第451話 割れる淑女の仮面


   *


 せめぎ合う薄紅色の波動と漆黒の悪風。

 互いの情動に天地も無い程に周囲の景観は巻き上がり、広大な岩場が崩壊を始める。


「鴉紋!」

「下がってろセイル、心配すんな」


 そこに留まる事すらも出来ぬ赤目の群れは、大将を残して後退を余儀無くされていった。

 この世のものとは思えぬ風景に残るは、“神の御子”より振り撒かれる荘厳なる桜吹雪と、暴虐を窺わせる凄惨なる黒風の嵐――

 そこには十二の黒翼を拡散する“獄魔”と、桜の大翼を躍動させ、魔に到ろうとする“人間”が佇んでいた。


「この世はすべてだと――」


 神にて付与された紛れも無いまでの神聖を前にしながらも、鴉紋は不遜ふそんに過ぎる態度で斜に構えて漆黒の剛腕を空へと開く――


「そうほざいたなジャンヌ・ダルク……!」


 曇天押し退け開かれし天上。そこに大口を開けた天輪より、赤黒い陽光が射してジャンヌを染める。


「あぁ……いいですね。神にて産み出された“天魔”のみが有する天輪」


 不気味な陽気に照らされたままつやっぽく天空を仰いでいった少女が突如――桜の翼を逆立て頭痛に呻き始める。


「ィヒ、イヒ、ヒ……このッ……天輪が開いた時……ソノ時ッ! ワタシは“聖域”へと到る……貴方方と同じッ……主に産み落とされた天魔へと……ッ」


 ジャンヌの頭上で燃え上がっていた桃色の妖気が、その形状を歪に変化させていきながら徐々にと輪を形成し始めている事が分かる。


「急いだ方が……良いのでは終夜鴉紋……? 私が“魔”へと相成った時、貴方と同じステージに立ったその時……紛れも無い無二の“神聖”を宿した私に抗う事は叶わないでしょうから……っ」

「…………」


 刻一刻と人の領域より昇華していく少女を前に、鴉紋は不服そうに腕を組んだまま眉間にシワを寄せ続けていた。

 ……やがて、真一文字に結ばれていたその口元が動き出す。


「気に入らねぇ」

「…………は……?」

「人間如きが“魔”へと到ろうとしている……その事じゃねぇ」

「何が言いたいので……?」

「テメェのが気に入らねぇっつってんだ」


 無惨に折れた首を完全に治癒させ、光の御旗と共に薄紅の舞う大翼で空へと上昇していったジャンヌは、冷笑するかの様相で小首を傾げていく。


「私の生き様……? と言った事ですか? 神に贔屓ひいきされた私がねたましいのでしょうか」


 頭痛は既に過ぎ去ったのか、澄ました顔付きで桃色の天輪を肥大化させていく少女を鴉紋は睨み上げる。


だと……? 花畑咲かせてんじゃねぇよ。俺はテメェをこれ以上無くあざけ笑ってこそいれど、こんなに惨めな奴を羨む気持ちなんざ一ミリもねぇ」

 

 吐き捨てられた鴉紋の言葉に、ジャンヌのこめかみがピクリと反応を示す。

 少女は先程からどうにも鴉紋の吐く一言一句……神の怨敵であるルシフェルをその身に宿した彼の戯言ざれごとしゃくに触って仕方が無いようだ。


みじめ……この一身に神からの恩寵おんちょうを受け、克明に聴こえる啓示のままに創造主の望む世界を形成してきた……この私が?」


 羽ばたくその翼より“神聖の鱗粉りんぷん”とでも形容すべき桜吹雪を巻き起こしながら、ジャンヌは眼下の鴉紋へと向けて不愉快そうに目を細めていった。


「思うがままに世界の方から迎合して来るこの生の……何が惨めだと言うのですかッ!!」


 声音逆立てたジャンヌの桜吹雪が鴉紋へと降り掛かる。天上見上げる迄も無く、光の花弁は嵐に乗って空一杯に満ちながら、何処にも逃げ場など残さない。


「く……っ!」

「痛むでしょう、恐ろしいでしょう終夜鴉紋! 私の振り撒く光の粉塵ふんじんには全て“神聖”が宿っている! 一介の生命ならば触れるだけで命朽ち果てる程の強烈なる威光が!」


 抵抗するでも無く、腕を組んだまま瞳を鋭くする鴉紋の全身に桜は絶えず降り落ちていく。黒き体に細かき薄紅が触れると、波状の傷跡を残してその苦痛を芯まで届けていく。


「いっひひひ! 一度ひとたび触れるだけで形ある者灰燼かいじんへと変える威光の中でよく耐える……来ると分かっていれば耐えられる、そう言っていましたよね終夜鴉紋?」

「――……っ!」

「降り注ぐ天聖の中で、冥府へと追放された貴方はいつ迄耐え忍ぶ事が出来ます?」


 頭上に舞い上がったまま嬉しそうに語るジャンヌに、ジロリと敵意剥き出した鋭き眼光が向かう――


「ぅ……いひ、いひひ……大した気迫ですね。神聖は紛れも無いまでに貴方の体を燃え上がらせている筈……意地もそこまでいくと驚愕です」

「運に身を任せ……神の導くままに生きて来たと言ったな」

「ん……?」

 

 憤激の面相と共に、天上を突き上げる邪悪の翼を空へとたぎらせた鴉紋。凄まじい暴力の波動に体を強張らせた少女へと、空を覆った暗黒のエネルギーが振り下ろされていった――

 天空埋め尽くした漆黒が岩盤を打ち破り、地に叩き付けられていくジャンヌ。


「いひ、ヒヒ……不可避の一撃であればどうにかなると? 無駄ですよ、今の私を殺したくばこの心臓を一握りで押し潰すでもしなければ」


 闇より這い出して来た桃色の光は、比較的柔らかい地盤に体を守られたのか、大地揺るがすその一撃にも体の原型を留めていた。


「やがてそれさえもが無駄になる……この天輪が完成された時、私の身は不滅の“天魔”と化して神の守護を受ける……つまりそれは主に最も近い存在。貴方さえも超える高位生命体として私は生まれ変わるのです」


 ――そして傷付いたジャンヌの全身は再生し、そこには不敵な少女の微笑だけが残った。ますますと巨大化しながら輪を描いていく桃色の天輪の下で、ジャンヌは桜の大翼を広げて光の御旗を掲げていった。


「それら全てが神の意志……主によって采配された予定調和……そうこれこそが、神に選ばれ、神によって宿命づけられた私のなのです!」


 頭上を覆った暗黒を御旗で切り払い、神々しいまでの後光がジャンヌへと射す。


「何かまだ言いたい事が……?」


 鴉紋は涼しい顔付きとなった少女が、余裕気に白い八重歯を覗かせていくのを見ていた。


「はっ……ハッハハハ!」

「何を笑うのです……!」


 ――そこに不敵に響いたあざけりの声……どれ程強大に過ぎる存在を振りかざそうと、傲慢ごうまんは揺るぎない……



「クソつまんねぇ人生じゃねぇか、テメェは何もしてねぇんだろ?」



「…………………………あ……?」



 少女にとって、頬を打ち付けられるかの様であった痛烈な言葉……

 涼し気であったジャンヌの顔一杯に、憤怒の青筋が盛り上がった。


「……んだ……ボゲェ……っ……!!」


 昇華していく自らの生命にでも触発されたのか、今日まで清廉淑女せいれんしゅくじょと振舞ってきた少女の仮面がひび割れる……

 微かに漏らされた余りにも低く野太い罵詈ばりにも気付かず、鴉紋は桜吹雪に巻かれて首の骨を鳴らした。

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