第386話 人でなしの見る“最期の悪夢”


「なんだ!? 確かに奴の生命活動は止まって――!!」


 突如として現れた暗黒の大門を見上げながら、ジル・ド・レは訳が分からないといった風に目を瞬いた。

 ――不可思議なる事に、奇怪なその門から受ける印象は虚無に等しい。


「だが、奴の口は確かに開いて言語を――っ」


 冷や汗を垂らしたジル・ド・レが、暗黒の門に対して過剰なまでの警戒を示している。

 そこより立ち上るオーラや気は、先程述べた様に何も、僅かにも感じられず、ただそこに無機物が立ち現れたかの如き印象を残す。


「ハッ……ハッ……は――!」


 しかし異形となった捻れの怪物は、に全身全霊の注意を払っていた。周りの一切合切が気にも止まらない程に、百戦錬磨の名将の前に今――“最悪”といって差し支えない程の予感が巻き起こっているのだ。


「ふざけるな……死んだ虫ケラが、何故現世に飛翔する!」


 臓物冷え渡る確かな予感に気圧されながら、ジル・ド・レは残る魔力の全てが枯渇するまで“捻れ”の波動を練り上げていた――


 ――――ギィ


 そう音を立てて門は静かに開いた。ボタボタと垂れる汗がジル・ド・レの視界を遮ろうとするが、彼は瞬きを忘れたまま血走った視線をそこに注ぎ続けていた。


『あーぁ……死んじまった』

「おま――オマエ!?」


 ――そこより歩み出て来た“黒きもや”に囲まれたシクス。彼は貫いた左の眼窩を空洞にしたまま、ただ灯る右の目でジル・ド・レを見下ろした――


「なんで……ナニっっ……が!?」

『テメェがあざ笑った……の底力だよ、オカッパ』


 シクスは不鮮明なる黒に纏われながら、その口元も動かさずに言葉を放つ。奇怪な事に、そこに開いた冥府への門より、彼の言葉が這い出してくるかの様であった。


「キサ……きさ、キサキサキサっ……キサマ!!」


 ジル・ド・レは目前に現れた男よりまだ何の感覚も受け取れずにいる。まるで無限に続く虚空を認めているかの様でさえあって、底の知れぬ未知に酷く動揺を示す他が無い。


「生きて……イルのか? 貴様はまだ、そこで――!?」


 妙な表現ではあるが、それがジル・ド・レに得たいの知れぬ恐怖を与えていた。

 ――その男より感じる気が。空っぽの抜け殻を見つめている様で、強いて言うなら――“何も感じない”という事を感じる。


……自分の頭にズップリとダガーを刺し込んだ……お前も見てただろ?』

「ぁ……ぅっ……ぁぅ――ウウッ『捻れツイスト』!!」


 ――冷え切った怖気に支配されかけたジル・ド・レが、シクスの存在を大気毎に捻じ曲げていった。涙を溜めたセイルがシクスの名を叫ぶ――


「シクス!」


『テメェにも曲げられねぇモノが一つある……』

「ハ……何故、確かに私の“捻れ”に――ぁ、ぁぁあ!!」


 事も無げに、沈んだ目をして歪みより歩み出て来たシクス。練り上げた魔力に血を噴き上げたジル・ド・レが、全開の魔力をそこに流し込んでいった――


「『渦巻きスパイラル』――!!!」


 ジル・ド・レを中心に再びに大気の渦が発生する。周囲の全てを飲み込んだまま景観も音も歪んで風が吸い込まれる――


「ぁ――――?」


 ジル・ド・レ渾身の大技であったが、彼は逆巻いた渦巻きより這い出て来た、黒いもやの姿を目撃した。


「な…………ん……??」

『もう関係ねぇんだよ、俺には何も……』


 まるで存在する次元が違うとでもいった具合に、『死門しもん』より現れたシクスにはもう、現世の全ての現象はだった。続けて放たれた斬撃も、彼の体をすり抜けていく。


「ぁ…………ヒ、ぃいい!!?」

『俺は今、絶対不可侵のと同化している』

「概…………念? どういう――?!」


 腰を抜かしたジル・ド・レが、何の抑揚も無い目をしたシクスを目前に見上げる――


 ――冷たい目をしたシクスは語る。徐々に徐々にと、積年した怨恨をその顔に剥き出していきながら!


『冥府に触れた俺は今……“死”という概念と同義なんだからよ』

……っがいね――?? ハ……」

『ミハイルに使うつもりのとっておきだったが……こうなっちゃ仕方がねぇ』


 “死”をも取り込み、“死”と同化した悪夢が、居るべきで無い次元に……ほんの一時のみ滞在していた。

 シクスより垂れ流れた暗黒が、眼下で泣き喚く捻れの異形を包み込む――


死の夢ナイトメア――――』


 ――ジル・ド・レは“死の夢”を見る……そこでの己はひたすらに無力で、ただ自らの産み出した怪物が自己を蹂躪じゅうりんしていく悪夢だけが、延々、延々と何時までも続いて――



「ヒ……ひぁぁあっ……ヒァ!! ヒァァァァアア!!! ワァァァアア!!」





 ――――醒めない……。



「ヒぃギャァァア――っぅあぁ……アアァアアァアア!!! アアァァアアアァァア!! ッいァァいああ、……嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ァあぁああ――――!!」


 音の歪む渦の中でも、門より上がってくるシクスの声は明瞭にジル・ド・レの耳に響き込んだ。


『俺も成れたかなぁ……一人の


 清々しい面相となって、天を仰いだシクス――


『兄貴……』


 そして次に、涙ながらに拳を握りしめたセイルへと彼は視界を下ろし――


『嬢ちゃん……』


 ――――……





『ダイスキだぜ……みんな』



 声も無くシクスへと手を伸ばしたセイル――


 だがそこで、全身を強く捻じり上げた男が、悪夢を振り払って立ち上がった――


「こんな夢!! コんナ幻想にッワタシの決意がッ!! ジャンヌへの忠誠がぁあ――!!」


 また乱心し始めた怪物に、シクスは冷ややかな視線を送った――


「ぅ……!! ひ…………ぃ!」


 その恐ろしい赤目の眼光に竦まされたジル・ド・レが、音を立てて強く開け放たれた暗黒の大門に気付いた――


燐火葬送りんかそうそう


 胸の前にパンと手を合わせ、嬉しそうに舌を突き出したシクスが、カタカタと声も無く――嗤っていた。


「ハァァ――っ!! ナン、ナンダコレは!!!?」


 ジル・ド・レを掴んだのは、暗黒の門より伸びて来たであった――


「冷た――離せ……ハナッッ!! ヤメ!!」

『お前にいたぶられた怨霊達が、コッチに来いって言ってるぜ?』

「子どもっ……ぁ! 手!? なにゆえワタしを、ドウして――!!?」


 すぐにはシクスの言う言葉を理解出来なかったジル・ド・レであったが――


 ――――(こっち…………)


「…………ッ!!!」


 その腕を伸ばし、奈落の門より顔を突き出した、蒼白い子ども達の顔。


「ハぅ…………ッ!!」


 ――かつて残酷に殺してにえとした……見覚えのある数百の顔が、恐ろしい面相でジル・ド・レを見ていた。


「やめ――!! 許して、ユル、ユルシテクレッッ! あれは、ジャンヌ復活のタメに、祖国の為ニ必要ナ――!!」


 冥府より覗く子ども達の眼光、怨嗟が――


 ――(つかんだ……)

 ――(つかまえた……)

 ――(やっと……)

 ――(いためつけて……)

 ――(ぼくたちがされたみたいに……)

 ――(なんども……)

 ――(あそぶんだ……)

 ――(しなないから……)

 ――(しねないから……)

 ――(なんどだって……)

 ――(いつまでだって……)

 ――(ないても……)

 ――(さけんでも……)










 ――――(




 そしてジル・ド・レは、数百の手によって冥府へと引きずり込まれていった。


「ウワァァァァああ!!!! ァァァアアアジャンヌ!! ジャンヌよぉおおおお!!!!! アアアァァァアアアぁぁぁ……ぁぁぁぁぁ…………ぁぁ……ぁ…………――」


 シクスに知覚出来たのは、深い暗黒へと落ちていきながら、まるで雑巾でも絞り上げるかの様に過剰に捻れ、最期の断末魔と共に血の火花を上げた異形の結末であった。


 宿敵の甘美な悲鳴に口角を上げたシクスが、過ぎ去った嵐の終わりに一人佇んだ。


『あぁ……愉しかったな』


 何時の間にやら晴れ渡っていた光明が、シクスの身を照らし出して……

 黒きもやと共に浄化され始めた――


「シクス待ってよシクス!! 死なないでよ、勝手に逝かないでよ!」

『嬢ちゃん……』

「言ったじゃない! 鴉紋が死ぬなって! 皆が、私達が笑い会える世界を創るって! なのに、なのに死んじゃうなんて許さな……っ……許さ……な……ぅ!」


 足下より浄化され、その妖気を暗黒の門へと吸い上げられていくシクス――

 振り返りもしないそんな彼の背中を眺めて、セイルは嗚咽と共に泣いていた。


『なぁ……嬢ちゃん』

「え…………?」


 光に照らされ、振り返ったシクスの右目だけが覗き、そこに微笑んだ――


『叶えろよ……ガキ共が、笑っていられる世界……』

「シク――――っ!!」

『なぁ、絶対だぜ? ……やくそ――――』


 シクスの優しい声は、途中で切れて最後まで語られなかった……


 やがて…………


 貧民街を駆けたかつてのならず者は――

 何者でも無かった、仲間思いの“人でなし”は――


 “一人のロチアートと成って”――――


 光に照らされながら、清々しいまでの笑みで没した……。

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