第395話 狂気に落ちる前の自我


 徐々にと明らかになってくる不可思議なる敵の能力。目前よりゆっくりと歩んで来るシャルルの身が、その実ガラス化している事を見破ったクレイスであった。


「なる程なポック! なれば奴の歩み方にも納得がいく。アイツは早く歩かないのでは無く、早く歩めないのだ! その身が繊細なガラスへと変わっている故に!」

「……」

「何を不満気な顔をしているポックよ! 敵の弱みを嗅ぎ付けたのだぞ! 奴はガラス、つまり耐久性は無に等しい。どうにかして一撃を加えられれば奴は一瞬で消え去る!」

「……。そうっすね」


 不服そうにしているポックに気付かぬままに、クレイスは周辺に散らばった生命の残骸を見回していった。


「何処かに鉄製の得物でも落ちていないか? そいつがあれば奴の身を砕ける!」

「武具なんて昨今じゃ殆どが鋼っすよ。そう都合良く落ちてるなんてあり得ないっす」


 するとある一点を見つめて瞳を輝かせたクレイス。彼は腰を折ると、雑多になった肉と武具のゴチャ混ぜから、小さき鉄の装飾品を見つけ出した。


「得物は無理でも、“つぶて”ならどうだ……?」

「あ、そうか――」

「そうだ! 奴の身は! 例えそれが小石の一投であっても、強烈に炸裂すれば割――」


「――――割れる!!」

「――んぁっ?! う、うむ、そうだ!」


 ほくそ笑んだポックを横目に、クレイスは甲冑に付いていた鉄製の装飾品を握り、振り被った――!


「――づぅぇええええエイッ!!」


 クレイスの投擲とうてきした小さな鉄片が、逆巻く銀景色を抜けてシャルルへと迫った――


「ハァぁう――ッ?!!」


 突如として迫る礫。自らの身へと真っ直ぐと迫ろうとしている小さな脅威に気が付いたシャルルが、曲がった背筋を立てて鉄棒を振り抜いた――


「――――ぁべぇ!!」


 甲高い音が鳴ると同時に、クレイスはその鉄片が打ち返された事実を知る。――そして次の瞬間には、直ぐ肩手間で剣を握っていた騎士の頭蓋が爆ぜていた。


「思惑通りにはいかせん……貴様等下賤げせんの汚れた手では、この高貴なるフランス王に指一本と……」


 直ぐ側で起きた惨劇に血の雨を浴びたポックが、困惑したまま変貌したシャルルの顔付きに注視していく。


「さっきも思ったっすけど、あのシャルルとかいう男……急に若返る事無いっすか?」

「にわかには信じ難いが……」


 相槌を打ったクレイスの瞳に映るのは、円背した背を真っ直ぐに直し、色艶も良くなって目の下のくまを消した姿の、何処か別人じみたまでの理知的な男の表情であった。


「時代に選ばれし王族の血に手を掛けんとするゲスよ。貴様等下民の無力と愚かなる決断を知れ」


 あの弱々しい口調さえもが何処かに消え去って、凛と鉄棒を構える姿は最早――老王と呼称するのにさえ違和感がある程である。


「はぁぅ……あぁう〜〜、辞めてくれぇ……私が何をしたのだ〜怖ろしい、お前達の手で砕き割られる自分を想像すると……ぁ〜悶えそうだ〜」


 ――しかし、直ぐにへたり込んで元の様相へと戻っていったシャルル。今彼の相貌では、つい先程まであった瞳の煌めきが消え失せて混沌としていた。深く腰を曲げたその姿勢のせいか、肌のトーンも幾らか暗くなったかの様にさえ思える。


「ね! ほらほら、見たっすよねクレイス!」

「ああ……だが、奴は実際に若返っている訳では無さそうだ」

「え? でも確かに……」

「いいや、そう観測出来るのは、奴自身の心理に起因した事象に過ぎない」

「し、心理……心が入れ替わったとでも言いたいんすか!?」

のかのか……あれは恐らく、危機的状況に陥った際に表れる、奴のより“野性的な自我”だ」

「は……?」

「奴等の話に聞き耳を立てていると、どうやらあのシャルルという男は始めから狂っていた訳では無いらしい。……つまり、命に危機に瀕した際に現れる奴の本能的な性質は、であるとも仮定される」

「狂う……前の? そ、そんな事が本当に――」


 するとクレイス達の後方より、また鼻に付く笑いが起こった。振り返ったポックが認めるは、半透明となった体に銀の風を透過する、クリッソンの立ち上がる姿である。


「ぐふふふ〜存外にお前の方も頭が回るらしいな、実に予想外だ、家畜の癖に。ぐふ」

「何を言って……まさかクレイスの推測が当たっているとでも言いたいんすか?」


 おどける様に肩をすぼめて掌を開いたクリッソン。彼は見下す様な高圧的態度でグラディエーター達へと語り始める。


「若返るだなどと非現実的だろう。魔力という概念の存在するこの世界でも、そうと考えるよりは、そこの筋肉男の説を支持した方が幾らか現実的だ」

「フン、黙るっす。お前みたいな嘘つきの言葉なんて信じないっすからね!」

「ぐっふふ、馬鹿め。同じ家畜といえど、貴様の方は頭の回らんウスノロらしい……」

「はぁ?」

「現実的事象から目を背けてファンタジーに傾倒してどうする。ぐふ〜、私の“嘘”とそれとでは全く次元の違う話しであろうが」


 目付きを鋭くしていったポックが鼻筋に深いシワを刻んだ。周囲にひしめいたグラディエーター達も同様に憤慨している。


「調子コイてるっすね……殺すっすよ?」

「調子ぃ? コカせて貰うぜいくらでもぉ……ぐへぇぁ……なにせ私はこの場に置いて、ただ一人だけ安全圏より高みの見物を決め込んだ、“確立した勝者”なんだからなぁ、ぐふぅー! 悔しければ私に切り掛かって来るがいい、ほれ、ほれどうしたロチアート! ハァーっ???」

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