第376話 幻夢と獄炎と偏屈者


「ギ……ギー……」


 倒れたシクスを背後にしたまま、大弓によって空へと上がった爆炎をジル・ド・レが仰いでいた。


「ジャンヌよ……」


 騎士達を焼く黒き炎に取り巻かれたジル・ド・レが膝を着く。

 超常的な景色はただの曇天へと立ち返り、彼等の力を飛躍させていた白い闘気もまた消え去って、ギー14世・ド・ラヴァルとジャンヌ・ダルクという少女の光の御旗が地に落ちた事を物語っていた。


「はぁ……ハァ、ハァ! ハァハァハァハァッ!」


 ジル・ド・レの、吸気に貧して戦慄わななくまつ毛。それ程までにショックであったのか、横に跳ねていたヒゲは下を向いて、その頬までゲンナリとコケていった様に見える。正気から逸脱してしまった様なまなこはこれ以上無いほどに恨みがましく、ジャンヌとギーを包む灼熱の暗黒を反射させている。


「コイツはラッキー……だぜ。今のうちトンズラすっか……」


 震える背中を眺めたシクスは、全身を切り刻まれた体を這いずる様にして、ジル・ド・レの側よりそろそろと離脱していく。


「お前たちは私の前で、焼き払うのか」

「はぁ?」

「祖国の為に尽くした……勇敢なる少女を……」


 振り向きもせずに静々と語られた口調に向かい、傷の痛みに呻いたシクスが――“ソレ”を目撃する。


「んでそうなんだよ……」


 シクスが見たのは、周辺一帯毎に捻れ上がっていく大気の“歪み”――

 耳鳴りがする程に圧縮された空間が周囲を取り巻き、広大に燃え広がっていた焔を一挙に捻り上げている。宙へと舞い上げられ燃やし尽くす対象を失った黒き炎が空へと消えていく――


「ああ……そうかぁ――」


 これまでよりも深く“捻り”、それまでよりも広大に影響する。規格を越えた莫大なる魔力の行使を強行し、白目を剝いて血の涙を伝わせるジル・ド・レ。


「ギーよ、ぁあ愛しき義弟よ……ジャンヌ! ぁあジャンヌ……我等が生の果たせる意味よ……ぁぁ、ぁあ、ぁあ、ぁあぁあ!!」


 彼の周囲の景観を歪める程の強烈なる“捻れ”が、彼の頭髪やヒゲ……までならず、その腰や上体、首や手首や足首、股関節に肘や膝、あらゆる関節を限界まで捻り上げた奇っ怪な姿勢を作り上げる。それまで何処か“聖”を感じていた御力も消え失せ、“邪”に属するかの様な暗黒の妖気が立ち上り始めた。


「ジャンヌジャンヌジャンヌジャンヌ!!! ギーよギー!! この身が、心が切れそうだッジャンヌジャンヌ、ぁぁギー、ジャンヌジャンヌジャンヌ、ギーアアアジャンヌジャンヌゥッッ!!」


 バックリと裂かれた額にも関わらずに、爪を立てて激しく顔を掻きむしるジル・ド・レ。掻破そうはした皮膚が指先より垂れ落ちる程に累積し、赤い肉を見せた顔面より血が噴き出す。


「ジル・ド・レ様待って!! まだオレたち――ぁ!」

「お辞め下さいジル・ド・レ様、我等を巻き込ん――コン、こんこん……ぁギョッ?!!」


 広範囲に渡るジル・ド・レの『捻れツイスト』が、敵も味方も無く臓物の詰まった肉袋を捻り裂いて血を撒き散らしている。


「――あぁそうか……」



 白目を剥いて身を捩る“狂人”を緊迫した表情で認めたシクスは、壮絶なる力に肩を震わせたまま、誰ともなく――こう呟いた。




「――狂っちまったんだ」




 大気が捻れ、宙へと舞い上がっていく黒炎より、赤き焔の翼が伸びて天空へと躍り出た。


「なんなのよっ! ギーとジャンヌを殺したのに、どうしてまた強くなるの!?」


 禍々しいまでの妖気に顔をしかめたセイル。肉を膨れ上がらせながら醜く再生を終えたジャクラが、シクスの前へと踏み出した。


「捻れ……ねじレ……ネジれろレロレロ」


 ダラリと出した舌を音を立てて上下に動かし始めたジル・ド・レ。最早見る影もない狂態のまま、彼は周囲の景色を丸ごと――まるであの有名な『ムンクの叫び』に描き出された“歪み”であるかの様に、人も地形も無く捻り荒らしていった。


「痛ッッヅ……嬢ちゃん、こっからが正念場らしいぜ」

「シクス……傷が!」


 切り刻まれた全身よりおびただしい流血を見せたシクスが、蒼白くなり始めた表情を気付けする様にパシンと叩く。


「んだよ俺を心配してくれてんのか? 随分優しくなったもんだな嬢ちゃん……キハハ」

「……っ」


 特段と、彼の抑え込んだ腹からの出血が治まっていない。抑え込んだ掌よりボタボタと鮮血が滴って、その唇は色を薄くして小刻みに震えている。


「気にすんなよ……まだいける……まだ、兄貴の夢を、俺達の夢をッ……叶えてねぇ!」

「…………っ……うん……」


 外れ掛けた左の眼帯を締め直し、いつもの様に笑うシクス。そんな彼の勇姿を見つめながら、セイルはなにか思う様に一度黙してから――頷いた。


「行こうシクス、私達の夢を、鴉紋の夢を!」

「ああっカッハハ……殺ろうぜ嬢ちゃん! 人間共を……血祭りにあげてヤルンだッッ」


 確かな闘志を逆巻かせた二人が、歪んだ視界の向こうで狂乱した騎士を睨み据えていく。


 ――激しく捻れ、弾けていく生命の雨の中心で、ゴキゴキと音を鳴らせる程に身を捻ったジル・ド・レが叫んだ。


「『偏屈者ビゴット』――ッッッ!!」


 愛する者と生きるべき目的を奪われた聖騎士が、邪悪に堕ちる――

 大気を捻る渦巻きがジル・ド・レに纏い、生命達の歪んだ叫声が彼を悦ばせた。


「――ハヒ……はひっひっひっひっひっ!!」


 かつて前世にて、敬愛するジャンヌ・ダルクを火刑に処されたの様に……


 


「こんなセカイは間違ってイル、こんな……あの素晴らしき巫女、ジャンヌ・ダルクの没した世界ナド……歪んでいる……歪んで、修整しナケレバ、私ガッワタシガ調律するのダッ、曲がったセカイをワタシガ、淑女を焼き払った愚人を排シッ!」


 だがそれは言い換えれば、彼の戦闘能力が真価を発揮し始めたとも形容が出来た……


「やんぞ嬢ちゃん!!」

「絶対に燃やし尽くしてやる、ニンゲン!」


 魔族の証の赤目が滾り、覚醒した“幻夢の悪魔”に“獄炎の悪魔”が並ぶ。

 見据えるは――深みへと沈んでいった、狂い切った人間が一人。


「捻れ〜捻れ〜ネジレロレロ、れろレロれろれろ。レロ。捻れ〜」


 横になるまで捩られた上体。ジル・ド・レの激しく上下する舌がチュパチュパと音を鳴らし、その口の端に泡を溜める。

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