第431話 豚の豪傑


   *


 背後にそびえる巨大な修道院を背に、一人の男が木枯らし荒ぶ広場に仁王立ちしている。

 曇天からの光に照らされているその男は、静かに腕を組み瞳を固く瞑ったまま、来たるべき決戦の時を待っていた。


「…………」


 背は低く顔はゴツゴツとして、髪はそこらのナイフで乱雑に千切ったかと思う程に短い。筋肉で筋張った顔立ちはお世辞にも二枚目などとは言えず、いうなればずんぐりむっくりとした中年の様相である。

 そんな男が一人、巨大な広場で精神統一する様はの一言に尽きた……

 何故ならば、彼の背後にそびえた修道院はまさしくセフトに取っての本丸。何よりも死守すべき牙城を背後に、そこを守護する者がたったの一人というのでは訳が分からない。


「来たか……!!」


 突如として男は目を見開き、地に突き立てていた、槍と斧とかぎの一体化した、巨大なハルバードを手に取っていた……

 ――広大なる広場で彼が瞳を押し開いただけで、誰もが危機感を覚える闘争の波動が周囲に満ち満ちる。


「貴様に勝つまで俺は、あの大敗のいましめとして、座って食事をしないという誓いを立てた……」


 男がハルバードをそこに構えただけで、大地がビリビリと緊迫する様な感覚が残る。

 だが広大なる大地にはまだ誰の姿も映り込んではいない。岩の様な男が一人でハルバードを握り込んでいるだけだ。


「今日でようやく、座ってシチューが食える……」


 遠き地でエドワードが彼の闘志を嗅ぎ付けた様に、“鎧を着た豚”と揶揄やゆされるこの男もまた、闘争の因縁で結ばれた怨敵の存在を確かに感じていた。


「貴様に……会いたかった様な、二度とは相見えたくはなかったかの様な……お前の冷酷な立ち振る舞いを思うと、俺は今でもこの身を震わせる。ならず者の傭兵からフランス軍を纏め上げる大元帥にまで上り詰めた男が……情け無い」


 転生する前の世界線、因果なる宿敵との邂逅かいこうに、豪傑極まる男の顎が震える。


「故……この呪縛は今日を持ってここで解き放つ」


 白き波動が広場に逆巻き、男の全身に纏わりついていく……激しいまでのその迫力は、もう目前に怨敵が立ち構えているかの様であった。


シャルル5世陛下と共に駆け抜けたあの百年戦争。常勝無敗の私が唯一大敗を喫し、残党兵も民も残らず貴様に虐殺された……あのナヘラでの雪辱は忘れまい」


 誰に語るか、男は低い声でボソボソとこう続けていった……


「震える……エドワードよ。貴様を思うと……この身が恐怖に竦み上がるのと同時に

 ――ひどく、昂ぶる」


 今に張り裂けそうな程に緊迫していった男の気迫……ハルバードを中段に構え、ただ前だけを見据える男の直ぐ背後で、闇のゲートが密かに開いていた。


「貴様は何時までも立って豚の餌でも喰らっているがいい……」

「……」


 ――突如として背後より起こった冷たい声音、そして同時に漆黒の大鎌が男の背へと切り放たれていた――


「エドワードよ……」

「私の名を呼ぶな……醜い豚」


 振り向く事もせずに火花を上げていた鋼――エドワードによる背後からの強襲は、クルリと反転したハルバードの切っ先にガチリと止められていた。


「生まれ変わっても醜いままか」

「失せろ、容姿などどうだろうと構わん……貴様の方こそ、深く被られた黒き兜を取って見せよ」


 静かに笑うエドワードは闇のゲートより姿を消して、豚の様に醜き男――ベルトラン・デュ・ゲクランの前方にて闇に現れた……


「ゲクラン……」

「エドワード」


 殺気と殺気がぶつかり合い、世界も世代も超えた因縁が今、交錯する。


「この私の内に蠢く飽くなき虐殺欲……万を超える程どれだけ殺しても、どれだけ苛烈に命をもてあそぼうと……ついぞ私の高揚はに到達する事が叶わなかった」

「フッハッ、フハッハッ……あぁ、この俺にとっては身を捩る位に忌々しい……どれ程懺悔ざんげを繰り返そうと決してそそがれる事の無い、無様に過ぎるあのナヘラの戦いを、貴様も毎夜夢に見ていたか」


 黒太子の兜がカタカタと揺れている……今だ感情というものを押し出さなかった彼が、宿敵を前に昂り始めた鼓動に愉悦を刻んでいるのだ。


……豚」


 黒き大鎌振り払い、残虐なるオーラが黒騎士に纏わりつく。


決闘Duelとあらば、未だ負け無しであるぞ……あへ、あっへへへ」


 白い歯を見せて笑うゲクランと、エドワードの闘気が空に絡み合う――

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