんじゃないわよ小娘、たまには乙女らしくオカルトに傾倒してみなさいよ」

「黙れ奇人! それとお人好し!」

「うっ」

「いやんっ……でもだって今は、ミハイル様のいう未来にすがるしか道は無いじゃない」

「……」


 緊張感を含み始めたピーターの声音に気付いたリオンが黙した時、あっけらかんとミハイルが口を開いた。


「必ず人は団結するよ。どれ程恐ろしい危機に遭遇したとしても、彼等は立ち上がるから」


 天使より放たれるこの説得力は何なのだろう。それは長く、ずっと側で人類を見守り続けて来たが故の何か……


「それが私の見てきた、私の愛した“人間”だ」


 慈愛に満ちた微笑みで、ミハイルは案ずる事はないと告げている。

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