第447話 逆境を望む男


 黒馬に騎乗した高貴なるブラックプリンスに向かい合うは、足元に血溜まりを垂れた泥臭い“豚”。

 しかして不可思議なのは、対象的なまでに深刻なダメージを負ったゲクランの方が、冷徹なる黒騎士に気迫で勝っている事である……。


「重なり合う黄泉からの奇襲、通りで防げぬ筈だ」

「……っ」

「『黒沼の衝動』――!」


 闇よりいでた後方より、暗黒を切り裂くさらなる煌めきが宙を疾走る――


「くぅあ……ぁあがっ!!」

「やはり防げぬでは無いか……」


 くるりと反転したハルバードのかぎ部で確かに斬撃を絡め取ったゲクランであったが、やはり二重となって存在するという冥府からの斬撃を阻めずに腹に傷を負った。


「違うな、もっとこう……」

「豚が学んでいるとでもいうのか、その小さき脳で?」


 噴き出した血液をものともしない豪傑は、あぁでもないと呟いたままハルバードを着いてエドワードへと振り返って来る。


「フフ、滑稽こっけい極まる……!」

「クゥおぉおああが……っ!!」


 周囲にひしめいた闇の水面より繰り返される連撃。ゲクランは目にも留まらぬ大鎌の猛攻の全てを受け、彼の中での試行錯誤を繰り返しながら


 今――――


「な…………っ」

「捉えたぞ、黒太子」


 血みどろの姿へと変貌したゲクランのハルバードが、エドワードによる冥府の鎌を完全に防いだ――

 動揺に思わず閉じていたまなこを開いたエドワードは後退する。


「凡才の貴様になぜこの様な芸当が……っ」


 血液を貯めたバケツを頭からひっくり返した様な満身創痍まんしんそういでいながら、確かな気迫で手元のハルバードを白日に輝かせる男に、エドワードは生まれて始めてのおそれを覚えていた。


「『火輪かりん熱裂ねつざき』ッ!!」

「…………っボァ……!」


 闇を貫いた煌めきの軌道が、ハルバードを受けた大鎌を越えて刺突を腹に喰らわせていた。


「こうであろう……?」

「冥界からの斬撃……っ!」


 霊界からの斬撃を受け、貫かれた腹より発火したエドワード。彼は暴れ狂う黒馬を落ち着かせながら、闇の雫を被って炎を鎮火していった。


「フッハハッハ……!」

「く……っ」


 割れた兜より覗く黒騎士の赤き左目が、深い苦悶を刻み付けながら驚愕としていったのにゲクランは気付く。


「付け焼き刃にしては良く磨き上げたものであろうがフハッハ!」

「戦いの中で成長しているのか……? 今ここで、この瞬間も」


 構えを変えたゲクランがその背に猪の幻影を現して、いざ攻撃に転じて来ようという気迫をエドワードはいち早く察知する――


「さぁこれで五分だぞエドワードッ!!」

「今にも意識を飛ばしそうな貴様が、気力で持ち堪えている事は分かっている!」


 真っ赤に濡れた白日が、腰を深く折りながら前へと猛進を始める。振り撒かれる光明は闇を打ち払い、そこにぽつねんと浮かぶ一人の豪傑を映す。


「『黒沼の鎌』……!!」

「――セぇええええいァァァ――ッ!!」


 まさしく猪突猛進を始めたゲクランへと、闇に沈んだエドワードは黒馬に乗ったまま大鎌を切り上げた。しかして見もしない左後方よりの奇襲が、反転したハルバードに弾き返される――


「この……豚!!」


 声を荒らげたエドワードが見るは、紙一重でいなした大鎌の切り上げに頬の薄皮を切られながら、獣の眼光をジロリとこちらに寄越した獣の殺意。


「ソコォ――!!」

「く……『深泥みどろ』っ」


 失速した黒馬と共に闇のゲートへと消えて行こうとしたエドワード。しかし彼の領域である筈の暗黒の世界に、白日を放つ銀が強烈に刺し込まれていた――


「おのれゲクランっ小癪こしゃくな!」

「どうしたエドワード! 騎士が豚に追い立てられているぞ!!」


 闇を切り裂かれ、暗黒に姿を消そうとしていた黒馬が白日に晒されていた。必死に逃げ出そうとするエドワードは手綱を強く握るが、何度闇のゲートに逃げ込もうと、背後より迫る豚が眩いハルバードでそれを切り払ってしまう。


「まさしく獣の如きスタミナだが、そんなに喰らいつきたいか!」

「ああッ!! 恋しくて堪らねぇよ!」


 血を噴き上げた戦車の様な男の猛進を止められぬと踏んだエドワードは、ここで驚きの一手を投じる。


「ェあ……??」

「こちらの方から来てやったぞ、醜い畜生が」

「アァアーーッ!!」


 疾走する黒馬より飛び上がっていたエドワードが、闇の雫を飛散する頭上からの一撃でゲクランを止める。


「飛んで火に入る夏の虫ィッ!!」

「……っ」


 嬉しそうに笑んだゲクランが、ハルバードと大鎌を鍔迫合わせたまま、鉄球の様に硬く巨大な膝でエドワードの腹を蹴り上げていた。


「ゲぁ……カ……!!」


 痛みに悶えて目を剥いたエドワードへと、ハルバードの切っ先が差し向いた。


「さらばエドワードッ!!」


 トドメの一撃が黒太子の頭をかち割ろうとしたその時、エドワードは笑った。


「フ、フフ……貴様がな豚畜生……!」

「ぅな……!?」


 血反吐を吐いたエドワードより視線を外し、ゲクランは背後に迫ったプレッシャーに気付いて振り返る。


「馬を捨てるかエドワードっ!」


 そこに目撃するは、闇より姿を現す最高速度に達した黒馬単身での突撃――強烈なる魔物の脚力が地を弾き飛ばして闇を駆け抜ける。


「弾け飛べゲクラン、同じくけだもの獰猛どうもうな牙で!」


 もはや避け難い地点にまで迫る黒馬の猛進に、足を止めたゲクランは歯を食い縛った。


「受け止めるつもりか……フッフフフ、幾ら貴様が屈強といえど、獣の脚力を前に骨も肉もなく砕け散るのは貴様だぞ」


 だがそこで、エドワードはゲクランの肉体が極限までみなぎっていくのを目撃する――


「やってみなけりゃぁ……分からんだろうがぁあ――!!」


 光明強く拡散する白き波動――そして次の瞬間に、ゲクランより猪の幻影が姿を現した咆哮した――


「唸れ――『白菊しらぎくもう』ッッ!!」

「フッフフフ、フッフフフフハ! なんと愉快で馬鹿な男だっ!」


 ハルバードを投げ捨てた男を見上げ、エドワードは溌剌はつらつと笑い始めた。

 そして次の瞬間に……“豚”は黒馬へとその体を――!!


「フフッフフフ……!」


 肉と肉がぶつかり合った強烈なる衝撃音を聞きと届けると、エドワードは馬のいななきを聞いて不敵な顔を上げていった。


「…………っ!!?」


 ――ドサリと倒れ込んだ黒馬の体。そして見上げるは、よろめきながら拾い上げたハルバードを肩に担ぎ上げていくけだものの男……


「夢を見ているのか、私は……?」


 ひしゃげた鼻を無理矢理に元に戻したゲクランが、痙攣けいれんしたまぶたを見せながら鼻血を吹き出して息を通す。


「死合おうか、エドワード」

「…………っ」


 何本の骨がイカれてしまっているのだろう。各所より血を噴き出し、目を覆いたくなる様な手傷を負った豪傑は、もはや瀕死などとうに超えた亡者に見えた。


「ようやっとタイマンだ」


 しかしてそこに煌めく豪気な吐息はといえば、まさしく生者のソレだった。

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