第394話 ガラスの王


 明かされた参謀の恐ろしき能力に、敗戦ムードとなっていった戦況であったが、グラディエーター達は即座に頭を切り替えて、前方に佇んだ脅威の元凶――シャルル6世へと視点を移す。

密集方陣ファランクス』を解いて風のドームに守られたクレイスが、小柄な相棒に耳打ちする。


「ポック、どう思う……?」

「も〜終わりっすよ〜、嘘を現実にするなんて言いたい放題じゃないっすか、もう逃げられないっす、負けるっすよ〜」

「そっちじゃない。あちらの攻略はフロンスさんに託している。我等は仲間を信じ、任された怨敵の事のみを考えるのだ」

「暑苦しいっすよそういうの、俺がそういうの苦手って知ってるでしょ」


 ポカンとクレイスの拳骨がポックの後頭部に振り下ろされた。声を上げてよろめいたポックにグラディエーター達はゲラゲラと笑う。


「我等がここで敗れるという事は、鴉紋様が野望より一歩退くという事だぞポック」

「痛いっすよクレイス〜」


 頭をさすったポックは、クレイスの赤い瞳に爛々らんらんとした情念が逆巻き始めるのを見ていた。


「鴉紋様は我等を信じてこの場を託して下さったのだ……この四肢が千切れ去ろうと、我等は敵を噛み殺すのだ……!」

「うわぁ…………」

「鴉紋様は我等にとって神と同義! 人間共の快楽の為に、この一生を見世物としての殺し合いに強いられて来た我等を解放して頂いた! この大恩、忌まわしき人間共への復讐の機会を頂いた事はッ、我々グラディエーター全ての血脈の授かった恩寵おんちょうである!」

「もう分かったっすから〜」

「良いか、鴉紋様は我等に託されたのだ! 何があってもその使命だけは全うする! 鴉紋様の足枷あしかせになる事は絶対にあってはならん! 何がどうなろうとも、大切な仲間の屍を踏み越えて行かねばならぬともッソレダケはぁッ!!」


 怒号に近い大声に耳を塞いだポック。そろそろと視線を見上げると、仲間のグラディエーター達と共に、その鍛え上げられた肉体に血管を浮き上がらせたクレイスの憤激する面相がある。


「あぁぁあぁあぁアアアアたかぶって来たァァァ――ッッ!!!」

「もういいっす! 分かったっすからやめてくださいっすクレイス〜!」


 ポックに制止されたクレイスであったが、地を踏みしめた彼は滾る想いを堪える事が出来ず、ただ心より忠誠を誓う主君へ届けんと、力み上げた全身より全力の絶叫を上げていた――


「――ァァァァァアモンサマァァァァァアア゛アアああああああぁあああぁあッッッ!!!!!!」


「ぃぃい、鼓膜が敗れ……るっス……っ」


 大気震える程のクレイスの怒号に、シャルルは驚愕として自らの全身を庇った――


「揺れるぅ〜ッ揺らすなぁ〜! 割れてしまう〜!!」


 金色の杖に身を預けて弱々しい顔を上げたシャルル。そんな怨敵を睨み付けながら息を荒ぶらせたクレイスは、丸めた背中で立ち上がったポックへと再び囁きかける。


「奴の纏うあの分厚いローブは何故ガラスにならんと思う?」

「はぁー? 何言ってるか聞こえないっすよなんであんな大声出すっすか!」

「鉄を編み込んでいる……? いや、まさか鉄製であるとでもいうのか、ならば奴の極度に曲がった姿勢と遅い歩みにも合点がいく」

「なんの話ししてるっすか」

「それとも既にあのローブはガラス化しているのか? 元よりキラびやかな装飾を施されていたから分からん」

「あんなオジイにここで全裸になられても困るっすから、どうでもいいっすよー」


 ほぼ独り言の様な様相でベラベラと語るクレイス。

 すると目を剥いたシャルルが、またよれよれと不安定に歩み出してくる。


「何が言いたいんすかクレイス?」

「おかしい……やはりあの慎重過ぎる歩き方は不可思議だ。さっさと歩んでしまえば我等を排除出来るというのに、奴はまるでを守る様にゆっくりと歩んで来る」

「じゃあやっぱりあいつの体はガラ――」

「――奴の体が既にガラス化していると仮定すると、奴の体は何故割れずに原型を留めていると思う?」

「喋らせる気があるのか無いのかどっちなんすか……」


 緩々と歩んで来るシャルル。彼を中心として広がる“球”が動き出すと、その内部へと巻き込まれた生命は、ガラスへと変じた体を即座に割り砕かれていく。

 じっとりとした目付きでクレイスを見上げるポックが口を開いていく。


「あれは多分、球の内部で荒れ狂うが原因っすよ、気流を見れば分かるっす」

「風……? 球の内部で更に強い風を巻き起こしているというのならば、ガラスと化している奴自身は何故無事なのだ?」

「今俺達もやってるじゃないっすか」

「ん……?」


 ポックの移した視線につられてクレイスは周囲を見渡していく。すると緑色の風のドームに囲われた自ら達が無風空間に居て、周囲の風巻の影響を受けていない事に気が付いた。


「可視化は出来んが、奴は自らの周囲を風のベールで纏って無風空間にしているのか」

「そうっすね、そんな事をしなけりゃいけないって事はつま――」


 言い掛けたポックにまた被せる様にして、クレイスは溌溂はつらつな声音で彼の発言をかき消していった。


「――つまり奴の身は繊細な!」

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