第385話 憧れと、夢と混じり合い


「シクス……っいやァァァ!!!」


 グルングルンと激しく変わっていく視界の中で、セイルの嘆きを聞く……

 ――微かになった意識の中で、激しく回転しながら宙へと切り上げられたシクス。


 激烈な痛みの後に足の感覚は無くなる。何時までも続く浮遊感は、シクスの中でゆっくりと動き出した走馬灯の為であった……



 ――兄貴の様に生きたかった……



 薄ぼんやりと開いたまぶた――そこより覗く、ロチアートの赤目と人間の目……



 ――だが俺にはとても、兄貴の様になんて出来なかった……



「あっひひひひひ!! 私の勝ちだ人でなしよ!! 人にもロチアートにも成れなかった、どうしょうも無い忌み子よ! 生まれてきた事を深く懺悔ざんげするがいい!!」


 血を噴き上げるジル・ド・レの下卑た罵倒がシクスに知覚されると、揺れていたオッドアイがピタリと止まった。



 ――だからせめて、兄貴の夢の一部になろうと思ったんだ……



 やがて地に墜落し、ひしゃげた足を投げ出したシクス。文字通りボロ雑巾の様に全身を捻れさせた虫ケラにジル・ド・レは歩み寄ると、邪悪な笑みを浮かべながらシクスの髪を掴んで眼前に引き上げていった。


「このまま……捨て置いても死に絶えるが、ジャンヌの雪辱を晴らす為に、私自らの手で……ッ!」


 虚ろな視線を投げ出したシクス……そのオッドアイをさげすむ様に、ジル・ド・レはでろんと舌を出した。


「人にはおろか、家畜にさえなれず……アッヒヒ醜いな、ひどい顔だ。この……“人でなし”」


 そんな人でなしの愚図、ならず者の忌み子に過る最期の願いは、透き通る程の慈愛に満ちていた。





 ――兄貴の作る“優しい世界”の……





 少なくともそれは、ロチアート彼等の側から見ればという話しであったが――シクスの眼前には今、狂った世界に翻弄ほんろうされ、残酷な結末を追った子ども達の笑顔が蘇っていた……


「夢でも見ているのか愚図よ」

「……っ……」

「それは幸せな夢か……それとも悪夢か」


 左手でシクスの髪を掴み上げ、右手のショーテルを逆巻かせていったジル・ド・レ。彼もまた深過ぎる致命打を受けているが、異形となったが故なのか、まだ少しの余力を残している様だ。


「……悪夢だ……よ……ヘっ……」

「……であるか。ふん、貴様の様に半端なけがれには、神も幸せな走馬灯を贈らないという事らしい」


 騎士のその目には確かな“正義”が纏われていて、シクスとは望む世界が根本的に違うという事が如実に物語られていた。

 そして騎士は、崇高なる志と共に剣に力を込める――


「ゆっくりと、いたぶる様に、深く後悔させる様ニッ! 貴様の心臓に、このショーテルを深く突き刺してやろう」


 シクスは胸に、冷たいショーテルの銀がズブズブと侵入して来る痛みを感じた。

 泣き叫ぶセイルの声が空に響き込む……


「やめろジル・ド・レ! シクスを、シクスを離せっ!」


 だが先の大魔法を行使したセイルにはどうする事も叶わない。


「――ァ……く!!」

「醜いだな、家畜以下の下民よッ」


 シクスの落とす人と家畜の混合したオッドアイを物珍しそうに見下ろしたまま、ジル・ド・レは醜く笑って口角を上げていく。だがシクスも、笑みを返す様に無理に表情を作っていった。


「ひゃは……はっ……仲間の騎士共を全部ミンチにされた気分はどうだよ……あ、名将さんよ……」


 目前の顔面に唾を吐きつけたシクス。するとジル・ド・レはショーテルをぐりぐりと回す様にして肉をかき回し始めた。

 

「ぃ……グ――っ……!!」

「貴様等ロチアートは妙に人間を嫌うな……それがの裏返しであると、お前達は気付いているか……?」

「――――!」


 ――これまでロチアートの右目を隠すようにして眼帯を装着していたシクスには、その言葉が妙に響いた。


「気付いたか下民よ……貴様等は知らずのうち、我等に強烈なる羨望を持っていたのだ……この反逆は、貴様等家畜の起こした浅はかな欲望が全ての元凶であり、それ以上の何ものでも無い、ただ下劣な戦争なのだ」


 肉を掻き分けドリルの様に捻り裂いて来るショーテル。耐え難い痛みに呻いたシクスが思わず俯いた。

 そして語り出す――


「確かに俺は……人間に、憧れていたっ……のかも、知れねぇ」

「ほう、独白するか、人でなしのくせに……ひひ」

「なんで……俺はんだって……ぅ、もしこの俺の赤目右目が無ければ、俺は親に捨てられる事も無く、喰う物にも困……らず、仲間や家族とも……っ」

「ふむ……面白い、続きを聞かせて貰おうカッ!」


 強く捻られた肉に、シクスが血を吐いた。しかし彼は俯いたままに続けていった……


「この目が憎らしかった、俺から尊厳の全てを奪い去った……この家畜の目右の目が……!」

「ひひ……」

「俺の持って産まれた目が、この人間の目だけだったらと、幾夜も運命を呪った」

「あっひひひひ……愉快である、れろ」


 俯いていたシクスは顔を上げていきながら、その混血の目でジル・ド・レを見据えていた――


「ん…………」


 すると……力無い筈のならず者の眼光に、何やら底の見えない情動が動き始めた事にジル・ド・レは気付く。


「ナンダその目は……この人でなし風情が」


 ――そこに宿った灼熱の心情を感じたジル・ド・レが、最早死に絶えるしか無い男に目を剥いた――



「――だけど今は、人間の目こっちのが



「ぁ――――?」


 


 シクスの心の臓腑へと銀の切っ先が届かんとするその刹那、ジル・ド・レはあらぬ光景を目にする事となった。


「……な、何を……している?」


 緩々と上げられたシクスの右手、力無いその掌に握られた黒きダガーが、自らの人間の目左の目に……


 ――


「ハァ――――ッ!!」


 自らで死を選ぶという納得出来ぬ結末を予測し、強く憤激したジル・ド・レ。


「シクス駄目よッシクス!!」


 号泣したセイルが声を荒ぶり、ジル・ド・レはショーテルに力を込めようと力むが――


「ケ……っひ……ひ……ひ」

「キサマッッキサマァァァ!!!」


 シクスの拳が宙ぶらりんになったダガーの柄頭を打って、その刀身を脳に至るまでに深く刺し込んでいた。


「私のっギーのッジャンヌの剣をッッ、オマエはァァァッ!!!」


 絶句したセイルを差し置き、全身を脱力していったシクス。憤慨しながら引き抜いたショーテルに従って、人でなしの身は地に落ちて空を仰いだ――


「ァァァァああああ!!!! おのれ、おのれオノレェエエエエエ!!!」


 瞳孔の開いてしまったシクスの赤目を見下ろし、ジル・ド・レは彼への断罪を成し遂げられ無かった事実に強く歯噛みしながらショーテルを振り上げた――


「鬼畜…………魔、法……最期の門――」

「ハ――ッ!!?」


 死に絶えている筈で、もう僅かにも魔力を残していない男が微かに呟くのをジル・ド・レは聞いた――


 ――それは



 ――――“最期の悪夢”







「開…………け――『死門しもん』――」


 

 奈落に開いた巨大な門が開き、正体不明の手がシクスの死骸を冥界へと連れ去っていった――

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