第389話 頭が良いのですね、人間様


「ふぅむ……」

「ぅ……ぅえっ寄るな!」


 立ち上がったフロンスは顎に手をやって思案すると、腰を屈めて老将の眼前へと自らの顔を近付ける。膨張した肉と筋張った顔面がクリッソンを緩やかに見下ろすと、敵は顔をしかめながらそっぽを向いてしまった。


「アナタをすり潰さねば、我々は幽閉されたこの空間で死を待つのみ……どうしたものでしょう」

「ぐっふふふ、家畜が考えておるのか? それは滑稽な……しかし幾ら考えてみても解は浮かばんぞ。私の『無関与不干渉フェイカー』は貴様等に対して攻撃行動を起こさぬ限り盤石なのだ」


 狂った肉の体躯で考え込んだフロンスは、クリッソンの言ったように何処か滑稽にも見える。


「『修繕』は直しているだけだから攻撃行動にはならないと……都合が良いですね」

「ぐふふ」


 クルリと向きを変えたフロンスが、クリッソンへと背を向けたまま悠然と歩み去っていく。その後ろ姿は余りに無防備であったが、参謀からの攻撃はやはり無かった。


「無敵……ですねぇ」

「だからそうだと言っておるのだ……貴様達は皆、この箱の中でシャルルに砕き割られる運命なのだ」

「だが果たして、そんな都合の良い能力があるのでしょうか?」

「はぁ〜?」


 荒ぶ風がガラス片を乗せてフロンスの身を切り裂いていく。逃げ場の無い程に細かい銀が舞い飛ぶが、クリッソンにはやはり影響が無いかの様だ。


「何を言うか……ほうれ見ろ、私は完全無欠だ……攻撃の手こそ無いが、同時に貴様等からの危害も受けない……ぐっふふふ」

「ええ、確かに完全無欠……もう私達に取れる手立ては無く、狭い箱庭であの危険なガラスに相対しなくてはならない」

「ぐっふふぁふぁふぁ! そうだ、諦めてあの狂った王の相手でもしておけ! 狭き空間であればあやつの能力もまた完全無欠! 我等二人の前に敵は無いのだ!」

「ええ、本当ですね……」

「ぐっふふふ、ふぁっふぁふぁふぁ!」


 片眼鏡モノクルを光らせながら豪快に笑う小さき将へとフロンスは振り返る。


「……あ〜?」


 シャルルによって3000の命が蹂躪じゅうりんされていく混乱の中で、怒りに満ちた顔付きの騎士が一人、クリッソンを指さして喚き始めた。


「そいつの言っている事を信じるなロチアート!」

「ぬ……!?」


 それは、尽くした騎士を策にはめ、その命、騎士としての尊厳さえをも失墜させようとした、彼への報復の一声であった。


「やめろキサマ、言うなぁ――ッ」

「そいつの言っている能力はデタラメ! クリッソンは――『嘘つきフェイカー』だ!」


 わなわなと震えて目を剥いたクリッソンが、声を放った騎士に驚愕とした顔を向けた。


「キサマ、将を裏切るなど、騎士としての一生の名折れッ」

「黙れ、お前が……お前が俺達の尊厳をぉぉ!!」

「ルルベルト・フィースト……貴様の家族の居場所、その血縁までをも私は把握している。全員この世から抹殺してやるぞ……っ!」

「ぅう……っ」

「楽には死なせん。考え得る限りの方法で持って苦しませ、辱めて……ッ」

「やめ……ろ、やめてくれぇ!」


 顔から蒸気を吹き上げるかの様に怒り心頭となったクリッソン。彼に責め立てられている一人の騎士の前に出る様にして、複数の騎士が震えた剣を構え始めた。


「キサマ……っら……!! 覚悟はよいなぁ、あーっ!! 面頬を下ろしていても、私は貴様がどこのどいつだかを分かっているのだぞぉー!」

「この騎士道を、お前の様な外道に弄ばれる位ならッ今ここで!」

「俺達は騎士として死ぬ! どうせ死ぬのならばせめてこの志と共に、お前と心中してやるぞ!」

「なぁーーッ!! 言わせておけ……バッ!」

「我等は騎士として産まれ、騎士道に死ぬ為に心血を注いで来たのだ! そのような脅しがなんだ! この本懐が遂げられ無いのなら、我等は貴様に剣を向けるぞ!」


 ぷるぷると震えながら歯牙を剥き出したクリッソン。対して嬉しそうに微笑み始めたフロンスは、奇妙な事に一時共闘する事となった人間達に邪悪な笑みと舌舐めずりを見せながら、背後で憤慨した男へと振り返っていった。


「存外早くネタが割れましたねぇ」

「く……っ! 黙れ、黙れ黙れ黙れ!!」

「あんなにこっ酷く部下を裏切ったのです。手痛い報復など予想が出来たでしょう?」

「何が言いたいロチアート! この低俗な家畜め!」


 紫色の妖気を立ち上らせたフロンスが、口元から垂れる涎を拭いながら赤き家畜の目を灯らせた――


「いえ、その低俗な家畜より、人間様の方が頭が良い……そう聞かされていたものですから」

「……!」

「貴方を少し――に思っただけです」

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