第433話 猿の悲鳴


 が互いの侵食を目論む緊迫した空気にて、奇しくも両者は同時に笑い出した。


「フハッハハハハ」

「くく……クっククク」


 ひとしきり笑い終えた二人は、周囲を取り巻く恐恐とした赤目の視線を集めるままに口を開いた。


「あの頃と何も変わらんっ!」

「いいぞ豚……やはり貴様だ、お前しかいない……私をもっと愉しませろ、もっともっと、あの日のように、の様に……!」


 肩を抱き寄せながら身震いするエドワードへと、ゲクランは醜い顔を歪ませながら言葉を返していった。


「いいだろう、しかし今の貴様では……勢い余って喰らってしまうかもしれんが構わんか?」


 ゲクランはゆるりと顎を下げた黒馬の上で、兜の隙間から覗く双眸そうぼうの冷ややかに気付く――


「その言葉……そのまま貴様に突き返そう」

「……! フッハッ、今更腹の探り合いは必要無いようだ。なれば――」


 ――すっかりと萎縮しきってしまった雑兵共へ、ゲクランはハルバードを向けて破顔した。


「闘争の場を整えようか!」


 走り出した豪傑より放たれる白き光線――それは振り乱したハルバードの残す斬撃の軌道。


「ぇえええああああああ――ッ!!!」


 もつれ合った敵陣の中へ――中へと!

 猪突猛進するゲクランはまるで無抵抗の案山子かかしでも薙ぎ倒す様に、その命を狩って回る――


「ただ前へと走る事しか知らぬ獣め……フッフッフ、その勢いや以前よりも高みへ達しているな」


 弓隊によるクロスボウの射撃も、光振り撒いたゲクランにはまるで通用していない。ただただ敵の息吹の多い所へと“豚”は真っ直ぐに突っ込み、その全てを衝撃に吹き飛ばしていった。


「じゃぁぁああああぁあ――ッッ!!!」

「うわァァ、やめ、やめろ!」

「来るな化物ぉっ!」


 猛り振り乱すハルバードの煌めき。散っていく赤き命の飛沫が、ゲクランが発散する白き闘志と光の眩さに消えていく……


「エドワード様、お助けくださいッ」

「なぜ何もしてくださらないのです?!」


 黒太子はただ黙したまま、重機にならされていくかの様な自陣の兵に何の反応を示そうとはしなかった。


「……」


 ……だがやがて、その冷徹なる口振りは助けを求める赤目達へと告げられた。


「あの男は止められん……


 満を持して開かれたエドワードの口元――


「え…………」

「で、ですがエドワード様ならあのゲクランを!」


 そこから放たれた冷血漢による声は、半数以上と葬られ去った赤目達に衝撃を与えていった。


「それはどういう意味なのですか……」

「エドワード様!」

「満足に背を預けられん兵と共闘すれば、切断されるのは私の首の方だ」

「な……!」

「私は王に“赤目を殺すな”とは言われたが、守れなどとは言われていない」


 自らの首元に漆黒の大鎌の刃先を沿わせたエドワードを、赤目達は愕然と見上げて声を失った……

 敵兵の絶望の色を見て取ったゲクランは彼等を哀れに思いながらも、尚一層と猛攻の手を激しくしていった。


「やはりこの網にはかからんか黒太子、貴様の冷え切った氷の心に、僅かにでも“人の情”とやらが芽生えておらんか期待しておったのに」

「なにが……っどういう意味なのだゲクラン!」


 一人のロチアートが思わずそう漏らすと、ゲクランは敵陣に切り込みながら彼等の疑念に答え始めた。


「雑兵共よ、戦場で弱き兵を指揮するという事には孤軍で居る以上の危険が伴うのだ。そこになどというありきたりな概念が移れば、もう目も当てられん。どれ程屈強なる将も、猛獣につけ狙われるただの兎と成り下がる!」

「なにが……て、敵はたった一人なのに、どうしてなんですエドワード様!」

「我等が全滅するのを黙って眺めた後、ゲクランと決闘となる位ならば――」


 ハルバードの切っ先の槍で数人のロチアートを一挙に貫いてしまったゲクランは、滴る血と油を一薙ぎにて振り払いながら荒い鼻息を吐いた。


「忘れたか? 奴が貴様らに、と告げた事を」

「お前達とは……? まるで代わりの兵でも補充するといった風に聞こえる、聞こえるが……」

「俺達以外の兵なんてここにはいやしない! 援軍が来る算段だって何も……!」

「フハッ、何も分かっとらん様だこの猿共は!」


 そこからはただ、激しい血飛沫と悲鳴が惑う地獄の様な光景が広がっていくだけだった……

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