第445話 顕現、桜の翼


 吹き荒れる嵐が止み始め、砕き割れた岩場を鴉紋が戻る。


「すごい、すごいよ鴉紋……!」

「鴉紋様がやったぞ! 神を打ち破られた!」

「何という御人だ、俺は一生あの人についていくぞ!」


 多少傷を負った様子の鴉紋であったが、口内より垂れた血を腕で拭いながら緩く微笑んでいった。


「あァ鴉紋、カッコイイよ、カッコイイよぉ……っ」


 まさしく天変地異の起きた後の荒野で、セイルが恍惚とした表情で身悶えしたその時――


「……」


 瞬時に表情に緊張感を走らせた鴉紋が、仲間達の元へと歩む足を止めていた。


「い……ひ、……いひっひっひ……!」

「お前……」

 

 潰された首を不自然な方向に曲げたまま、ジャンヌ・ダルクは光の御旗を杖にして立ち上がっていた。


「なんで生きてるのあの女! だって鴉紋に首を折られて……!」


 細めた瞳で鴉紋はジャンヌへと振り返る。そこに佇むは、瞳を充血させながら折れた首より血を噴き上げる、死を目前にした一人の人間……


「そんな姿で立ち上がってどうするつもりだ……もうお前は死ぬだけだ」

「い……ひ! ……ッいひ、……ヒ!」


 想像を絶するような痛みに悶え、途切れそうになる意識に抗いながらも、ジャンヌ・ダルクは不気味に口元を笑わせ続けた。


「殺し……損ねましたね終夜鴉紋……ッ!」

「あ……?」

「今の一撃デッ! 殺し切る……つもりだったのに……アナタはッ、足元のぬかるみを踏んで、僅かにワタシの頸椎を壊し損ねタ……!」

「それで? ……即死を免れた所で人間のお前の負った致命傷は――」


 ――――その時……

 話す度に血反吐を吐き、苦しみながら言葉をつむぐジャンヌの額で、くすぶりかけていた桃色のオーラが拡散した。


「お前まさか……!」

「いひ、イヒヒ……がみは……やはり居たッ、ワタジをずっと見守って……ワタジを愛じてッ!!」


 鼻筋に強烈なシワを寄せた鴉紋はここまで見せていた余裕を消し去りながら、いま目前で“”しようとしている一人の人間の姿を見据えていった。


「このタイミングでだと……クソ女が!」


 ジャンヌの放つ桃色のオーラは肥大を続け、遂には少女の全身へと纏い上げながら崩れた血肉を修復し――そこに顕現けんげんさせた――


「っこんな事がありやがるのか……! 一介の人間如きが……そんな事が現実にッ」


 消えゆく筈の生命が、何を間違ったかそのさせながら、さらなる脅威を周囲に満たし始めたのにセイルも気付く。


「え、なに?! 一体何が起こってるの!」


 セイルの疑問に答える者などおらず、ジャンヌ・ダルクと鴉紋との間には、もはや他の生命体等は蚊帳の外であった……


「ミハイル……テメェの瞳にはこの結末も映っていたのか……?」


 いま鴉紋の目前で、ミハイルそして鴉紋と並ぶ生命の次元――“”へと昇格しようとする一つの生命が、桃色のオーラを爆散させながら体を禍々しく変化させていく――



 “人類”が“魔”へと昇華する――この世の生誕以来まず見ぬ“奇跡”を前に、鴉紋は覚悟を決めて腕を組んでいった。


「いひひ!! いぃヒヒヒッ!! 私達は一つの人生しか生きられない、信じたようにしかそれを生きられない! なればこそ、私は“神の使徒”として、主の御心のままにこの生を!」


 桃色の波動収縮し、ジャンヌ・ダルクの身に全てが吸収されていった……

 顎を上げた姿で敵の挑戦を待つ鴉紋に対し、先程まで苛烈かれつな口調を披露していた少女は、まるで急激にクールダウンを済ませたかの様な……


 言うなれば既に様な……


 そんな静かな声音でジャンヌ・ダルクは、開かれた桃色の瞳を滾らせていった――


「この世はなのです。全ては神にどれだけ愛されているか……」


 ――そして見開いた眼光が、鴉紋を恐ろしく見定めた!


「良き家柄に産まれるか。強き体に恵まれるか。優れた知能を持ち得るか。男か女か。優れた才覚を持っているか。そこに鍛錬の才を併せ持つか。良き師に出会えるか。良き友に出会えるか。良き環境に恵まれるか。能力と時代が適合するか。能力が的確に活かされる時と場所に居合わせるか」

「……」

「世界はすべて……


 千切れた首を繋ぎながら饒舌じょうぜつに語られたジャンヌの言葉に見え隠れするは、

『だから貴方は、神に誰よりも選ばれた私に勝つ事は叶わない』

 ……であったが、鴉紋はその真意を確かに受け止めて尚、こう短く答えていった。


「やっぱりくだらねぇ……」

「そうですか、ですが別に理解して欲しいとも思いません。正しき言葉に感銘を受けられるかもまた神の采配。私達の観測で云う所の――なのですから」


 聖域へと至り掛けている一人の少女。窮屈きゅうくつな人の身を脱ぎ掛けた人類。未だ不完全ではあるが、その力は確かに鴉紋へと手を伸ばしていた。


「主の声が聴えます……」


 その背に神という絶大なる“奇跡”を乗せて。


「オマエを殺せと……」

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